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noteで日記を書く

日記を書いてみよう。そう思った。

なんでそんなことを思ったかというと、インスタグラムで繋がっている方が自身の日記を出版したからだ。
出版といっても、出版社からの依頼での出版や自費出版などでの出版ではなく、あるワークショップの一連の流れで冊子になるといった類のものだ。

そのワークショップは『日記屋 月日』という東京 下北沢にあるショップで行われている。

インスタグラムで仲良くしてくださる方も、そこでのワークショップで日記を書かれて、ついには販売という形を取っている。僕も購入させて頂きました。

内容は日記という体裁だけあって、日々の記録を淡々と書かれているだけ。
だけなのだけれど、淡々と書かれているからこそ人の生活をのぞいているような感覚になる。

それに、事実を述べるだけの文章であるにも関わらず、書き手の感情や想いなんてのがちゃんと滲み出ていて、日記という形式であっても〈その人が書いた〉ということが紛れもなく分かる。

僕は常々、エッセイを書きたいという気持ちがあるのだけれど、書こう書こうと息巻くほどに書けなくなっていた。
それはなぜか?と自分なりに考えた時、そもそも日常自体を振り返れてないことに気がついた。

エッセイは日常の中のエピソードを切り取って、そのエピソードを自分の目と心で綴っていくものだと認識している。
なのに、僕の場合はその〈日常〉を書き起こすことをせずに、何か面白いことはね〜か〜と、無理やり日常を面白く書こうとしていたような気がする。

一方で、日記は気楽だ。
目立った「何か」を切り取るのではなくて、ただ淡々と日常を綴る。そうやって日常を綴ってみると、何もなかったと思っていたはずの1日に、ちゃんと「何か」があったことに気づく。

試しに、noteで日記を書いてみると意外と書ける書ける。(まだ公開してない)
しかも、一応は人の目に触れる(予定)ので、他者に読まれるようにすこーしだけ修正する。
そうすると、自分で読み返した時にも、「あ、確かにこんなことあったな」と、その時の気持ちもセットで思い出せる。

こうやって淡々と日記を書いていく先に、面白いエピソード、書きたいエピソードが自分の中で膨らんで、単体のエッセイなんてのが書けるんだと思う。

もう〜長いことnoteはお休みしていたけれど、まずは「日記」という形から文章を書くことを再開し、その「日記」から派生してエッセイや単体のnoteに繋げていきたい。


後日談

結局、日記は日記用のテンプレをWordに用意して、そこに書くことにした。このnoteを書いてから毎日日記を書くことは継続していて、いまや習慣になっている。今は月日さんのメンバーシップに入ろうか悩んでいるところである。

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