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字が汚い女

私は、字が汚い。
丁寧に書いても、雑に書いても汚い。
お店などの登録で、住所を書いていたとき、親友さまが後ろで見ていて「汚なっ……」と思わず口にしてしまうほど汚い。

仕事柄、「ゲラに赤字を書き込む」という作業があるので文字はよく書く方である。
以前、私を育てた編集長に「校了紙は額縁に入れてもいいくらいきれいに書け!」と教わった
これは、「汚すぎて文字を直すオペレーターさんが間違った修正をしないため」という理由がある。よくあるのが「ツ」「シ」の区別がつかない字。「ツナマヨ」が「シナマヨ」になって世に出てしまったら大変だ。なので、汚いながらにも判別ができる文字は書こうと頑張っている。

もう一つの理由が「見て気持ちのいい文字か?」ということなのだと思う。書きなぐりの汚い文字を見て、げんなりした状態でオペレーターさんに作業してもらうのは、申し訳ない。
著者さんへの赤字入れに関しても、きれいな文字を見て気持ち良くこちらの疑問や、修正箇所を確認してもらいたいので、美文字は必要なのだ。
だけど私のように、美しい字を書きたいのに書けない人は、できるだけ誠意を込めた汚い字で対応していくしかないのだと思う(本当にそうなのか……? 違う気がする)。

最近、リモートワークが主なので、簡単な直しはわざわざiPadなどに移さず、PCのPDFにコメント追加の形で指摘を入れたりしているのだが、手書きのほうが早い時がある。
本日、後輩のM女史に、手元のノートに「ここに、こういう風にこんなキャッチを入れて」という図を描き写真を撮って送った。
すると「三次元さんの手書き文字、初めて見たかも!」との返事。
彼女が入社してきて1年ちょっとだが、そういえば文字書いたことなかったかもと、驚いた。
「私、字が汚いのよ。ごめんね」と、とりあえず返事をして、なんとなく悲しくなったので「でも、ハングル文字はうまいよ」と、謎のコメントを継ぎ足したら、「今度見せてくださいね」と大人の対応をされた。

字が汚いので、逆に字がうまい人達を発見すると、えらく感動してしまう。
私の周りには、美しい字を書く人がたくさんいる。
親友さまは、時々手紙をくれるのだがとても美しい字なので、私をけなす資格がある。同僚も、書店POPを書いて提供しちゃうくらいうまい。「ノート術」的な本を作ったときは、掲載する記述見本を先生の奥様が書いてくださったのだが、額縁通り越してルーヴル美術館に飾りたいくらいうまかった。

昔、お付き合いをしていた人の家に遊びに行ったとき、1枚の年賀状が目に入った。そこには、めちゃくちゃきれいな字で、「あけましておめでとうございます。またランチに行きましょうね(笑)。」と書いてあった。
「うわーきれいな字。これ誰?」と聞くと、「会社の同僚」と言う。
私はその時、女の第六感的なものが働き、「コイツ、この女と浮気していやがるな?」と感づいた。ランチに行くのに「(笑)」は、いらないだろ? と。
そのことを親友さまに話した翌月、彼の浮気が発覚し、相手がきれいな文字の年賀状の女だと知る。
結局、別れを選び、親友さまに泣きついたら、「仕方ないよう……その人、字がきれいなんでしょ? 三次元さん、字汚いじゃん……」と言われて、更に泣くという、ひどい話がある。
字が汚いからと言って、浮気されていいなんて聞いたことがない!

ちなみに、優秀で賢い後輩・M美ちゃん(産休中)も字が汚い。
私が彼女を好きな理由の一つである。

そんな字の汚い私ではあるが、じつは絵がうまい。美しい絵というよりは、わかりやすい絵と模写がうまい。
これは、編集者にとって、よい時と悪い時がある。
まず、絵がうまいと、絵を交えて手っ取り早く説明ができるので良い。
では、なにが悪いかというと、イラストレーターさんに依頼をするとき、うまく描きすぎると、それに寄せて描かれてしまう時があるのだ。画力はもちろんプロのほうが段違いでうまいのだが、変にわかりやすいポーズ(例えば、あごに手を置いて首を45度かしげて悩んでいるショートカットの女の子)をラフでうまいこと描いてしまうと、そのポーズのまま上がってきてしまう。
それでは困るので、わざと下手に描くか、棒人間を描いて「悩んでいる女の子」とだけ書くようにしている。

シンプルだけど、絶対ご本人にしか描けない絵を描くイラストレーターさんとお仕事をした時、「時々、私より上手に描いてきて、ご自分でお描きになればいいのに……と思うことがあるわ」と冗談交じりでおっしゃっていた。
もちろん絶対にご本人の絵のほうが素晴らしいのだが、あまり寄せすぎても失礼なのだな、と学んだ。

というわけで、字と画力、ちょうどいい塩梅になりたい。
そして繰り返しますが、ハングル文字はうまい(……気がする)。

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