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農家の自分が来た道① 奥日光編 ~社会人デビューは大自然の中で~

■ここで自分が歩いた道を見返す

農家になって8年が経とうしています。
長野で農家をやっていると冬の間は時間にゆとりが持てます。
不器用な私は農繁期は目の前のことしかできないので、この時にいろんなことをいつも整理するのです。
1年の振り返りと来シーズンに向けての計画づくり。
あれこれ妄想して、1番わくわくするのがこの時かも。
遠足に行く前みたいな感覚。
noteをはじめたことをきかっけに、この冬は今まで自分が来た道を改めて振り返ろうかなと思いました。
そんなの誰が読みたいの?とは思いますが(笑)
ただ自分を見つめ直すきっかけになるのではと思って。

以前も書きましたが、とにかく文章を書くということが苦手ですので、気軽な気持ちで読んで頂けたら幸いです。

■ダイナミック、奥日光

専門学校を卒業後、栃木県の日光市へ。(専門学校以前の話はまたどこかで)
当日20歳!
言わずと知れた日光。
あの日光東照宮で有名な場所です。
いろは坂というカーブに次ぐカーブでくねくねとした道を上ると奥日光と言われるエリアになります。
奥日光の中でも更に奥、標高1500mのところにある「湯元」という場所に住むことになりました。(源泉がある湯元温泉として知られています。)
職場は「日光湯元ビジターセンター」
奥日光の案内所、情報センターと言った感じでしょうか?
そこでセンターの管理運営、カウンターや電話での自然情報の提供、館内の展示物の作製解説、自然ガイド、イベントの企画運営、定期的な自然情報の収集発信、そして周辺の清掃、トイレ掃除やキャンプ場の管理…等いろいろとやってたんですね、今思うと(笑)

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奥日光を含めた一帯が日光国立公園に指定され、とにかく大自然が目の前、というかその中にいました。
本当に贅沢な環境にいたなとしみじみ思います。
ちょっといけば戦場ヶ原や小田代ヶ原、湯滝や竜頭の滝、華厳の滝、刈込湖や湯ノ湖、中禅寺湖、日光白根山や男体山…ありとあらゆる自然がそこにありました。
何度その大自然を見て身震いしたか。
感動して震えるなんて、その時が初めてでした。

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運よく大好きな自然の中で働けることになった私は、常に楽しかった。
とにかく奥日光の自然にどっぶりと浸かり、自然の中を歩き、四季折々の動植物の名前を覚えました。
貴重な生き物にたくさん出会いました。
それで仕事していることになるなんて!
今思うと現実感がないです(笑)

■天職かも!?インタープリター!

中でも楽しかったのが自然ガイドの仕事です。
そのときはガイドではなく、自然体験活動またはインタプリテーションとも言ってました。
環境教育系の分野では広く取り入れている手法というか概念みたいな。
自分たちのことをインタープリターと呼んでいました。
自然の中での様々な活動を通して、こちらがただ知識を与えるのではなく、参加者が自らが考え、何かしら気づきを得れるように、ときには助け、ときに寄り添います。
自然と人との懸け橋、な~んてカッコいい言い方もしてました(笑)
年配の方~子どもまで、いろんな世代の方と大自然の中で共に遊ばせてもらいました。
喜んでもらえることが喜び。
自分が好きな自然を通して楽しい時間を創れたときの感覚。
間違いなく、このときの経験が今の自分を強く形成しています。
(下の写真は昔の自然体験活動の様子です。うわぁー若い…)

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もちろん、いつもうまくいってたわけでは当然なく、な~にも手応えなく、お客さんの反応も薄く、撃沈したことも何度もありました。
特に初めの頃はお客さんの前で話すと胃が痛くなったり、口がぱさぱさに乾いて喉が張り付きそうでした(笑)

自然に興味を持ってもらいたいなぁ~、だってこんなにおもしろいじゃない!それでもって、みんなが自然を好きになってもれたら嬉しいっす!っと漠然と考えていた私でしたが、伝えることの難しさを知りました。
こちらの想いはなかなか伝わらない、押し付けになってはいけないんだと。
まずは共有すること、自分という人を知ってもらって、その場を楽しんでもらうこと、それが大事なんだとわかりました。
何より、こちらの想いをわかってもらいたければ、ちゃんと段階を踏んで理解してもらうことの大事さは、このときに教わりました。
今でもなかなか出来ていないですが、自分自身にとって大事な教えになっています。
あと時折出る変な営業スマイルはいまだに治りません^^;

楽しさ、難しさ、全部ひっくるめて、インタープリターは自分の天職だ!っと思いました。

(つづく…)

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