京アニ事件と受け継がれているもの

いい取材記事だなと思った。

たしかに、「勇気」という言葉は、最近だと無謀なことをやってみる人とか、エクストリームな体験に突き進んでいく人に対して使用されている感覚がある。

最近の世相ではあまり聞かなくなったが、2000-20年くらいまでは、資本主義のゲームの中で、個人で生き残っていくためには、自分の成長のために勇気を持つ必要があると、本屋にはそういった本が並んでいた。

だけど、本記事の「勇気」はもっと他者性を含む概念じゃないかと問うている気がした。自分の利益や成長のために使うのもいいけど、他者のために勇気を使う。頭では自分の思う合理性に従いたいけれど、他者を想像したら湧いてくる身体の違和感や直感に従うことが勇気なのかもしれない。自分にとって勇気とはなんだろうかとか、勇気をどう使うかを具体的に考えてみたいと思わされた記事だった。

気持ちや感情を受け継いで、怯まず活動を続けている京都アニメーション、頑張ってほしい。

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