中国のゆくえ -「中国=大きな振り子」説を提唱する -(その1)


「中国の経済成長を助ければ、一昔前の台湾や韓国のように中産階級が育って、やがては中国の政治体制も民主化するはず」・・・こう期待して、政治体制の異なる中国を世界経済に引き入れて経済成長を助けてきた考え方を「関与(engagement)政策」と呼ぶ。

米国では、中国ビジネスを拡大したい経済界の後押しもあって、長らく関与政策が対中政策の基調だったが、この数年で様子が一変した。対中警戒感の高まりに伴って、「関与政策は誤りだった」という声が一挙に高まったのだ。

そうなったのは、いまや「米国のGDPを追い越すのはいつの日か?」が問われるほどに中国が経済成長したのに、期待した「政治の民主化」は進むどころか、かえって「逆走」している現実が誰の目にも明らかになったからだ。

「関与政策誤り」論は視野が狭い

こうして「関与政策誤り」論は、いまや誰も疑わない定説になったかのようだが、私は本稿で違った視点を提供しようと思う。

たしかに、過去20年間の中国の振る舞いを振り返れば、「関与政策は誤りだった」と思える。とくに習近平政権が誕生して以来、言論の自由は抑圧され、政府に異を唱える人士は逮捕拘束され、国有企業ばかりが大切にされるようになった。

それどころか、トップの任期を定めた憲法規定が削除されて終身制の途が開かれるわ、個人崇拝が目に付き始めるわ、中国民主化への期待は「ダメ押し」を喰らうように否定された。

しかし、30~40年前の1980年代まで遡って回顧すると、違った構図が見えてくるのだ。

中国の「思潮」の対立を「左vs.右」で整理する

政治や経済の運営方針の土台となる考え方を「思潮」と呼ぶとしよう。西側にもリベラリズムや新自由主義といった異なる思潮があるように、中国にも異なる思潮がある。細かく分類すれば流派は様々だが、ここでは「右」と「左」の対立軸で分類する考え方を採用する。最も簡明な二分法だ。

中国の「右」思潮とは、政治面では自由・民主・人権といった西側価値観に親和的で、経済面でも市場経済原理を重視する改革派の考え方を指す。逆に「左」思潮は、マルクス・レーニン主義に則って社会主義公有制の堅持を謳い、政治的にも保守的で国粋主義的傾向が強い考え方だ。西側の用語法とは逆な感じだ。

1990年代、経済政策が西側親和的な「右」に大きく振れる

1980年代は改革開放が進んだ時代だ。政治民主化の気運もそれにつれて高まったが、1989年の天安門事件で一挙に潰えてしまった。

しかし、鄧小平は民主化運動を冷血に弾圧したが、それでも「中国もやがては世界の主流に『合流』(注1)していく。ただし経済発展が先で、政治体制改革を進められるのは、もっと後だ」という考え方だった(注2)。

こうして1990年代は政治の民主化が停滞したが、一方で経済政策が「右」方向に大きく振れた時代だった(注3)。私は1990年代後半に北京に駐在していたので、経済政策が「右」旋回したこの時期の雰囲気をよく覚えている。その流れを象徴したのがWTO加盟問題だ。

市場経済と競争を重んじる自由貿易体制の考え方は社会主義公有制と相容れない点が多いが、1990年代の中国はWTO加盟に向かって突き進んだ。それまで社会主義公有制の中国で「日陰者」だった民営企業の存在が公式に認知されたのも同じ頃で、「民進国退」(注4)という言葉がよく聞かれるようになった。

昨今「関与政策誤り」論を補強するように、「中国は改革するふりをして我々を騙してWTOに加盟した」と唱える向きがあるが、それは当時を知らない人の言うことだ。

当時も左派・保守派の立場からWTO加盟や民営企業認知に反対する声は根強く存在していた。それでも江沢民・朱鎔基の政権は反対を押し切ってWTO加盟を進め、最後には体制内の意見を「WTOに加盟できなければ中国に未来はない」線で統一することに成功した。

1990年代は「関与政策」がワークした

このように、回顧のスコープを1990、80年代まで拡大すると、「関与政策」が機能したように見えた時期があったことが見えてくる。政治面は天安門事件による大後退で見えにくいが、経済面を中心に、中国が西側の体制と価値観に接近した時代だった。

ところが、2001年にWTO加盟を果たした後に風向きが変わり、左派・保守派の声が優勢になった。「関与政策あやまり」論はここからの景色を見ている。2005年頃からは、改革派の方から「民進国退」が逆転して再び国有企業が復活する「国進民退」が起きているという不満・批判の声が聞かれるようになった。

こんな潮目の変化が起きたのは何故か?

私はこんな動きを題材にして、「中国=大きな振り子」仮説を提唱している。政治にせよ、経済にせよ、中国という国は、思潮が「右」と「左」の間を周期的に揺れ動く大きな振り子のような国だと喩える訳だ。仮説の核心部分は、振り子の向きを変える因子は何なのかを推論するところにある。次回はこの点を論じたい。


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注1: 当時、経済や政治体制などで中国が世界の主流に合流していくことを「二つの線路が合流する」という意味の鉄道用語「接軌」という言葉で表した。


注2: この考え方を「新権威主義」と呼ぶ。馬立誠著「当代中国八種社会思潮」(2012年社会科学文献出版社刊)20頁"関于新権威主義的争議"

注3: 厳密に言うと天安門事件直後、「改革開放策などを進めるからこんな事件が起きたのだ」という保守派の批判が高まって改革開放が否定されそうになったが、1992年2月、既に一線を引退していた鄧小平が「南巡講話」キャンペーンを敢行して押し戻した。

注4: 「民営経済が前進して国有経済が後退する」という意味。「国進民退」はその逆。

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