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『ロックの子』(桑田佳祐、萩原健太)読了

漫画からの受け売りなので実際どうだったのかは知らないが、小山ゆう『おーい竜馬」によれば、千葉道場で北辰一刀流を学んだ坂本龍馬の剣の切っ先はたえず小刻みに揺れており、それにより現場状況に即した俊敏かつ柔軟な動きが可能になったのだという。想像の域を出ないが、つまり静止状態で構えをとった場合、相手の動きに応じて完全な後手を取ることになる。これに対し切っ先が常に振動している状態であれば、いち早く初動に出ることが可能であり、それが命のやりとりをするような緊迫した場面でアドバンテージとなる、というようなことだろう(ちがうかな)。

桑田佳祐の音楽活動における考え方、動き方についての発言を読んで、ぼんやりと切っ先を揺らす坂本龍馬の姿を重ね見ていた。場面場面で見せるあの独特なテキトーさの中に、そうはいってもやっぱり「実を取りにいく」戦略戦術が含まれているような気がした。理屈でどうこうとはなかなか説明がつきにくい。「直感」とか「嗅覚」とか、そんなような言葉でざっくり括られてしまいそうなことでもある。なにしろわかりにくいんだけど、でもやっぱり意識的にか無意識なのか、「取りにい」っているところはあるんだろうと思う。

桑田佳祐は演奏時、歌詞をめちゃくちゃ忘れている。テレビで歌詞を間違える場面は数えきれないほど観た、というよりも歌詞を間違えるのがもはやテッパンになっていたし、ライブ動画などを観ても、自ら作詞を手がけた楽曲を壊滅的なまでにスッポリ忘れていて、なにかしら音を発しているがもはやそれが言葉と呼べるかどうかも危ういくらいの歌いっぷりを堂々と披露している姿が映し出されている。場合によっては曲展開まで忘れていて歌と演奏がズレる。単純に忘れっぽいのかな、くらいにしか思っていなかったが、後付けなのかどうか、本書のインタビュー中その理由らしき発言があった。自分たちのロック表現は「瞬間」でしかないのだ、というような趣旨の話。ある瞬間に、なんといったらよいか、ミュージシャンのスピリットのようなもの(?)が観客に届けば、共有されれば、それでよいのだ、と(どういう言い方をしていたのかどうか、自分も自分ですっかり忘れている)。言わんとすることをしっかり受け取れているのかどうかはおぼつかないが、ライブ動画を観ていて、歌詞の正確さよりもノリ重視なんだろうな、とは思う。その「瞬間」を迎えるまでの流れや、その場に醸し出される熱というか「うねり」というか、そのようなものがお互いにとって心地よいこと、高揚感をもたらすこと、が大切なのだろう、というのは観客の立場からもうなずける。

これは野次馬素人の手前勝手な邪推に過ぎないが、ある頃から桑田佳祐を見ていて「なんだか苦しそうだな」と思うようになった。やりたいことがやれているのだろうか、と。なにか抗いがたい大きな力に押しつぶされそうになっているというか、息ができなくなっているというか、可動域が著しく損なわれているというか、なにしろつらそうに見えた。「サザンオールスターズ」がその主体であるご本人の意図を超えた強大な力をもってしまったというか。持ち前のサービス精神で、世間の求めるサザン像に応えようとしているうちに身動きが取れなくなってしまったというか。ソロやKUWATA BANDはそれを補うように、サザンでできないことをやるための器なのかもしれないな、などと無責任に思ったりもした(追記:KUWATA BAND結成のタイミングは原由子の産休を受けてのサザン活動休止期に当たるのでそちらの事情によるものだろうか)。でも活動が続いていくうちにだんだんサザンとソロの境界も曖昧に感じるようになった。人気や需要に比例するように背負うものも大きくなって大変そうだな、と。

この本に顕れる桑田佳祐は、自分がそういうことを感じるようになる前のその人。かなり親しい間柄なのであろう萩原健太がインタビュアーということもあってか、のびのび好き放題に言いたいことを言っているように見える。と言っても限度も気遣いもあるだろうけど、でも路線としては小5男子がそのまま大きくなってしゃべっているようなノリ。初版発刊が1985年。デビューから7年、結婚から3年。前年の夏に『人気者で行こう』を出したばかり。いい時期だ。とにかくこの本ではこの人の愛すべきバカヤローぶりが噴出している。バカヤローぶりを全開にしながらも、ところどころでにわかにハッとするような鋭い指摘をしたり、なんの前ぶれもなしにいきなり自身の音楽論を述べたりする。でもそれはまとまった理論の形を取らず、それもやっぱり「瞬間」にシュッと表れて、何事もなかったかのようにまたバカヤロートークに移っていく。インタビュアーとしたらある程度起承転結のついた理論を展開してくれたほうが原稿は書きやすいだろう。でも桑田佳祐本人はそんなの知ったこっちゃない。「瞬間」を放ったかと思うと容赦なくバカヤロートークに方向転換していく。一面、インタビュアー泣かせ。インタビュアーはそのあたりをほどほどに泳がせながらなんとか手綱をさばこうとする。その少々もどかしさをはらんだやりとりには、靴の上から痒い足を掻くような感じをうっすら覚えながらも、それなりに味わいがある。

巻末に年譜が収録されている。キャプションみたいな細かい字で3段組になったそのページは、読む前は「ちょっと読むのがめんどくさい」と思ったが、読んでみたら予想外に中身が濃かった。初めて見る写真も少なくない。資料がなんらかの形で提供されたのか、萩原健太自ら取材して歩いたのかわからないが、学生時代の先輩後輩友人知人や母親、妻(原由子)などのコメントが随所に挟まっている。これが思いのほかおもしろい。コメントからたちのぼってくる桑田佳祐像は想像をはるかに超えてダメダメである。借りたレコードはグニャグニャにして返すか、さもなくば借りパチ。いつも金をもっておらず、借りた金は踏み倒す。フケが多かったらしく、いつも肩のあたりが真っ白で、後ろから見てもその肩の様子で本人確認ができた。高校受験の日、試験会場で休憩時間にプロレスごっこをやっていて試験官の教諭にどやされ、挙句に試験に落ちて公立高校へ行けず私立へ進学、などなど。ただその一方で、「三つ子の魂」を思わせるエピソードも多い。少年時代から芸能人やスポーツ選手のモノマネが好きで、人前に立っては芸を披露して喝采を浴びていたらしい(そういえば「夜のヒットスタジオ」初出演時にも長嶋茂雄と王貞治の打撃フォームのモノマネをやらされていた)。休み時間はいつも級友とプロレスごっこ。コンテスト出場やライブ開催の際には常にサークルの後輩をサクラとして動員し、盛り上がりを演出(「ザ・ベストテン」スポットライトコーナーで取り上げられた際にも中継先の新宿ロフトにサクラを仕込んでいたらしい)。乱暴に括るなら、大事なことはそんなにたくさんはなくて、大事なこと以外はホントどうでもいい、そういう人物像が関係者コメントから浮かび上がってくる。そしてプロデビュー後も基本路線は変わっていなかったのではないかと思わされる。

歌詞についての話も興味深い。アメリカで生まれた音楽であるロックに日本語はうまく乗らない、という話はそれ以前から散々されてきたと思うし、はっぴいえんどが最初にそれをやってのけたのだ、という話も聞くが、やっぱり桑田佳祐にとってもロックと日本語の融合というのがハードルに感じられていたようだ。それが『人気者で行こう』の制作時にブレイクスルーを見出した(「発明」というような言葉でその話をしていた)という。それが日本語の音を組み合わせてロックに乗せやすい単語を創作する、という方法。例として挙げられていたのが「よどみ萎え、枯れて舞え」。「愛倫浮気症」と表記して「アイリンブーケショー」と発音する。たしかにこの人の歌詞ではこの手法がときどき導入されている。後年、「Come Together」のパロディソング「アベーロード」では全面的にそれが展開されていた。「公明党Brother すごいなドーパミン」とか。なるほどなあ、あれは言葉の壁をどう克服するかという苦闘の末に編み出された方法だったのか。

ただこの「発明」を挙げるまでもなく、多くの人々が指摘しているように桑田佳祐は歌詞がすごい。デビュー曲の最初のワンフレーズ「砂まじりの茅ヶ崎」だけでも充分すぎるほどすごい(というか、この曲に関しては冒頭の「ラララ」が既にすごい)。ご本人は「歌詞は二の次」的なことも言うし、自分はボキャブラリーに乏しいとも言う。脳内アーカイブがどうなのかは知らないが、しかし少なくとも編集力には長けている人なんだと思う。モノマネというのも言ってみれば編集だ。対象を観察し、なにがどうであればたとえば長嶋茂雄に見えるのか、要点を拾い出す。ちょっとデフォルメしてショーアップする。そのプロセスは編集と言えるだろう。蛇足ながら「自分の音楽は誰かの・何かの真似」だと言い切る構えも「音楽界の編集者」を思わせる。

もう一つ、意外だったというか、「へー、そうだったんだ」と思ったのはアメリカ進出に桑田佳祐が積極的な気持ちをもっていたということ。ロックをやる人ならそれを志さないはずがない、というほどの強い口調で希望を述べていた。しかし本書の最後ではちょっとトーンを変えて「やっぱり自分は日本が好きだし海外旅行は嫌い。海外生活なんてムリムリ。1週間も滞在すればもう日本に帰りたくなっている」という趣旨のことを話していた。そのあたりの心境の変化も突っ込んでほしかった気もするが、この話題にほんのり絡んだエピソードとして、渡米の機会に現地の音楽関係者にその時点での最新アルバムであった『綺麗』を聞かせたところ「センスと血だね」というような表現でやんわりと厳しい批評を受けたことが語られている。その一言がかなりの衝撃をもたらし、しかしそこで凹んで終わりではもちろんなく、これを機に作詞の作法やら歌唱法やら演奏スタイルなどなど全面的な見直しをおこないつつ、いわばメンバー全員が本気を出したのが『人気者で行こう』だった、というような流れのようだ。たしかに同作は『綺麗』より一段と深みや厚みや重みや熟度を感じさせる。もしかしたらこの経験が、ご本人が自らの真の志向に気づくきっかけをもたらしたのだろうか。

好きなロックをやりながらも、幼少期から親しんできた日本の「歌謡曲」を希求するこの人の姿勢は変わらない。だから「ロックで歌謡曲をやる」という自覚も初期のころからあったらしい。ゲスト・レギュラーを含めバラエティ番組出演も辞さないのはクレージーキャッツなどへの憧憬もあるようす。日本の、お茶の間の、人気者でありたい。ロックアーティストとして。それをずっとやりつづけてきた人、という点では一貫している。ここがブレないからこそ「北辰一刀流」も効いてくるのかもしれない。

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