練習が人を自由にさせる

まずは自己紹介

Club阿闍梨の森田次彦です。Club内では「つぎさん」と呼ばれています。Club阿闍梨でAdvent Calendarをやろうということになり、それようの記事を頼まれたので、思うことをだらだらと書いてみます。

Climbingにはまって……

Facebookでつながっているメンバーには今更だと思いますが、Climbingにはまっています。東京2020の正式種目に決まったせいか、この業界は大変盛り上がっております。おかげさまで都内にはあちらこちらにクライミングジム(主にはボルダリングですが)がオープンしております。遊ぶ場所に困らないというのは大変ありがたいことで、朝な夕なに勤しんでおります。
東京2020以降どうなってしまうのか?という心配もありますが。

この半年ほど、三鷹にあるジムをホームとして足繁く通っております。Climbingにもいろんなスタイルがあるんです。その中に岩の割れ目(クラック)に手や足や時には体全体を押し込んで登っていくっていうスタイルがあります。Trad Climbingって言うらしいんですけどね。このTradスタイルに興味があってたどり着いたのがこのジムなんですね。

今年の9月にアレックス・オノルドの「solo」という映画が日本でも公開されました。この映画でも、アレックスが壁の割れ目に手を突っ込んで登っている映像がふんだんに使われていたので、映画を観た人は想像つくかなぁと思います。

単なる遊び場か文化の発展か?

このジムに初めて訪れたときぼくの目に一番に飛び込んできたのは、受付カウンターに置いてあったアレックス・オノルドの自伝でした。実はこの方、ぼくが一番好きなクライマーでして。
この人の自伝があることにも驚きなんですが日本語に翻訳してあるものが、クライミングジムの片隅で販売されているということにある種の感動すら覚えました。即、購入したことは言うまでもありません。

で、このジム、いろんなイベントを主催するのも特徴なんです。
映画「The Push」の上映会&トークイベント
(※書籍「The Push」の発売も)
登山家からフリージャーナリストに転身された方のトークイベント
映画「RotPunkt」の上映会
など、『単にClimbingって楽しいよねぇ~』だけじゃなく、そこに関わる人の生活だとか背景だとかそういったものに触れていくようなイベントも開催しています。

このあたりはオーナーの個性なのかなぁとも思いますが。オリンピックブームに乗っかってClimbingを盛り上げるとかじゃなくて、オリンピックがあってもなくてもClimbingが文化として定着するように心がけているのかなぁと勝手に思っています。

自由という文化

Climbingにもいろんなスタイルがあることは先ほど触れましたが、どんなスタイルのClimbingも楽しみたいし、どんなスタイルも楽しめる応用力(地力)をつけたい、というのが目下のモチベーションとなっています。

映画「RotPunkt」の中で、「壁を登ることはクライマーにとって表現であり、どんなクライマーも自由に登りを表現すればいい」といったフレーズが出てきます。これを観てあるフルート奏者の言葉を思い出しました。
「練習だけが、(ステージでの)私を自由にしてくれる」
という言葉です。
フルート奏者である彼女は、もちろんステージの上でフルートを奏でることで自分を表現します。その表現(演奏)を通して、今この瞬間、自分が何者にも束縛されず自由であることを体現している、と言うことなのでしょう。そして、この自由をもたらすものはただ一つ、練習だけであると。

Climbingも同じようなものだなぁ。自然に屹立する壁に取りつき自由に登る、それも安全に。それには練習を重ねていく以外に道はないのだなぁと。

Club阿闍梨のメンバーが楽しんでいるナビゲーションも同じようなものでしょう。誰もが選ぶルートもあれば、誰も選択しないルートもあります。ですが、基本的にどのルートをとろうが、それは選手の自由です。選択したルートがそのテレインに対する選手の表現であり、その表現は限りなく自由であるはずです。もちろん安全が確保できる範囲でですが。そして、そのような自由を楽しめるのも練習があってのことです。

社会というものは色々と制約の多いもので、それ故一定の息苦しさがつきまとうものでもあります。そんな社会の中で、一時でも「制約を忘れて自由を謳歌する」ことができるClimbingやナビゲーションアクティビティを趣味として見つけることができて(もちろんClub阿闍梨の皆さんと出会えたこともふくんでますよ)、なかなかいい人生じゃないかとひとり悦に入ったりもします。

そんなわけでClimbingやナビゲーションを通して得られる自由を堪能し、また、そうした文化を発展継承(ちょっと大げさ)できるような人間になりたいなぁと、いい大人が子ども染みた夢を描いているのです。

おしまい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?