フリー写真_雪降る夜_

クリスマスを待つということ

幼稚園児だった頃、園の先生が外国製のアドベントカレンダーを用意してくれたことがあった。

12月1日から毎日一枚ずつ、先生が日付部分の紙を切り取る。そうすると、かわいらしい飾りや楽しそうなおもちゃなどが出てきて、まるで毎日プレゼントをもらっているような気分だった。
それ以来わたしにとってアドベントカレンダーは、キラキラとしてかわいくて楽しくて待ち遠しい、クリスマスの夢を詰め込んだ代物となった。

それにもかかわらず、アドベントカレンダーを体験したのは園児時代の一度きりで、それ以降のクリスマスではアドベントカレンダーへの憧れを多分に抱きながらも、手にすることは叶わないままだった。
ケーキもプレゼントも姉と毎年乾杯するシャンメリーもあった幸せなクリスマスではあったけれども(子ども時代は)、夢の結晶ともいうべき存在が不在だったことによって、なんとなく燻る思いを抱えたままだった。

しかし、今年は違う。

11月の段階ですでにアドベントカレンダーを入手し、12月の初日から日ごとに日付をめくり贈り物を受け取って、クリスマスを待つ生活をおくっている。

きっかけはニトリのCMだった。
クリスマスツリーやオーナメントと一緒にアドベントカレンダーが宣伝されているのを見たのがきっかけで、園児時代の楽しい思い出が一気によみがえった。
それに加えて、ニトリのアドベントカレンダーが塗装されていないシンプルな木製で、自分たちで中に物を仕込むスタイルだったのも気に入った。

「これは買わなければ!」と熱い思いを抱え、勇み足で最寄りのニトリへ乗り込んだものの、なんとすでに在庫切れ。
店員さんに調べてもらったところ、他店舗でも売り切れ間際とのことで急いで取り寄せの予約をし、一週間待ってようやく手に入れたのである。

そういうわけで、今年のクリスマスは、プレゼントの代わりに夫と二人でアドベントカレンダーにお菓子を仕込むことにした。
わたしが奇数の日で、夫が偶数の日。想像以上に引き出しが小さくお菓子選びはかなり難航したが、帯状をした駄菓子の酢だこをくるくると丸めて詰め込んだのは、我ながらいいアイディアだったと自負している。

来年はお菓子を仕込むだけではなくて、屋根の部分を好きな絵の具で塗るのも楽しみだ。
そうやって毎年少しずつ自分で色をつけていって、数年後にはオリジナル塗装のカレンダーが出来上がる計画である。

今年はすでに11日分の日付を空けてしまったので、もうすぐカレンダーに仕込んだお菓子のうち半分が空になってしまう。そう考えるとなんだか感慨深い。


一日の終わりに大事な人とカレンダーの引き出しを開けて、出てきたお菓子を頬張る。
あたたかいお茶を飲む。
その日の出来事を伝え合う。
お菓子の包み紙が綺麗に折り畳まれていくさまを見つめる。
笑う。驚く。なごり惜しげに包み紙を捨てる。
カレンダーの引き出しをそっと閉める。

豪華でなければ華やかでも「映える」わけでもないが、クリスマスを待ちながら日をおくっていくその瞬間は、わたしにとって何よりの贅沢だ。

今日は偶数日。夫が仕込んだ引き出しを、わたしが開ける日である。
今夜のおやつは何だろう。






長く続けることをモットーに励みます。