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不安定さ・不確かさを認めること

身体の自由/不自由の境界

つい最近、以下の動画を観た。パーキンソン病の患者さんの、脳に埋め込まれた機器によって、痙攣症状を抑える、というもの。

スイッチを入れた瞬間、それまでが嘘だったみたいに、激しい震えがおさまる。こんなに変わるものかと驚き、感動のあと、少し怖くなった。身体の自由・不自由が決まってしまう。その境界は、無数の、とても小さな器官が担っている。

心の薬効

過去に、心療内科の薬を処方されたことがある。薬名でツイッター検索をしてみれば、日々「効いた」「効かない」さまざまな声がつぶやかれている。うまく作用すれば、身体症状と縁遠そうな心理的症状も解決することがある。実際に自分は、思い悩んでいたこと(自己解決できない思考と緊張の継続)に対して、期待した薬効(神経伝達物質の排出による緊張緩和)があった。もちろん、そう単純にいかないことも多いと思うが、どんなに複雑でも、乖離していて場所が見えなくなっても、その心はその身体にある。それも、たった10mg程度の薬剤で変わってしまう。

誰も揺らいでいる

これも最近知った話。自分は男だが、男性にも生理周期によるホルモンバランスの変化があると聞いた。PMSアプリで測ってみると気分も周期的なんだとか。もちろん女性のそれと比べられるほどではなくても、健康と思っている男性も、おそらく誰もが揺らいでいる。

不安定さ・不確かさの気づき

社会生活を送るうえでは、そんな身体性とは関係なく、確実で安定した働きを求められる。人が協力して生きていくうえでもちろん必要なことだけど。書店にはたくさんのフレームが溢れ、スマホの手中には、実績を稼ぐべく様々なロジックやあるべき論が配信される。道徳、憲法、働きかたや社会的な性の価値観、外因的なあらゆる変化と追いついていないシステム、ツジツマの合わない確かな空気に、何かを煽られているような気になる。

それでも、ただでさえ、心身は絶妙なバランスで成り立っている。そしてふとしたことで、生身の身体は機能しなくなる(あるいは機能する)。歳を取ったからか、家族を持ったからか、健康に生きていることが奇跡に思える。働いてサラリーを頂き、栄養を摂取し、安心して睡眠し、医療サービスを受けて…

自分や関わりあう人の不安定さ・不確かさを思うほど、それを支える些細でも感謝できることをたくさん見つけられるような気がする。だからどんな悪い状態であれ、まずは、今そのままを認めたい。

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スタートアップのUI・UXデザイナー/HCD専門家、日常ズボラーのIT土方です。感じたこととその反証を、雑なコラムやエッセイとして書き留めてます。主成分は表現と認知心理/メンタルヘルスケア/要求工学/IA/言葉。何か触れるところあったなら嬉しいです。