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最高で最強のハッピーエンドに向かって

どんな風に死にたいか、考えることが結構ある。

私はいわゆる「ピンピンコロリ」がいい。
その時が来るまで普通にシャキシャキ歩いて、ご飯ももりもり食べて、友達とくだらないことをしゃべって手をたたいて笑っていたい。
できればあったかい布団ですやすや寝ている間に、死んでしまいたい。

あら、最近ハシモトさん見かけないわね。実は亡くなったらしいよ。えーっ、ちょっと前まで元気だったじゃない。亡くなる前日まで全然元気だったのに、朝気づいたら心臓が止まっていたらしいよ。残念ね、でも素敵な最期ね。……なんて、近所で噂になりたい。

有名人になりたいとか大富豪になりたいとか、そんな仰々しいことは求めないから、「普通」っていう最高の死に方をしたい。

でもそれは、有名人になったり大富豪になったりするよりも、簡単には叶わないと思う。なぜなら「死に方」を自分で選べることはほとんどないからだ。

努力すれば有名人にも大富豪にもなれちゃうかもしれないけれど、どんなに健康に気を付けていても交通事故で亡くなってしまうかもしれないし、不治の病になってしまうかもしれないし、致死率の高い感染症にかかってしまうかもしれない。日本では安楽死も認められていないから、苦しい状態が長く続く可能性も、ある。

死にたくないときに死ぬ可能性もあれば、死にたいときに死を選ぶことも難しい。 

だからこそ、私たちはもっと夢を語るのと同じくらい、「死」について話し合ってもいいんじゃないだろうか。どんな風に死にたいか、どんな風に送ってほしいか、「あの時言っておけばよかった!」と、なる前に。
「もっと聞いておけばよかったな」と、なる前に。



祖父という「ひと」

物心ついてから初めて亡くなった肉親は、父方の祖父。
その時私は大学生で、ちょうど二十歳になったばかりの年末だった。

祖父が初めて体調を崩し入院をしたのは私が十歳の頃。
よく学校が終わった後、真夏のバスに数十分揺られて、母と見舞いに市立病院に通ったのを覚えている。病名や症状は時とともに変化したが、十年間に渡る闘病の末に亡くなったのだった。

年齢の近いいとこ、はとこが数人いるが、その中でも私が一番年上なので、病気をする前の祖父の記憶が多く残っているほうだと思う。

釣りが大好きで、釣り竿を背負ってスクーターにまたがり走っていく後ろ姿をよく見送った。家の中には釣具店の魚拓カレンダーが貼ってあって、高そうな釣り竿が広い土間においてあった。

父子家庭で、私の父や叔父叔母を男手一つで育てた祖父は、料理も得意でよく台所に立っていた。気性は荒いほうで、いたずら盛りのいとこたちをよく「どすめっけ!!」と怒鳴りつけていたが、本当に怒っているわけではないことは誰もが分かっていたから、怖くはない。

余談だが「どすめっけ」とは、いったいどんな意味だったんだろうか。方言なのかと思っていたが、検索してもそれらしい言葉がヒットしない。祖父の造語だったんだろうか、どすめっけ。

お酒をなにより愛していて、なぜか家の中でもいつもキャップを被っていて、巨人ファンで試合が劣勢になるとテレビを勝手に消して寝てしまって、孫たちに美味しいお刺身を食べさせるのが好きで、声が大きくてちょっと照れ屋な、おじいちゃん。

これが私の中の、祖父だ。



祖父は十年に渡る闘病の中で、目に見えるほどのスピードで老いていったし、弱っていった。

足元がおぼつかなくなり、手先は不器用になり、性格はどんどんまるくなり、記憶があやふやになっていった。大好きだった釣りもできなくなって、お酒もたくさんは飲ませてもらえなくなって、どんどん祖父が「祖父」であった輪郭が、揺らいでいくように感じた。

目の前にいるのは間違いなく祖父なのに、見舞いに行って、言葉を交わしているその人が、私はだんだんと祖父だと思えなくなっていってしまった。すごく、薄情で残酷なことだと思う。だってその時も、祖父はその大きな目で私をきちんと見つめていてくれたから。

しわくちゃで細くて、すこし冷やっこくて、血管の浮き出た「祖父だった」人の非力な手と腕の感触を、私は今でも忘れることはできない。  


でもいま大人になって、ふと祖父とのことを思い出そうとすると、私の頭に浮かぶのは元気に釣りに行っていた祖父なのだ。



別れの儀式

祖父の葬式には、デジタルとフィルムの一眼レフを一台ずつ持って行った。
斎場の担当者に確認をすると、読経中などでなければ撮っても構わないとのことだったので、祖父の遺体も親族の様子も、逐一私はカメラにおさめた。

なぜあの時写真を撮ろうと思ったのかは分からない。
もしかすると亡くなった人に対する「弔い方」が、よく分からなかったからなのかもしれない、と今は思う。


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親族で遺影写真を選んでいたが、懐かしい写真に気を取られている



告別式の最後の花入れの際に、カメラを構える私に母が「つぐちゃんも、きちんとお別れを言いなさい」と声をかけた。言われるがままカメラを肩に下げ直し、白い花に包まれる祖父の顔を見ながら、私も声をかけた。何と言ったかは、覚えていない。
ただ、その時の母の「きちんとお別れを」という言葉が、しばらくの間私の中で引っかかっていた時期があった。


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最後の帰宅をし、葬儀場へ運ばれていく祖父



葬儀は、亡くなった人との別れの儀式だ。
そしてそれは大抵の場合「この先も生きてく人」側のための儀式である。故人との思い出を語り、涙をし、気持ちの整理をつけていく作業だ。
祖父の葬儀も、遺された私たち家族にとって「気持ちの整理」のための儀式であったことは間違いない。通夜の席では久々に会う親族とお酒を飲みながら、祖父ことを懐かしく語る場面もあった。

でも私にとっては、「葬儀」そのものよりももっと前に、祖父との別れの儀式がもう済んでいたのだ。筋肉が落ち、力なく、細くなった祖父の手を握った時に、私の中の「祖父」がゆっくりと死に向かって行っているのを感じていたし、「その時」が来ることも覚悟し始めていた。

もちろん私だけではなく、関係の近い親族の多くはそうだったのかもしれない。でもまだ若く、親族の死というものを経験していなかった私にとっては、心で理解している祖父の死を再認識させる「葬儀」の一連の流れは、違和感というか、なんというか、「この世」と「あの世」を無理にはっきりとさせる行為にも思えたのだ。

でも、今となれば当時の母の言葉の意味も分かる。こうして祖父の葬儀を思い返した時に、自分が最後に祖父に何と声をかけたか覚えていないのが、なんとなく悔やまれるのだ。「葬儀」というのは、その時の気持ちの整理とともに、何年も経過して思い返すためのものでもあるのかもしれない。


「その人らしさ」がひとつ、またひとつと消えてゆき、最後には静かに命が消えてゆく。そうして遺された魂の容れ物である体を、親族や親交のあった人々で囲み、弔う。いろいろなケースはあるだろうが、私の祖父の死は緩やかに閉じていった。


祖父は老いていく自分の身体を、心を、どんな風に感じていたんだろうか。

祖父にも「自分の理想の人生の終わり方」があったりしたんだろうか。今となっては聞くことができない。私たちは祖父が思うような送り方を、できたんだろうか。そうだといいなと願う事しか、もうできないのだ。


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祖父の棺にかけられた「別れのことば」




ハッピーエンドを綴っておく

私にはクレバーで最高にファニーなフレンズがたくさんいて、よく「愛」や「家族」、「理想の生き方って?」「人生とは?」みたいなめちゃくちゃ面倒くさい話題で盛り上がることがある。
盛り上がりすぎて「今日頭使うパーティーだね!」と笑いあったことがあったが、冷静に考えて「頭使うパーティー」って名称がすでに頭使われていない感がすごい。


友だちとは「死」について話すこともあるし、お互いの死生観について語り合って、結構違うもんだなあと言いあったりもする。

誰かに話すことで、広がった毛糸が端からクルクル巻かれて一つの毛糸玉になるように、考えが纏まることもある。ディープな話題は相手を選ぶ必要があるけど、だからこそ私はちゃんと身近な人と話し合っておいたほうがいいって思う。

亡くなってしまった人の声はもう聴くことができない。
せっかくだからこの機会に、今の私が考える最強のハッピーエンドを綴っておきたい。



お葬式
家族葬でいいです! 高い保険にも入ってないし、遺品整理とかでもお金かかるだろうし、死に方によっては治療費で結構取られてる場合もあるので。本当にお気持ちで。ちゃっと開いてちゃっと焼いてください。

でもお花は豪華にしてほしいな。あんまり仏花っぽくない、洋風のやつがいいな。

あと死化粧もしてほしい。メイクが得意なフレンズに任せたい。薄化粧じゃなくてちゃんと眉毛かいてラメの入ったアイシャドウして、マスカラ塗ってリップもきちんとライナーで形どってから塗ってほしい。「いつもの私」にしてほしいな。でも死んだらイエベじゃなくてブルべになるのかな。 


友だちにはワイワイ送り出してほしいので、「ハシモト ツグミを送る会」みたいなの開いて、食べたり飲んだりして楽しく過ごしてほしいな。ちゃっかり同窓会みたいにして、昔話に花を咲かせておくれよ。Twitterのフォロワーとか呼んでさ、初めましてから始まる送る会もいいと思うんだ。

他にお願いするとしたら、葬式では女王蜂か米津玄師か、さよならポニーテールでも流してほしいな。選曲はフレンズに任せます。アガるやつでよろしく。

あと棺桶には、できれば私の大事な大事な、テディベアのナルちゃんを入れてください。彼女がいないと安心してあの世で眠ることができないので……。

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延命治療について
例えば、事故や病気で突然私が意思表示ができなくなったとき、延命治療をするかどうかって、選択を迫られることがあると思います。

私自身の考えとしては、「全く意思表示ができない」例えばもう目も覚める可能性のない植物状態などになったら、それはもう「私」ではないので、延命治療は必要ありません。私の身体はそこにはありますが、私の身体がそこにあるだけだと思います。

悩むよね、もし自分の大切な人がそうなってしまったらと想像したら、私にはこの選択は重すぎる。だから、私がもしそうなった時は「コイツそういえばnoteであんなこと言ってたな」と思い出してほしいなと思います。家族が迷ってたら、フレンズたち教えてあげてね。


自分でも悩むのはね、ちょっとでも意思表示ができるって時。

いま「オリヒメ」って分身ロボットがあるじゃないですか。私あれがすごい好きで、学校に通えない子が病室から遠隔操作で授業を受けることができたり、寝たきりの人がロボット操作でカフェで働くことができたり、めちゃくちゃ人生の可能性があるの。
ああいうのをみると、どこかが常に痛かったり、耐えられないほど苦しかったりっていうんじゃなかったら、そうして生きていくのもありなのかなあって思ったりするんだ。


死ぬ前に食べたいもの
お寿司! サーモンとネギトロ、あとえんがわがいいな。
山岡家のプレミアム塩とんこつも食べたいし、スパイスの効いたカレーも捨てがたいな。デザートは森永の焼きプリンがいい。やっぱり贅沢にハーゲンダッツのストロベリーにしようかな。悩むね。


遺品について
良さげなものは山分けしてね。
書いた文章とか絵とかが出てきたら見ないで捨ててください。マジで。
 写真やフィルムは捨ててもとっておいても、どっちでもいいよ。本や漫画は売ってもいいけど、どうせなら必要そうなところに寄贈してほしいな。
服は安物なので全部捨てよう。アクセサリーとか装飾品とかはほしかったらお守りに持って行って。シルバニアファミリーは誰かこどもいる人にでもあげて。


最期のそのとき
自宅で死にたい!とか病院は嫌だ!とか、その辺の要望は特にないです。できればピンピンコロリで死にたいので自宅で寝てたら死んでたわ! というくらいがいいんだけれども。清潔な寝具に寝転がって、外の風景が見える窓が近いと嬉しいかも。

みんなに囲まれて死んでいくの、想像するとちょっと恥ずかしいな。でもマジの親族だけしかいないのも逆に気恥ずかしいな。お任せします。どのみち恥ずかしがってると思います。


全部が終わってから
明日死ぬかもしれないし、誰よりも長生きするかもしれないし、死に関しては本当に予測がつかないもの。この記事を公開する前に死んでしまったらどうしようかと思うくらい、本当にわかんないよね。

私が死んだとき、どれくらいの親族や友人たちが私の死に携わってくれるのかは分からないけれど、あんまり悲しみすぎるんじゃないよ。魂と肉体が離れて、肉体がなくなって、ただそれだけのことだから。

タイミングによっては「無念!」って言いながら死んでいってるかもしれないけど、ご存知の通り結構適当な私だから、向こうでもまたなんか楽しいこと見つけてやっているだろうよ。

たまに思い出しながら酒でも飲んでね。途中で酒の味が薄くなったら犯人は私だ。おいしくいただく。


それから死ぬしばらく前から連絡を取っていなかった、「知人」レベルの人達。「自分なんかが悲しんでいいのかな」と思うこともあるかもしれないけど、別にいいんじゃないかな。

これ、私がすごく思っちゃうことで、「数回しかあったことない人が亡くなった」とか「学生時代にちょっと知り合いだった人が……」っていうとき、私なんかが悲しんでいいんだろうか、最近は関わりなかったけど…… と考えてしまう。

でも私が死んだ側だったら「思い出してくれてありがとう、死んだけどまたよろしくね!」という気持ちかなと思います。死んでから再構築する人間関係って何だろうな。


私が死んでしまって生活がガラリと変わる人も、ほとんど変わらない人もいると思う。
変化のある人は日常を新しく始めていくことが必要で、それってとっても労力のいることだと思うから、休み休みやってね。きちんと寝てきちんとご飯食べて、気分転換に遊んだり働いたりもして、そうして新しい生活を送っていくんだよ。



最強ハッピーエンドの条件

書き出してみると思ったよりも要望が平凡で笑ってしまった。

やっぱり死んでみないと分からないこともあるから「アレ言っておけばよかったー」ってこともあるかもしれないけれど、今思いつくのはこれくらい。
全部が叶うわけじゃないと私も思っているから、叶えられなくても残されたみんなは悔やんだりしないでね。

結局人生がどんな風に終わったらハッピーエンドかなんて、生きていく一瞬一瞬で変わっていくんだと思う。
いまはこんな風に平凡に死にたいと思ってるけど、明日にはドラマチックな恋に落ちて悪の組織から狙われて、愛の逃避行の果てに心中したいと思ってるかもしれないし。ないと思うけど。

でもどの人生にも果てがあって、そのすべてに共通する「ハッピーエンド」は「好きな人たちに送ってもらう」ってことなんじゃないかと思う。
これは「その時を看取ってもらう」って意味じゃなくて、報せが届いた人たちに私を思い出してもらって、懐かしんだり少し悲しんだり、私のことを考える時間を作ってもらうって事。
それは葬儀でもいいし、送る会でもいいし、ひとりひとりの時間でもいい。そういう風にして、私が大切に思ってたひとたちと最期の時間を過ごせるのが、最強のハッピーエンドだと思うな。


そして生きていくこと

私は今年で二十八になる。
この記事を書きながら、自分に襲い掛かる「死」をイメージしたとき、どうしても今の若いままの自分が死にゆく想像しかできなかった。

もし、祖父のようにゆっくりと老いていったら、どうだろうか。
生きながらもアイデンティをひとつ、またひとつと失っていくような老いがやってくるとしたら、その時私は自分を「私」だと思うことができるんだろうか。
老いというのは、前もって体験しておくこともできないし、想像するにしてもあまりにも乏しい。

でも私は、老いた私より、あなたの記憶の中にある一番元気で楽しそうな私を覚えていてほしいと思う。しわしわのよぼよぼのおばあちゃんになってからもメチャクチャ元気で楽しそうなら、それはそれでハッピーエンドだ。

死はいつもそこにあるけれど、いつ来るか分からない。他人事のようで、実は身近なことだったりする。

「終活」って言うと年配の人がするイメージで、若いうちは「死」についてはなんとなく話題にしにくいことだけれど、タブー視せず、フランクに話せる内容から対話していったらいいんじゃないかと思う。


最高で最強のハッピーエンドに向かって生きていくのも、たぶん結構楽しいよ。


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ハシモト ツグミ

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