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見えないDNA

インターネットが繋がり、問題意識が共有され、世界は一気にアップデートされる。そんな期待感が一昔前のインターネットにはあった。

しかし、現在のインターネットでは、フェイクニュース、誹謗中傷、分断、など複数の問題が横たわっている。

インターネットは、グローバルなネットワーク構築のための仕組みになったが、それは、良い方向にも、悪い方向にも使える。むしろ何も考えないで使えば、悪い方向へ向かっていくだろう。

そこでふと思う。
社会の問題はどこで複製され、なぜ繰り返されるのか?
ひとつはDNAにそれが組み込まれ、本能がそうさせるというもの。
もうひとつは、知識や文化の継承によって、複製されるもの。これは、いわば目に見えないDNAのようなものだと思う。

日本人が日本人たりえるのは、遺伝子に関わらず、親の国籍から継承された国籍と、出生からの主たる生活のドメインなのかと思う。
もっともこの「日本人」という概念に一律の定義はなく、血統的要素を含めて考える人も中に入るかとは思う。
ただそこに関しては今回の本題ではないので、置いておくことにする。
みえないDNAが、なんらかの社会を構築し、コピー(たまにフォーク)を繰り返している、それが、知識であり、風習だったりする。

ではこの見えないDNAは、未来をどう形作ろうとしているのだろうか。
DNAは、結果論であり、DNAは未来を考慮してデザインされていない。
一方文化や風習は、未来を予測して前もって変化させる事ができる。

例えば、コロナ対策として、まだワクチンは流通していないが、かわりにマスクや手洗いソーシャルディスタンスを考慮して、感染被害を抑制できている地域がいくつかある。

感染被害により、変化で残った遺伝子が、結果としては残るのではなく、予想に基づいて行動した、見えないDNAもまた生き残る。

見えないDNAを見つけよう

こんな話をしておいてなんだが、見えないDNAはたしかに存在するが、どれがそれなのか、目に見えないので示しにくい。

信号機の、赤、黄色、緑(青)これは、世界中で利用されている。
そんなふうに、世界中に広まっているものもあれば、一部の村だけで利用されている決まりだったり、風習もある。

見えないDNAをデザインする

見えないDNAは目に見えないので、そもそもデザインするのが難しい。
だがそれを、見つけ出し、それは必要なのか不要なのか、再度考え直し、未来思考でリデザインすることが、必要だと思う。

伝統は守るべきという思い込み

日本では、伝統は無条件で守るべきという思い込みが強いと思う。
古くから受け継いできたのだから、そこに価値があると思っている節もある。

多くの石は、昔からほとんど変わらずその形だが、すぐに形を変えてしまう水より偉いのか。
人間の歴史に比べると、古代魚のほうが歴史が長いと思うが、人間より古代魚の方が偉いのか。

多少話の飛躍はあるだろうが、要は長く続いてきたしきたりを、神化させる必要は、必ずしもないと思う。

そこにインテリジェンスはあるか?

それ、インテル入ってる?ということで、伝統であれ新しいムーブメントであれ、それを継続させるか否かは、そこ自体にこめられた意味があるのかないのか。というのが、ポイントだと思う。
生贄という伝統があったとする。
まあ今でもあるとおもうが、目的に沿った効果がないものは続けるべきではないし、意識や、歴史を、後世に残したいのであれば、いくらかフォーマットを変更して残せばよいのではないだろうか。


まとめ
・DNAは生物の設計図だが、社会には見えない設計図が複数存在し、コピー(たまにフォーク)を繰り返している。
・その中には、複製され続けている社会問題も存在する。
・みえないDNAは見えないのでわかりにくいが、それを見つけて新しくデザインし直すというアイデア。
・伝統を継承するかはそこにインテルが入ってるかというのが私の考え。(とはいえ、ここは人によって考えの相違があるだろう。)

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