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現代アートの楽しみ方ー「わからない」からこそできることー

みなさんは「現代アート」と聞くと、どんなイメージを持ちますか?

あまり現代アートに触れたことがない人にとっては、

「なんか難しい」
「どう楽しんだらいいのかよくわからない」
「なにを伝えたいのか、意味不明」

みたいなイメージがある人も多いのではないでしょうか。

「美術が好き!」という人の中でも、その多くは印象派が好きであったり宗教画が好きだったりして、「現代アートが好き!」という人は、多くないように思いえます。

さて、ぼくは現代アートがすごく好きです。

現代アートの展覧会があったら行ってしまうし、清澄白河にある東京都現代美術館は、東京で一番好きな場所の一つです。(作品だけでなく建物や周囲も含めて素敵なので、ぜひ!)

ぼくが現代アートを好きな理由。

それは、その「わからなさ」です。

わかりやすいもの、伝わりやすいものが溢れている中で、現代アートを体験することは、わからなさを存分に楽しめる機会なのです。

今日は、ぼくの現代アートへの愛を語るnoteです。


現代アートってなに?

そもそも、現代アートってどんなアートなんでしょうか。

名前通り、「現代の」アート。

諸説ありますが、デュシャンというアーティストが《泉》という作品を展覧会に出した1917年以降を指すことが多いようです。

この作品、既製品の男性用便器に制作年度と署名(しかも偽名)を書いただけのもの

「そんなんあり!?」って感じですよね。

《泉》以降、目に見えるものだけでなく、作者の頭の中にある論理も作品だとするコンセプチュアル(概念的)なアートが出現するようになりました。

これが、現代アートの大きな特徴の一つ。

また、現代アートの特徴として、多様性も挙げられます。

技術の進歩にしたがって、絵画や彫刻といった既存のジャンルに囚われないアートが増えました。また、それまで美術史はどうしても西洋中心に考えられてきましたが、色々な地域のアーティストがきちんと認められるようになったことも大きいです。

だからこそ、まだうまく整理されておらず、定義することが難しい。これは現代アートの「わからなさ」の一つの要因になっているかもしれません。

この作品は何を伝えたいんだろう、を妄想できる

現代アートの特徴として、概念的であることを挙げました。

概念的というと難しい感じがしますが、要はアーティストが伝えたいことがギュッと濃縮されたものが作品として表現されている、ということ。

メッセージが濃縮されているからこそ、「この作品は何を伝えたいんだろう?」とたくさん考えられます。

この作品なら、こんな感じ。

「なんでこんなに均等に綺麗に色を塗ったんだろう?」
「真ん中の赤い線が真ん中から少し右にずれているのどうしてだろう?」
「これって正三角形なのかな?」

もちろん答えはわかりません。もしかしたら、なんにも考えていないかもしれない。

でも正解を出すことが目的なのではなく、その過程を楽しむことが大切。そもそも正解なんてないしね。

「こういうことかなー?もしかしたらこうかもなー?」と、色々なことを妄想できる楽しさが現代アートにはあります。

自分の感覚に丁寧に目を向けることができる

現代アートの多くは、日常では目にすることのない「異物感」を持っています。

なんだかよくわかんないもの、一見気持ち悪いもの、ド派手なもの。

だからこそ見たときに、「うわっ」とか「おもしれー!」とか「どういうこと?」とか、色々な気持ちが生まれます

そんな感情の動きこそ、アーティストが作品を通じて生み出したかったものなのかもしれません。

そして、美術館にあるのは、あなたと作品だけ。

あなたのその感覚に素直になってみると、色々な気づきを得られることでしょう

「ここをなんでこんな風に表現したんだろう」
「どうして私はこれを気持ち悪いと思ったんだろう」

それは作品やアーティストに関するものかもしれないし、もしかしたらあなた自身に関するものかもしれません。

いずれにせよ、普段は見過ごしてしまう色々な感覚に丁寧に目を向けるきっかけを、現代アートは与えてくれるのです。

上手/下手という価値観から解放されている

これだけ現代アートについて語っているぼくですが、4年前に現代アートを好きになる前は、アート自体に全然興味を持っていませんでした。

いや、むしろ苦手意識を持っていました。

なぜなら、絵が下手くそだったからです

美術の授業で描いた絵を発表するのとか特にめちゃくちゃ嫌でした。

ぼくのアートへの苦手意識は確実に、作品が上手/下手という価値基準によって評価されてしまう学校の中で育まれました。

でも、現代アートって、上手/下手とか全く関係ないんですよね。

何と言っても、その始まりは便器に名前書いただけの作品です。

先ほど述べたように、現代アートはとても多様で、価値基準も美醜・難易など様々なものがあります。

むしろその価値基準を揺さぶろうとしている作品も少なくないでしょう。(そんな中で唯一、画一的な基準になっているのがお金で、お金と現代アートの関連にまつわる言説は本当にたくさんあります。)

色々な価値基準が存在し、上手/下手から解放されている現代アートに対してぼくは、親近感、あるいは「ぼくでもできそう!」という気持ちを抱いたのです。

美術館に行ってみてください!

美術史を語る上で、絶対に外せない出来事の一つが、「写真の出現」です。

写真の出現によって、「写真と絵画の違いは何か」あるいは「アートを美術館に見に行く理由とは?」といった、これまでのアートのあり方を揺るがす問いが数多く生まれました。

さて、今回のnoteに載せた写真は全て、ぼくが美術館で実際に見た作品の写真です。写真を載せながら、改めてぼくは写真の限界をひしひしと感じました。

目で見て初めてわかるサイズ感や質感。あるいは写真では表現できない立体感。さらには、現代アートには、実際に体験したり、参加したりして初めて完成するアートもたくさんあります。

写真では、現代アートの魅力のごくごく一部しか伝えられない!悔しい!

というわけで、ぜひ一度、騙されたと思って現代美術館へ行ってみてください!そして感想を教えてください!笑

楽しめた方とも、やっぱり意味わかんなくてつまんなかった方とも、ぜひお話ししてみたいです。そんな風に色々話せることが、現代アートの一番の価値なんじゃないかなと思います。

トップ画像はパリにある現代美術館、ポンピドゥーセンター。とてもよかった。

ちなみにパリ滞在中に、パリの好きなところを書きまくったnoteがあり、今回のnoteとも関わる部分があるので、置いておきます。

当初LINE BLOGに書いてた物をコピペしたので写真とかがなく読みづらいですが…暇な方はぜひw

cotree advent note 53日目(今回はcotree関係ない度強めw)


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