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米中対立で最後に勝つのは誰か “ネーション・ステート”の黄昏(連載#2)

前回は米中の覇権争いをめぐる議論が「米中のどちらがよりダメか」問題になっていること、いま世界はリーダー不在のまま世界的危機に直面しているのに、ともにリーダー役を果たせないでいる米・中のどちらが勝つかを議論する意味がどれだけあるのか?とツッコミを入れた。

今回は予告どおり、「21世紀の覇者は米国でも中国でもなく、ネーション・ステートはみな衰退していく運命ではないか」仮説を展開したい。

「主権国家」が均しく疲弊していく未来

「コロナ禍は今後の世界のあり方を大きく変える」という見方が増えている。その全体像は誰も見通せないが、米中だけでなく世界中で、国家財政が大きく傷つくことは確実だ。
本連載 「第二次世界大戦以来最も困難な闘い」ー国民の生命と暮らしをどう守るか

米国連邦財政は第2四半期に従来見通しのほぼ2倍、3兆ドルの借り入れを行うらしい(関連記事)。そのまま4倍して年間12兆ドルということはないにしても、米国GDPが20兆ドルだから、向こう2~3年の間にGDPの50%近く財政赤字が増大すると予測しても、荒唐無稽ではないだろう。「戦時財政」と違わないマグニチュードだ。

中国だってそうだ。中国経済の抱える問題点は本欄でも取り上げてきた。
本連載:中国のゆくえ -「中国=大きな振り子」説を提唱する(その4) 中国財政はこれから再び窮乏化する

激烈な封じ込め措置によって、雇用の8割を担う民営企業が大きく傷付き、従業員の多くがリストラ(解雇が難しいので4~6割の賃金カットが中心)されている。6000万人とも言われる建設労働者も多くが仕事を失った。

世界に先駆けて封じ込めに成功したとは言え、企業の事業を継続させ、雇用と暮らしを守るためには、相当多額の財政支出増を余儀なくされるだろう(20世紀の「福祉国家」が経験したことのない問題に、世界中が直面しており、中国も例外ではない)。

これまでも「中国一般政府の財政赤字は、GDPの10%を超えている」と警告してきたIMF式に計算すれば、正味の財政赤字は1年でGDPの15~20%に達してもおかしくない。

しかも、「政府の信用」に支えられた地方政府や国有企業などの負債はデフォールトになりにくいが、潜在的には債務者が自力では返せない不良債権が膨らんでいる。その裏側では、もらう資格のない融資や投資に利子や配当(最低でも年4~5%分ある)を払い続ける結果、資源配分は大きく歪められ、政府が国民の暮らし向きに移転できる財政規模はいよいよ小さくなって国民の不満を高めるだろう。

「米中共倒れ」の構図?

そこで脳裏に浮かんで来るのは「米中共倒れ」の構図だ。厳密に言うなら、「米国でも中国でも『政府』という存在がこれまでの役割を果たせなくなっていく」未来だ。

この仮説には違和感のある方も居るだろう。「アフターコロナの時代にはグローバリズムが退潮を迎え、ナショナリズムとネーション・ステート(主権国家)が復権する」という言説が見られるからだ(例として、FT紙の“Nationalism is a side effect of corona virus”)。

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私は違うと思う。いっときはそうでも、長期的にはむしろネーション・ステートが衰退していくのでは?・・・そんな風に感じるようになったきっかけは二つある。

一つは、ずいぶん昔になるが、2012年に米国国家情報会議が発表した「グローバル・トレンド2030 未来の姿」が、(米国や同盟国に集中していた)パワーが拡散していく未来を描いたことだ。 ※原文はこちら

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パワー拡散のあり方として中国を始めとする途上国の台頭のほか、「ノン・ステート・アクター」の台頭も取り上げられていたことが頭に刺さった。
当時は環境NGOとか国際テロ集団のことかと思ったが、最近はGAFAのようなプラットフォーマーの方が国家から権能を奪うアクターとして「らしく」なってきた。

情報アーキテクチャーの発達

もう一つのきっかけは、情報技術の発達によって21世紀の人類社会が根底から変容しつつあるという指摘に接したことだ。

筆者が読んだ大屋雄裕著「自由か、さもなくば幸福か?」(2014年筑摩選書)は、19世紀型近代国家は「自由で自立的な個人」による代議制民主政体(というドグマ)で支えられ、独占排他的に権力を掌握して国民の幸福と安全を担ってきたが、20世紀に何度も機能不全を起こした(二度の世界大戦や革命)。

そして21世紀のいま、情報技術(アーキテクチャー)が個人の利便や安全を大幅に向上させる役割を担い始めることによって、国家の排他的権力独占が崩れて、権力が国境を越えて中間団体や個人に拡散する「新しい中世」(※中世には「主権国家」が未だ無かった)を迎えつつあると論じる。

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監視・行動トラッキング・信用スコアリング、ビッグデータなどの技術は、「監視社会」的な危うさを孕みながらも、人々の暮らしの利便性と安全性を着実に向上させている。

中国はコロナ禍封じ込めに行動トラッキングやスコアリングを用いたアプリがどれほど有効であるかを世界に実証して見せた。それを目の当たりにして「監視社会中国」を嫌ってきた米国でも、企業が社員の「健康管理」のために、続々と類似のアプリを導入し始めたという(WSJ紙

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ウーバーのようなシェアライドの例を取ると、国家権力が情報アーキテクチャーで置き換え可能になる様をより可視化できるかもしれない。

主権国家は「タクシー事業の健全な運営と乗客の安全や利便の向上」のために「道路運送事業法」といった法律を制定し、タクシー事業を許認可事業にする。その規制の中で料金やドライバー教育に監督を及ぼしていく訳だが、その許認可の制度が業界の既得権益になり、業界と監督官庁とのなれ合い、果ては族議員といった負の副産物を生む。

しかし、シェアライドシステムによりドライバーと乗客が相互スコアリングで「星」を付け合えば、不良ドライバーは駆逐され、態度の悪い乗客も乗車できなくなり・・・と、事業の健全な運営と乗客の安全や利便の向上が図られるようになるので、余計なコストや副作用を生む法規制は不要になるかも知れない。

20世紀まで人々の暮らしや仕事、ものの考え方に影響を与えた国家権力や「第四権力」と呼ばれてきた在来マスコミはみな斜陽産業だ。代わっていま人々の暮らしや仕事、ものの考え方に影響を与えているのは、情報プラットフォームだ。

いまや我々はLINEやツイッター、GoogleやAmazonに触らずに過ごす日はない。そこで我々に何らかの考えを持たせたり、何らかの行動をさせるように仕向ける力、それが21世紀の権力であり、大屋雄裕教授の主張する21世紀の人類社会と権力の変容はこのように進むのだろう(と私は理解した)。

予定の字数を超過したので、今回はここまでにして、次回はもう少し具体的に国家権力が情報アーキテクチャーの担い手に拡散・簒奪されていくイメージを描いてみたい。

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