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舞踊という芸術

古代西洋芸術の舞踊について書きます。
こういう話ってなんだか難しそうですよね。
ただ、古代の芸術を学ぶ事で現代に転用できる事は多く含まれています。
歴史の中で人間は何世代にも渡ってバトンを現在まで繋いできました。
それぞれの分野の中で受け継がれてきたバトンの中にある物語を学ぶ事が、現代を生きる僕に何かきっかけをもたらします。

という訳で古代における「舞踊について」です。
ルキアソス(120年~180年)の著書をもとに書きます。

■これを書こうと思った理由
ミュージカル俳優として活躍されていて、応援している人がいます。

(撫佐さんに許可取ってないけど平気かな?ごめんなさい撫佐さん!)
そこで問いが生れました。
なぜこんなにも見る者も演じる者も美しく強い力を感じるんだろう?
(こういうのってたまたまではなく歴史が必ずあります。)
その起源を探ってみたくなったのが理由です。

■古代における舞踊とは?
調べてみれば既に2世紀頃舞踊について記されています。
興味深い事が描かれています。
「踊る者と観る者双方にとって舞踊は有益なものである」
その恩恵の最たるものは、舞踊を見る者へ多くの学びや気付きを与えるということです。
この時の舞踊は、様々な起源や神との繋がりが含まれている神聖な要素が強くありました。
そして舞踊は英雄や戦士の勲にも関与していて、戦闘での技や男女の美徳を培うものとして重要視されていました。
舞踊とは魂と肉体の結合を通じて、見る者へ心の調和をもたらします。
つまりこの時代の踊り子は、体の隅々まで行き届いた配慮から生まれた肉体と舞によって、神に仕える者こそ「真の戦士」という事です。
この時代は体育教育が中心で、肉体を極める事は精神を研ぎ澄ませる手段とされていました。
そして踊り子が表現を終え大衆の拍手喝采を浴びた時、それは見る者にとって感情を通じて自分を見つめ直す鏡としての効用が生れます。
上記の内容によって踊る者、見る者双方にとって有益という事が説明できる訳です。

■結論、芸術は目に見えないところではたらいている。
専門的な細かい違いはとりあえず置いといて、本質的な部分は今も変わっていない事がわかりました。
現代風に言うのであれば「鍛えられた肉体と研ぎ澄まされた精神から表現される舞は神々しく、見る者を物語の中に引きつけ感情と共に何か大切なきっかけを作ってくれる」というところでしょうか。
芸術とは目に見えるものが全てではありません。
目に見えるその裏で大きなはたらきを与えています。
自然に見えるものではなく、見ようと思わないと見えないもので
それが芸術なのです。


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