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どんな小さな力も、丁寧な仕事につながると信じたい

4月から4ヶ月。このぐらいになると、本当か幻聴か知らないけど、疲れた新卒者の声が聞こえてくるような気がする。

なかなか力を出せない人を見ると、自分のことを思い出して、力になりたいと思う。どれだけ力のない人でも、その人が考えてその人なりの働きを掴んでいけるように。丁寧に。これは自分のエゴでもある。

どんな人でも潰れる

高いハードルや強い言葉を前にすると、人は自ら萎縮して考えることを止めてしまう。目の前の命題ではなく、闇雲に、考えもなしに、何らかの確からしい方法を探し、それにすがろうとしてしまう。確からしい方法は現実にそぐわない。やがて潰れてしまう。

新卒の頃からか、ただでさえ技術変化の激しい業界で、先輩からの強い言葉や無理解を前に、経験の浅い若手が混乱した状況に陥るのを見ていた。今思えば5,6年の差だったけど、30も手前になる当時の頃の自分も、同じような状況になるとは思っていなかった。

辛くて堪えがたい状況に、年齢も経験も関係ない。「高いスキルやマインド」を持っていても、人や環境と協調して動けるかどうかはまた別問題(いつだかクリエイティブマインドセットという書籍も流行りましたね)。「高いスキルやマインド」も、時と場合によってチームワークの足かせになったりする。

潰れる前の自分は、どこか自信も自負もあったんだと思う。早く結果を出したい!焦って考えて、行動しても、一向に実を結ばなかった。毎日毎日、同じ問答を繰り返す。言葉が出てこない。リファレンスを探す。画面を見つめる。被害妄想。手が震えだす。幻覚。挙げ句には自死念慮。と、そんなところまで行ったことがある。冗談みたいだけど、真剣だったね。強い価値観や信念を持っていた。信じて疑わないそれを否定すると、存在価値すら危うい状態になる。

価値観や信念は否定せずアップデートできる

お休みをいただき、しばらくの休養を経てカウンセリングやリワークに取り組んだ。スキーマ療法という価値観や信念を考え直すメソッドでは、自分の根底にある考えを捉え、現状に則した考えに矯正していった。もともと持っている価値観や信念を否定せず、少し条件付けしたり、地道にライフログと反証を通して変えていった。やがて、起きてから寝るまで自責し続けることもなくなり、いくらか世界を前向きに捉えることができた。

そこから脱して5年経った今でも、自分も、世の中の誰でもそんな状況になりうるんだ、と思っている。きっとだれも悪くなかった。昔と今は違って、あの時考える機会をくれたことで、今は希望を持てる。価値観や信念そのものは変えず、うまくアップデートできるものだ。公に言っていいことだし、経験則として何度も反芻したい。

戦闘力53万の自分でも10万の働きが大事に思える

たとえば自分の戦闘力が53万あって、プロジェクトには10万の力しか貢献できない。そうだとしても、実は何ひとつ嘆くこともなかった。できるところは貢献し、できないところは助けてもらって、チームみんなで100万以上の力を作り出せばいい。「10万の力しか貢献できない」ことが「10万の力を貢献できる」こととして受け容れられる。残りの43万の力で、別の100万を4度生み出せるかもしれない。

たとえ今が100万じゃなくても嘆くことはない。10万の働きから始めて計5度の100万を目指すため、むしろ始めの10万の働きにどれだけの配慮していけるか、が、とても大事なんじゃないかな、と思う。

難しいことができなくても、周りの雰囲気を良くする人だったり、苦しんでることに共感できる人っていると思う。その価値は、具体的な成果や定量として表しづらい。

他人に「たかが10万ぐらいの」と言われるかもしれない。チームワークは掛けあわせ、と聞く。単純に10万の力を10人で生み出すかもしれないし、誰かが50万動くための10万かもしれない。いずれにしろ、他者と協調する力になれるなら、その10万はきっと、自分が思っている10万以上の価値がある。

技術より他者へのまなざしを

よく、“どこで働くかより、誰と働くか”なんてことを見聞きする。先の通りで、10万の力で、他の人とどのように協力して100万ができたかで、他の400万の力が出せるかも変わると思う。

人や環境的によって、できる・できないといった都合はあるけれど、その都合を最大限認めたうえで、どのように協調できるか。他者への思慮深さや丁寧さを仕事に活かせるか。

自分は休んで復帰する間に、以前ほど技術的な動向についていけなくなった。この5,6年と実務でテクニックを磨くこともなく、かなり手も動かせなくなった。だけど、技術よりも、はるかに他者への思慮深さや丁寧さのほうが大事だと思っている。思っているだけで正直できてはいないけど、それも前述の通りで前向きに捉えられる。

小さな力ほど丁寧に育てたい

言う側、管理に立つ側も、おそらく強い気持ちで助言をしてくれているはずだけど、かといって相手の状態を逐一思って言ってくれるわけでもない。だから自分は「100%考えも抜きに受け取るような、強く徹底したモノ言いはしない。」と決めている。考えていなかったら相応に言うかもしれないけど。こんなこと言う人もいる。

ごもっともな言葉も、どんな美辞麗句にも惑わないでいい。本当に大切にしたいのは、もっとシンプルに目的だ、と言えるはず。目的に対する手段はむしろ任せたい。難しい部分は、手取り足取り習ってもらい、意図を果たしているか考えてもらいたい。本当に苦しいときは休んだり、逃げてもいい。

たとえラーニングコストはかかったとしても、きっとそのほうが組織にも、それ以前に個人にとっても良いはず。現状と違うとか、きれいごとだと言われても構わない。結果的に、それは目的を見据えた、ひとりの丁寧な仕事につながっていく、と信じていたい。

そうやって培った経験は、たぶん宝物になると思う。なぜなら自分がそうだから。

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i-plug ディレクタ/デザイナ。若い可能性を未来につなげたい。ひとの認知心理、モノゴトの反証に興味があります。日常はズボラです。

コメント2件

自分の小さな「箱」から脱出する方法、わたしも好きです。人との関わり方が変わりました。もちろん、うまくできるときばかりではないのですけれども。
城戸さん、コメントありがとうございます!あの本は良書ですよね📗自分も、ひとつの捉え方として参考になりました。
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