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これから通貨とどう関わるか

お金とは何か

まあ色々な捉え方があるだろうが、今回は、資本主義社会への参画と考えて話を進めたいと思う。

超分業社会とは

この文章を読んでいらっしゃる方の多くは、スマホかパソコンを利用していると思う。
そこで、スマホを例にとって、少し妄想してみたいと思う。
現在、この電子機器の多くが、中国で作られている。そして、この部品は数百におよぶ。

もし通貨というものがない国で、スマホを1から作ろうとしたら、どうなるだろう?

まず、こんな感じのものを作りたいなーと、イメージを作るところから始まめるが、全部を一人で作るのは到底無理である。
とはいえ、誰かに何か手伝ってもらうのに、イメージを明確に伝えられないければ、話は始まらない。
そこで、独学で勉強を始め、なんとかデザインまでは自分でできたとする。

続いて、部品の調達を行う。
そこで、すごい技術屋さんを見つけて「こんな感じのスマホを作りたいんですけど、こんな部品を作ってくれませんか?」と頼むも、「なにそれ、おいしいの?よくわからん。しかも作ってあげて、なにかメリットあるの?」と門前払いされる。あちらこちらを駆け回って、いろんな人に頼み込むも、部品はなかなか集まらない。

困ったときに頼れるのは、家族。ということで、家族、そして家族の知り合いなどのツテを辿り、なんとかして部品の調達まで漕ぎ着ける。何十年かかけて、ようやく一つのスマホができそうになってくる。

様々な人々を、膨大な「説得」により動かし、様々な人の労力を借りて、なんとか一つの製品ができあがった。

だが、しかし、そこでアプリがない事に気が付く。アプリがないスマホなど、いくら部品が揃っていても、ただの文鎮である。

そうだ!オープンソースにしよう。

お金のない社会でも、プロジェクトを動かせる可能性。それがオープンソースである。プロジェクトのビジョンに賛同した人々が、時に無償で力を貸してくれるというものだ。

プロジェクトを始めたはよいが、どんなメリットがあるかわからないものを、いきなり手伝ってくれるというのは、なかなかない。
まあ、なんとか通話アプリだけなんとか開発してもらえて、ようやくスマホっぽいものができるとする。

ついに1台スマホができた。じゃあこれをみんなに使ってもらおうと、次は1000台つくろうという事になる。

そして事件がおきる。「バッテリーの原材料が手に入らない。
バッテリーの原材料は、とある国から調達していたのだが、輸出規制が発動されてしまい、手に入らなくなってしまったのだ。
バッテリーのないスマホなんて、ただのイエデン(固定電話)だろ。

というわけで、お金がない世界の妄想は尽きないわけだが...。
お金が通用しない世界は、賄賂がないという点で、多少優れているかもしれない。しかし、あらゆることを実現させるのに、ひとつひとつ頼み込むという莫大な労力が必要となりそうだ。

しかも、労力に対する報酬が、測りにくいので、他人に労力に対する価値がどれほどあるのか、ひとつひとつ説得するには、相当骨の折れる作業だと思う。

お金を手にするということは、資本主義への参画である

バイトをして、賃金をもらう。それは超分業システムの一部として働き、自己の労力を、仮想対価で受け取るということなのである。

コンビニでおむすびを買う。それは、資本主義社会という、超分業・仮想対価交換システムを利用するという事である。

つまり、人は、お金を稼いだ時、お金を使った時、この超分業社会の歯車の一つとなる。(それはそんなに悪い事じゃない。)

お金を得る前に考えてみたい事

何のためにお金が欲しいのか?
生きるためだけであれば、野生の動物は、お金がなくても生きているし、ボランティア精神と、物々交換でもある程度成り立つはずだ。

お金が目的化する
稼ぐことが目的化し、必要のない労働を行う、すでに同様のものを持っているのに、お金を使うことが目的化して、つい新たなものを買ってしまう。
これは、現代社会に蔓延(はびこ)る、資本主義の罠といえるだろう。

本当にお金は必要か?

時々少しだけ立ち止まって、考えて欲しい。本当にそのお金は必要か。
経済を回すためにお金は必要だという。でも、みんなでいらないものを購入し、いらないものを購入するために、仕事で時間と労力を消費する。そこにどんな意味があるのだろうか。

不要な労働は減らして、もっと必要だと思うことに時間を費やす方がよいのではないだろうか。
少しばかし不要なものを買うのを抑える、不要な労働を抑える、節約できた時間と労力で、ちょっとだけ人助けをする。お金を使わなくても、少しずつ協力すれば、社会はもっと最適化できる。

お金という神話の共有

我々ホモサピエンスは、ここのところ、お金を多く手にすれば、多くの希望や問題を解決できる。だからみんなお金を稼げばいい。お金を稼げば、不安がなくなり、楽しい生活が待っている。そういう物語を共有し、経済を発展させてきたように思う。

馴染みのない、レストランや、初めていくお店でいきなり商品を購入する事ができるのは、商品を提供する側と、商品やサービスを受ける側の双方に、この商品はこのぐらいの金額という相場感が成立しているためである。

しかもその相場感は、特定商品だけのものではなく、これを売ればその金額で、これとあれが買える。というように、通貨を通じて、別の欲しいものと交換できる。しかも受け取る金額が増えれば、もっと多くの欲しいものが購入できると想像できるため、大金を魅力的と感じるのだろう。

とはいえ、お金は万能ではない。お金では治せない病もあれば、お金を2倍稼げば寿命が2倍与えられるというものでもない。2倍値段が高いものを食べても、2倍美味しいわけではないし、お金によってある程度の便利さを享受できても、資産と幸福は一致しない。


まとめ

・お金を使うということは、超分散労働社会への参加。
・お金がないと、複雑な共同作業を必要とするプロダクトは難しい。
・お金を得ることを、目的化しないように気を付けたい。
・マッチポンプな経済に踊らされず、不要な労働は避け、あまった時間を人助けに使えば、お金に頼らずとも、社会はもっと最適化できる。
・現代社会は、お金があると幸せになれるという神話を共有することで、経済を発展させてきた。
・お金は万能ではないから気をつけよう。

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