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【小説】三十字職人と僕(みそじしょくにんとぼく)5

ホケミちゃんをゲット、ホケミをちゃんとゲット

 家に帰ると、母さんがキッチンで何かを作っているみたいだ。
 きっと、カレーパン。
 昔から、母さんはたいていのものは手作りしてくれた。学校で、クラスメートがファミレスで食べたものを聞くと、家に帰って作ってとねだっていた。クラスメートと同じように、ファミレスに行きたいとは言わなかった。
 そういえば、昨日の夕食はカレーだったっけ。

 キッチンにはすぐいかず、洗面台にいってマスクを石鹸水につけ置きした。
 小さな声でハッピーバースデーを2回歌って手を洗う。30秒手洗い完了。
 もう一度ハッピーバースデーを歌って、水で流す。15秒流し完了。
 そのあと、茶色の液体を水でうすめてうがいをする。のどの奥、右側、左側。
 
 キッチンのテーブルに、買ってきた焼き肉のたれ檸檬とオリーブオイルを出して、いれてきたビニール袋は外側を内側に入れ込んでゴミ袋にする。
「あ、おかえり」
「ただいま。それ、カレーパン?」
「そう。かあさん、ホケミチャンゲットしたから」
「ホケミちゃん? 何それ、新しいキャラクター?」
 僕の言葉に、母さんはぷっ、と、ふき出した。
「ホケミって、ホットケーキミックスのことよ」
 ホットケーキミックス。
 牛乳と卵とまぜて、フライパンで焼くだけでふんわりホットケーキができる粉。小麦粉とか砂糖とかベーキングパウダーとか入ってる、あれだ。
「ホケミちゃんをゲット」だと、ホケミちゃんっていうキャラクターの人形を買ったのかと思ってしまった。
「ホケミをちゃんとゲット」が、母さんのいいたいこと。
 みんな家にいなきゃならなくて、おやつにホットケーキミックスを作るから、スーパーの棚からホットケーキミックスがなくなっていたらしい。母さんは、なくなる前にホケミを3つもゲットしておいた、ということがいいたかったんだ。

 お皿の上に乗ったカレーパンから、カレーの香りがして、お腹がすいた。

「直輝。お父さん呼んできて。いっしょにカレーパン食べよう、って」


「懐かしい」がほんとうにわかる年齢

 僕のお父さんは、今は家で仕事をしている。
 企画会社の課長さんって聞いたけど、なんだかよくわからない。お父さんの会社通勤が始まる前に、一度話がしたいなあって思ってる。

「来週から、また会社に通うことになった」
 カレーパンをぱくりとかじって、お父さんが言った。
 ホットケーキミックスは、ホットケーキにならずに、うちのおやつのカレーパンになった。
 ホケミは、この事実をどう思うだろう。ホケミっていうと、あんまり話したことがない同じ学年の隣のクラスの女子みたいだなあ。
「会社に行くのは週に3回くらいで、あとは家で仕事するよ」
「はい」
 母さんをみていると、本当にほんとうにお父さんのことが好きなんだなあって思う。母さんがお父さんを見つめる目は、ハートマークが写ってるみたいにきらきらしてるから。
 母さんは、お父さんのためにカレーパンを作ったのだろうか。

 テーブルに置いてあったアマゾンの茶封筒を、お父さんは手に取った。
「CDきたか」
「何を買ったの?」
 母さんが、お父さんに顔を近づける。
「キンキキッズのベスト。10年ちょっと前の」
「キンキキッズなんて、聴くの? 知らなかった」
「前は聴いてた。懐かしいなあって思って。康恵さんも聴く? 先に聴いてみて」

 懐かしい。
 確かに、小学生の頃や通っていた中学を思い出すと、ちょっと懐かしいなあって思う。
 母さんは土曜日も仕事だからって、お昼に大きくて食べきれないくらいのおにぎりを作ってれたこととか。

「懐かしいって、何?」
 お父さんに向けて、僕は言ってみた。
「昔の出来事をもいだして、ちょっと苦い気持ちになること」
「僕が、小学校のときたて笛を忘れたとか、そういうのも懐かしい?」
「まあ、そうなんだけど、本当に懐かしいっていう感情がわかるのは、40歳を過ぎてからだと思うよ」
 40歳。
 まだ24年先だ。
 なんで40歳なんだろう。
「40歳は、自分に戸惑うことがなくなるから、昔を素直に受け止められるのかもしれないな」

 僕は、お父さんの言葉の本当の意味はわからないけど、面白いなあって思いながら、カレーパンをもぐもぐ食べた。
 母さんのカレーは、辛くないから好きだ。

つづく


※この物語はフィクションです。
実在の名称・団体・個人とは一切関係ありません。


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