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日記を書く理由


日記を書き始めてもう2年になる。読まれることが前提で書いていたから、最初の日記を読み返すと、ほんまか? と思うことがたくさんが書いてある。

書いてある事象自体はほんまにあったことだったのだけれど、それを修飾する言葉が、なんだかちょっと嘘くさい。日常を、言葉で少しだけ美麗にしているような、盛っているような、そんな感じを受けた。

ここで改めて自分が日記を書く理由を考えた。日記に、書く理由や書く目的なんてなくてもいいと思うのだけれど、書き続けているのは何らかの理由があるはずだ。それで、自分が日記を書く理由を紙に書き連ねていたら、以下の3つの理由があがってきた。



①素直な言葉を吐く練習

私は平日、毎日仕事に行っている。それは毎日社会に出ているということで、毎日他者にまみれているということである。そのとき私は、他者のために言葉を使い、他者との関係を保つための言葉を選んでいた。

日記には、素直な言葉を吐きたい。

最近は、面白くない日記を書くことを目標にしている。というか、わざと面白くしないようにしようというか。面白く、には作為というか、くだらないことを「くだらない」と断罪してしまうところがあって、言葉が出てきにくくなる。

「くだらない」と断ずるのは、いつだって自分の中にいる〈他者〉だ。日記だけは、〈他者〉を排除して、できるだけ内にこもって、漏れ出る「内にこもっていた言葉」を残しておきたい。

だから、美麗でも盛られてもいない言葉をつくる練習として、日記を書いている。


②世界を細かく見る練習

最近、日記が長くなってきている。noteに載せるのは、一部のダイジェストのみなのだけど、大体毎日1000文字以上は書いている。

目の前のことを精彩に、ひとつも取りこぼしたくないと思っているのに、取りこぼすから、1日をまた映写機で再生するように書いている。

以前は、視線が自分ばかりに行ってしまい、気づけば自分のことばかり書いていることがあって、私はそれが嫌だった。自分の思考というものは、本来世界との関わりで生まれているはずなのに、世界の景色のことはこれっぽっちも書いていなかった。

見たものを書こうとすると、見えていなかったけれど、見えていたものがあったことが思い出される。その景色に引っ張られて、何を思ったかまで思い出されて、それが何か、自分にとって本当に大切なもののような気がするのだ。

だから、見ている世界を取りこぼさないために、日記を書いている。


③そして、やっぱり読まれたい

そして、やっぱり読まれたいのだと思う。

〈他者〉に取り繕っていない、自分だけが見つけた景色や言葉を、やっぱり誰かと共有したい。それは未来の自分でもあるだろうし、インターネットの海を漂流した先の誰かでもある。

他者に公開する日記というのは、読まれる可能性があることが前提になっていて、だからこそ書かれることは、一定の「表現」を模する。

実は中学生の頃に、手書きの日記を一年間くらい続けていたことがある。実家に帰ったついでに開いたその日記には、思春期真っ只中の「お気持ち」しか書かれていなくて、それはそれはもう恥ずかしくて読めたものではなかった。

日記は、「その時の自分以外にしか読まれない」ことが前提になると、多分ぐちゃぐちゃになる。そして、未来の自分にさえ読んでもらえなくなるんだと、そのとき思った。

私にとって日記を公開する意義とは、書き手である今の自分から、読み手になるであろう未来の自分に渡すための行為だとも思っている。

だから、誰かに手渡す練習として、日記を書いている。


***


とまあ、たまには自分の日記観を俯瞰してみるのも面白い。最近は、少しずつ自分の中の〈他者〉を黙らせて、「くだらない」日常の景色をつらつらと綴ることに慣れてきた。1000文字の日記を書くのに、10分くらいで書けるようになった。これも〈練習〉のおかげかもしれない。

私は何かを書くとき、いつも太宰治の

「風車が悪魔に見えた時には、ためらわず、悪魔の描写をなすべきであります。また風車が、やはり風車以外のものには見えなかった時は、そのまま風車の描写をするがよい」

という言葉を思い出す。それはつまり、あなたが“本当に”見たように、感じたように書け、ということだと解釈している。

これが思っているよりも難しい。私たちの生活には、必ず他者が介在するし、実際に他者を必要としている。そして、知らぬ間に“〈他者〉にとってよい言葉”や“少しだけ背伸びをした言葉”を吐いている。

どんなに拙い表現でも、それが“本当に”自分が見て感じたものであるならば、それはそのときに表現したい「表現」なのであって、嘘でも過剰でもない、私だけの言葉がつくられていくのだと思う。




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