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#1 僕がフリーランスになるまで - アルバイト編 -

僕がフリーランスとして独立するまでに経験してきたことを複数回に分けて、公開していこうと思う。

フリーランスを目指している人、フリーランスに興味を持っている人に何かしらの参考になれば幸いです。

僕がWeb制作会社に所属するまでの経緯は、下記の記事を読んでいただくとわかります。

僕が最初に所属したWeb制作会社は、秋葉原にある20人程度の小さい制作会社だった。

雇用形態はアルバイトだったが、給与はなぜか月額固定という謎のシステムだった。
確か手取りで20万程度だったと記憶している。

営業と制作で部署が分かれていて、僕は制作に所属していたが、ただ制作するだけではなく、お客さんのところに行って打ち合わせをし、納品まで自分が担当する、Web制作の一連の流れを全てひとりでやらなければならない、そんな制作会社だった。

案件を取ってくるまでが営業、取ってきた案件を納品するまでが制作、という感じ。

当時、僕は既に「将来フリーランスになる」と決めていたので、Web制作の一連の流れを自分一人で担当できたことは、とても貴重な経験になった。

この制作会社に所属して3日目には徹夜していたのを今でも覚えている。
今でこそ徹夜文化は減った業界だが、当時は、徹夜が当たり前だった。

僕はWeb制作会社に入りたいという気持ちが強かったので、3日目で徹夜になり、逆にテンションが上がっていた。

「Web制作会社は、やっぱりこうだよね!!!」

みたいな。今思うとおかしい。
床にダンボールを敷いて、笑顔で寝ていた。

所属して1週間後には、誰かに何かを教わるわけでもなく、お客さんのところにひとりで打ち合わせに行っていた。

ほぼ未経験者で、Webサイトの知識もあまりない僕が、Webサイトを作りたいという会社の担当者に会って、何を話すんだろう。
この制作会社もよく僕をひとりでいかせたな・・・、と思う。

「私、行けなくなったから、吉本さん、ひとりで行ってください。」
担当ディレクターに言われた。

へ?
自分、初体験なんですけど。

で、気がつけばお客さんの会社の受付にいて、インターフォンを押していた。
担当の方が若い女性スタッフだったのを今でも覚えている。
(やはり初体験のことは今でも記憶に残っているんだな、と記事を書きながら思った。)

「え〜、どういうホームページにしましょうか・・・」

そんな出だしだったのは覚えているが、その後、何を話したか全く覚えていないが、担当の方がとても親切な方だったことは覚えている。

当時、僕は24歳くらいという若さと、Web業界に入りたいという気持ちが熱くなっていたということもあり、知識も技術はない代わりに、若さと気持ちで乗り越えてきたんだと思う・・・、たぶん。

早いもので、数ヶ月も経つと仕事に慣れてくる。
というのも、毎日遅くまで仕事し、徹夜も当たり前(1週間ずっと会社にいたこともあった)、こんな感じで働けば、そりゃすぐ慣れる。

制作の他の方々もみな良い人たちばかりで、デザインを教えてくれたり、実装の知識も共有してくれて、一人完結でWebサイトが公開・納品までできるようになってきた。

所属していた会社は、大手の会社の関連企業ということもあり、そこの営業がガンガン案件を取ってくる。

「〇〇という会社のホームページを受注したので、あとよろしく〜」

こんな感じ。

会議室に受注した会社情報と要望が書かれた紙が並べられ
「はい、この会社の案件は、吉本さん、お願い〜」
みたいな。

案件を割り振られると、後は各自で公開・納品までよろしく。

お客さんのところに電話して、打ち合わせの日程を決める。
デザインして、確認を取りながら、実装を進め、納品・公開。

もちろん、案件は並行。
エクセルで案件の管理をしていたが、多い時で16案件抱えたこともあった。
エクセルの表を眺めて、笑うしかない。

全ての案件の進捗を出すには、1つ1つの案件を牛歩で行くしかない。
TOPページのデザインができました、TOPページの実装が終わりました、TOPページの修正が終わりました・・・。
という感じで、小出し小出し。
いつまでたっても納品にたどり着かない。

「〇〇の案件、納品まだ?」
上の人に言われる。

無理だよ、こっちは牛歩作戦なんだから。

僕だけじゃなく、全員が案件を多く抱えているからトラブルも多い。
この制作会社でのもっとも衝撃的なトラブルは、神奈川にあるホテルグループのリニューアル案件。
これは忘れられない。

顔合わせの最初の打ち合わせ当日。
関係者全員が参加する。

グループ会社なので、3ホテルの各代表と副代表、グループ全体の代表と副代表、計8名。
こちらは関連会社である大手企業の営業担当と、弊社ディレクターと僕の計3名。

僕は、アシスタントということで参加・・・のはずだった。

クライアント先のホテルの会議室で打ち合わせが行われる。
とても立派は広い部屋。

打ち合わせ直前、ディレクターから電話。

「ごめん、遅れる。」

へ?
まじか、まじでか。
打ち合わせの資料は、全部あなたが持ってるんですよ?
自分は、呑気に手ぶらで参加しちゃってますよ?


営業担当が、この状況を知って一言。

「吉本さん、進めてください」

うん、無理でしょ。
手ぶらだもん。

席から立って、ホワイトボードの前に立つ。
一斉に視線が集まる。

8名のお偉いさんの眩しい目と、営業担当の力の入った目。
この地獄的な光景は、ずっと記憶に残るんだろうな。

「え〜、ホームページとは・・・」

この後、僕が何を話したのかは覚えていない。
人間とは忘れられるという能力がある。素晴らしい。


こんな経験をしながら、僕はWeb制作全般のスキルを伸ばしてきた。
ところが、この頃から徐々に先輩たちが次のステージに進むために、この会社を去っていった。

所属して8ヵ月立った頃には、僕は早くも古株になっていた。
そうなると、僕は教わる側ではなく、教える側になり、物足りなさを感じ始めていた。
僕はもっとスキルを学びたい。

この会社に所属し、Web制作全般に携わることができ、その中で、僕は実装が好きだと実感していた。
実装のスキルをもっともっと磨きたい。

でも、教われる人が近くにいない。
だから、転職しよう。

派遣会社に登録して、職種をHTMLコーダーに絞って、転職先の会社を探した。
当時は、HTMLコーダーの人材が不足していたので、転職先はすぐに決まった。

結果、この制作会社には約9ヵ月しか所属しなかった。
ただ、あれから既に14年ほど経っているが、ここで一緒に働いた人たちとは今でも繋がっている。

ここで働いていた人は特に、この業界で活躍するぞ、という気持ちが特に熱い人たちだったと今でも思う。

そして、彼ら彼女らはいまでもこの業界で活躍している。
そんな人たちと一緒に働けたことで、僕の中でもこの業界に対する熱意というものを育ててもらえたのかもしれない。

石の上にも三年
という言葉があるが、僕は振り返ると、この業界では「どの石の上に座るのか」がとても重要に思う。
あるスキルを学びたくても、学べない状況に置かれた会社に、いずれ学べる状況が来るかもしれないと3年我慢しますか。
他の会社に移ることで、そのスキルをすぐに学べるかもしれない。

職務経歴書が汚れる?
昔の人は、よく職務経歴書を気にする、そんなイメージがあった。
この業界、今でもそうでしょうか。
自分の中でちゃんとした理由があって、その理由を裏付けれるような実績やスキルがあれば、経歴書はそこまで影響しない。
それでも、経歴書で判断されるなら、そこに転職しなくてよかったと思えばいい。

スキルさえあれば、転職はできる。
だから、スキルを学ぶことにもっと貪欲になって、自分を磨き続ければ、自分が進める道の選択肢は増える。

と、僕は思います。


僕が次に転職したのは、大手広告代理店。
そこで、僕はHTMLコーダーとして、スキルを磨いた(つづく)

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