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北海道知来別の小さな村20240526

田舎に住むということの意味

この根源的な問いからこのプロジェクトはスタートしています。田舎暮らしをしたい人の理由を聞くと、都会の中から出てもっと自由に暮らしてみたいとか、ストレスのない社会で生きていきたいとか、そこにはさまざまな理由があげられます。他にもオーガニック農業をしたいとか子供の教育のためというのもありますね。どれもがそうだなあと思うものの、それだけでは十分に説明できないように思うのです。
少し小難しくなりますが僕の考えを書いてみます。
まずは我々の社会システムについて、ここへの課題や疑問があります。
私たちの社会システムは人間が多く集まる都市を前提に作り、産業革命以降資本主義経済、貨幣経済を中心に組み立てられました。富の増大が豊かさの指標になりました。人口は爆発的に増え、農村から都市への人口流入が起きました。確かに経済的発展はしたし、ものも買えるようになり豊かさを享受したのは間違いありません。豊かになると、もっと多くの富を得たいと思うのがこの社会システムです。しかし人はそのことで幸せになったのでしょうか。そこに疑問が生まれてきたのです。暮らすことより稼ぎのある仕事が優先されるようになります。例えば家事労働の効率化、軽減という考え方も外での稼ぎのある仕事が優先される現象です。しかし家の掃除をし、洗濯をし、料理をするというのは暮らす上でとても重要なことであることは間違いありません。また人口増加も下降へと転じると生産人口が減り、また医療の発達による長寿化は少子高齢化という現象を生み出し、老人の孤独や不安が増大します。お互いに支え合うという地域コミュニティが希薄になります。地域コミュニティで行ってきた助け合いは、行政サービスへと添加されていったり、民間のサービスとしてお金を払うことで解決へと向かっていったのですが、支え合いという人と人との関係性を失うことにもなりました。こうした事例はさまざまな局面に現れ、近代という現在の社会システムの綻びが浮かび上がってきたのです。

次の時代に向けて
さてそうした時代に私たちはどのように新しい未来社会を創造し、そこへシフトしていくことができるでしょうか。いきなり明日から全く違う社会が現れるわけではないでしょう。そこで考えられるのが今いる社会環境を変えてみることだと考えたのです。そして今までの価値観、例えば大きいいこと、多いこと、早いこと、便利なこと、わかりやすいこと、説明のしやすいことなどと反対側にあることにウェイトを置いてみることだと考えました。つまり小さなこと、少ないこと、遅いこと、不便なこと、分かりにくいこと、説明の難しいことなどです。
さらに大事なことは自然との関係です。私たちは自ら持っていた自然の中での身体の感覚を、近代以降の都市生活の中で退化させてしまいました。地面から伝わってくる四季折々の生命の息吹や、虫や動物と共存する中で、それぞれの境界を知っていくことができます。何より人間が作り出す人工的な世界が自然への影響を最小限にしていかなかれば生態系が壊れるということを知っていくでしょう。そして人間が生きていくために必要な水、火などの大切さ、さらに排水をどう処理していくのか、自然エネルギーをどう活用していくのかなどさまざまな実験が必要にもなるでしょう。

こうした環境での生活を後押ししてくれるのが通信・ネット環境とも言えます。我々は山の中で仙人のような暮らしをするわけではありません。遠隔地との仕事もすることが容易にできるようになりました。これは利用しない手はないでしょう。AIも存分に使うべきでしょう。仕事にかける時間をできるだけ短くして暮らしにかける時間を長く持つようにします。遊ぶ時間も大切です。突然くる来訪者と長い時間話し込むこともあるでしょう。
ともあれ田舎での暮らしを実践するためには今までとは仕事の仕方のウェイトを変える絶好の機会なのです。通勤時間もなくなります。会議のための資料も準備を十分に整え、短い時間で済むようにしましょう。仕事は早く効率的に、暮らしはゆっくりとがモットーです。

こうやって今の仕事もしながら田舎暮らしを始めます。それは未来に対するサバイバル実験です。半自給的な暮らしや地域コミュニティーとの関わり、そしてオフグリッドへの実験を繰り返し、さらにこの場所に集まってくる人との関係を高めながら、同時に遠くの人たちとのネットワークも広げていきます。そのネットワークには国内だけでなく世界の人と繋がっていくと良いでしょう。たまに都会に行き、誰かと会うのもいいかもしれません。田舎で暮らすという一見小さな閉じた世界を考えがちですが、小さいからこそ開かれる、何もないからこそ、多くのものが入ってくるという境地を作っていくという考え方もあるのではないかと思います。

ここでは、外貨を少し稼ぐこともします。ここは札幌からも千歳空港からも1時間強、便利な場所です。近くにはルスツ、ニセコとスキー場もあります。羊蹄山に登る人も多くいます。春過ぎには川釣りのメッカ、一月ぐらいなら毎日違う川に行くこともできます。そして誰にも会うことはありません。しかし孤独ではありません。その後の時間、人と会うこともあるでしょう。仕事もあるでしょう。

孤独について
高齢になると孤独が怖いと言います。都会の中で一人でいるとこうした孤独感に悩む高齢者も多いと、いや高齢者だけでなく若い人でも起きるかもしれません。しかしこの孤独感こそ、近代が産み出した幻想です。田舎にいると孤独な老人というのにあまり遭遇しません。暇な老人という人にもあまり会いません。毎日やることがたくさんあります。そして何より自然の美しさを感じれること、そこに満たされた感覚を見出すことができるのです。これは勝手な妄想かもしれませんが、現代人は忙しくしていないといけない、スケジュール表を埋めることが大切だと思い込んでいるのかもしれません。何もしないということを言っているのではなく、ゆっくりとしかし早くそれが達人の領域だとも思うのです。その鍵は田舎にあると思っています・

こんかいの内容は多くのしかも多方面に渡りますので、また整理が必要ですが書いておきたいと思います。



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