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映画『マロナの幻想的な物語り』吹替え版で観てよかったと実感した、はじめての映画

昨年観そびれてしまった『マロナの幻想的な物語り』。ようやく鑑賞できました。日本語吹替え版で。私は吹替え版で映画を観ることを頑なに拒んできましたが、今回の映画体験で吹替え版の魅力を実感しました。

まずこの映画のご紹介から。

血統書付きの父と、ミックス犬で優雅な母との間に生まれたマロナは、同時に生まれた9匹の末っ子で、「ナイン」と呼ばれていました。このハート型の鼻を持つ小さな犬は、生まれてすぐ彼女の家族から引き離され、曲芸師マノーレの手に渡ります。マノーレはこの小さな犬にアナと名付け、アナにとっても、幸せな日々が訪れたかに思えましたが・・・ (チラシから引用)


マロナの短い犬生をたどる物語。マロナは数人の飼い主を渡り歩くなかで、それぞれに名付けてもらいます。ナイン、アナ、サラ、そしてマロナ。いつも飼い主らしき人間のわがままに振り回されるわけです。わんちゃんといっしょに暮らす私としても、身につまされる思いをしながら鑑賞しました。その割には、鑑賞後暗い気持ちになるというよりも、普段使っていない脳の一部分によい刺激をもらったような印象を受けました。チラシに書かれている表現がまさに言い得て妙。

「さながら動く前衛芸術」

この言葉には強く共感。美術館にて芸術作品を見ているかのようでした。一瞬たりとも見逃したくないと。この作品はフランス語で製作されています。残念なことに、フランス語はまったくわからないため、字幕での鑑賞となると常に文字を追い続けることになります。けれでも、吹替えであれば言葉の壁を気にせず映像を余すことなく楽しめる。今回は本当に吹替え版で正解だったと感じた次第です。

いつもであれば、海外の映画を鑑賞するときは字幕版です。英語、中国語、韓国語はわかるので、字幕を見て理解はしません。つまり、それぞれの言語本来の意味合いを楽しんで鑑賞しています。以前通訳の現場で、クライアントの方が日本映画しか鑑賞しないと言われていたのを覚えています。理由は、翻訳が入ることで元々の意味との間に乖離が生じるから。確かにその点は否めないなと思います。誰かが間に介することで、どうしても解釈の誤差は生じるもの。「堪能する」という行為において、各個人の許容範囲によるのかなと思います。ちなみに、私は日本語を含めた4ヶ国語以外の映画はバッチリと字幕を見て楽しんでいます。

吹替え版のよさを経験できたことはとても大きな意味があります。映画の作品内容によっては、あえて吹替え版で鑑賞することも一案。ぜひ、マロナちゃんに会いに行くときは、吹替え版で、どうぞ。


追記

この『マロナの幻想的な物語り』を知ったのは昨年1月の台湾旅行。訪れた映画館にチラシがありました。うちのわんちゃんにそっくりで、どうしても観たいとずっと思っていたのです。出張のついでに日田に足を運びました。日田シネマテーク・リベルテにて鑑賞。他の映画館では味わえない映画体験ができ、こちらもおすすめです。日田の街並みも写真におさめました。また、わんちゃん好きの方にぴったりの本も合わせてご紹介します。よろしければご覧ください。







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