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24年の間に形成された私の教育観

みなさんこんばんは、Tsuburaです。
ここしばらくモチベが下がっており更新できておりませんでした…
その間にたくさんのいいね・フォローありがとうございます!!
今日からしばらくは教育についてお話していこうかと思います。
試行錯誤しながらですので、途中で編集したり、順番を変えたり等、いろいろありますがご了承ください。


自分の目標について

こども・若い人の個人にあった生き方を尊重できる教育者になりたい

この目標を言語化したのはつい最近なんです。
きっかけはココナラのキャッチコピーを考えているときでした。
自分という人間を一言で表すにはどうしたらいいか、
自分のなりたい目標像って何だろうと考えたときに、出た言葉が上記です。
最初は「こども」だけでした。
今後支援したい対象が大学生や若い人まで及ぶことから、「若い人」というワードを追加しました。
また、「個人にあった生き方を尊重」は人それぞれ考え方や目標が違うことから、なるべくその子に合ったいろんな選択肢を用意してあげたい、教えてあげたいと思ったからです。

「個別最適な学び」と「協働的な学び」の一体的な充実

文科省サイトより

文科省の個別最適化という言葉は非常に好きです。
ただ実現できているとは思えませんが(笑)。


なぜ「個人」を尊重するのか

学校ってみんなと同じを大事にし、個性個性という割には出る杭は打たれ、遅れている子に合わせるじゃないですか。
特に「出る杭」に関しては打ちまくりますよね。
私は苦手を克服するより、得意を伸ばしたほうがいいと思いました。
実際、学校という教育機関で評価される人財と、社会で評価される人財が異なっていることに違和感を感じていました。

また、家庭環境もよくなく、「女の子だから」「お姉ちゃんだから」で我慢を強いられたり、する前から否定されたり、固定観念の押し付けがひどかったです。

大きな理由は以上2つです。

「選択肢を知らないだけで、できること・方法はたくさんある」

24年間生きてきて、そう思いました。

他にもいろいろ経験しました。
小学校時代は、人の気持ちがわからず、たくさんいろんな人を傷つけました。
中学時代は、人の負の部分を見ました。いじめも受けたし、自分の行動力が目を出し始めた時代です。先生の対応もくそで、教師への信用も地に落ちました。親とも衝突し、自己肯定感のかけらもありませんでした。
高校時代は、自分の好奇心の我慢、上には上がいることを知り絶望、意味わからんもめごとに巻き込まれる、大学受験の失敗を経験しました。
正直、学校にいい思い出はあまりないです。
(そんな私ですが、教員免許は一応持ってるんです。しかも1年で取得しました。この話はまた後程。)
確実にこの一つ一つの経験が、私の教育観を作り上げました。

学校・家庭かかわらず、自分みたいに苦しむ人を一人でも減らしたい
つらいときに寄り添ってあげられる人になりたい

次からは経験した過去の振り返りでもしていこうと思います。
わたしがどのように今の考えに至ったか、経験した過去になります。

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