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無責任に夢をみていたい

過去に一度だけ“結婚”がリアルなものになって、でもそれからしばらくしてそれが遠ざかった時、私はひどく安心した。

私はまだ、結婚できるような心を持った人間じゃなかった。


たった一度の人生だもの、と思う。
これまで生きてきた26年間は、当たり前だけれどもう戻ってはこない。

もう戻ることはない。進んでいくだけ。


私は過去に対して後悔が多い人間だ。
それぞれの年齢に戻れるなら、やり直したいことや回収しておきたいフラグがたくさんある。

親との関係や、自分との向き合い方についてもそう。
もっと両親のことを大事にすればよかったと思うし、高校時代に不登校にならずに一生懸命勉強したり一生懸命遊んだりしたらよかったとも思う。

でも、両親を傷つけたり不登校になって勉強をしなくなったり映画館に入り浸ったりした結果、今の私がいて、幸いなことに今の私はしあわせに暮らせている。
私は人にも自分にも厳しい(つもりの)人間になったけれども、波乱の高校時代がなければただのイヤな人間だったと思う。
きっと、人の痛みが(今よりも)わからず、それでいて主人公体質のただただイヤな人間。

そう思えるくらいには、それなりに人にやさしくできたり自分のご機嫌を取れたり、自分の能力を認められたり自分に厳しくできたりするだけの、濃い26年間を過ごしてきたのだ。


そう考えられるようになってから、置き去りにしてきた色々ややり直したい諸々があってもいいのかもな、今私はしあわせだし、私が選んでいるこの人生は選択可能な人生の中で一番ハッピーが多い生き方に違いない、なんて思うようになった。


そしてそういう思考を持つと、じゃあこれからやりたいと思うことは全て叶えていこう、という結論に至る訳で。
だから今の私は、叶えられるなら叶えたいことがそこそこある。

・大学に行って、古典文学を勉強する
・大学に行って、文学そのものを勉強する
・大学に行って、ことばの研究をする
・大学に行って、言語の研究をする
・略、言葉を使った表現について勉強する
・略、言葉の芸術について勉強する
・略、映画そのものについて勉強する
・略、芸術の音について勉強する
・5年間めちゃめちゃ会社の役に立ち続ける
・具体的には後3ヶ月で地盤を自分の中に作って
・残り半年でなんでもできるようになって
・4年間会社にとって必要な社員でい続ける
・その先は自分のために生きたい
・お金持ちになる
・大金持ちになる
・自分が何かしたいと思った時に
・金銭面で断念することがないくらい
・めちゃめちゃのお金持ちになる
・5年でお金持ちになれてなかったら計画を立て直す
・両親の定年後の理想を叶える手伝いをする
・父の実家をリフォームして
・両親のこの先を楽しいものにしてあげたい
・弟たちが家族を持ったら足長おばさんになる
・親友たちの子供の幸せを見守る
・友達になりたい人全員と友達になる
・ここまでに列挙した夢をほぼ叶えて死ぬ


そう、まず一つ大きな夢が、大学に行って勉強したいと思っていること。
私は一応(ポンコツ)大学を出ているので、多分院に行く資格がある(んだかないんだかちょっとその辺はよくわからないんだけど多分あるよねと思っている)のだけれども、そうでなくてちゃんと4年間学びたいのだ。
再び大学の名前を使ってどこかに就職できるようにしたいとかっていう理由ではなく、純粋に学びたい。
と言いつつ、さっきシャワーを浴びながら冷静に考えてみたのだけれど、現役の高校生たちが死に物狂いで勉強してセンターを受けて大学を受けるのに、社会人の私にそんなことができるのだろうか?と結構現実的に厳しそうだなと思ってはいる。

でも勉強したいんだよね、私は。
自分が興味あることをどこまでもどこまでも追い求めて、ずっと勉強している院生の弟を見て、私も勉強したいくらい興味を持ってるものが実はあるんだよね、とふと気づいたのがきっかけで。
だから、もう少し仕事が軌道に乗ってうまく自分で回していけるようになったらもっと真剣に考えようかなと思っている。
ひょっとしたら35歳くらいで大学生をしているかもしれない。
リアルな話、31-32歳くらいの私ならやってそうだな、と思ったりもしている。


会社の「5年」というのはなんとなくではあるけれども、今の会社は5年後辞めてそうだなという感覚が、自分の中にうっすらとある。
しかも多分嫌になってやめるのではなくて、この頃には「自分のやりたいことができる場所」が変わっているのだと思う。
さっき32歳の自分なら大学受験してそう、と言ったけれども、5年後の私はちょうど31-32歳なのだ。それに合わせて5年と言っているわけではなく、それぞれの夢と感覚は独立した上で、辻褄があっている。
もし大学に行かなかったとしても、やっぱり5年でそのとき一緒に働きたいと思ってる人たちと働くために辞めてそう。そういう行動力はバカほど持ち合わせている。

私は運命論者なので、自分がピンときたことだったり自然と辻褄があっていたことだったり、そういうのはかなり信用している。
私が信用するのは運命と言霊。あとゾロ目の効力。
ゾロ目が出たときに心の中で「叶えたいなぁ」と思っていることは確実に叶うことが保証されていると、私はずっとずっと信じている。ちょっと夢見がちで恥ずかしいけど。


それから、両親の夢を叶えてあげたい。
これはこれまでの長かった反抗期が嘘のように両親のことを大好きになった私が、これまでの謝罪と感謝の気持ちを持って叶えたいことだ。
二人にはたくさんのことを犠牲にさせてきた。
思い描いていたようにはここまで進めなかったと思う。
ずっと死にたいと言い続けて悲しませてきた。
だから、「私はもう一人でも元気で生きられるよ、立派な大人になったよ、これまでごめんね、ありがとう」という気持ちを持って、二人のこれからを穏やかでしあわせな時間にしたい。
とんでもない私のエゴだけれど。


こういうことを考えていると、私の持ちうる全ての時間、全てのお金、そして私の全てを私のために使いたくなってしまう。

誰にもこの時間をあげたくない。
誰かのために私の夢を削ぎたくない。
誰かと生きることで私の未来を変えたくない。

そんな風に思ってしまう。

だから、とことん人と生きることが向いていないのだな、と最近よく思う。


さっきあれだけ列挙した夢だけれど、正直いつでも変わりうる。
私は自分の心のままに生きたい人間なので、急に「数学がやりたい」とか謎なことを言い出す。
昨日まで興味がなかったことに、急に興味をもつ。そしてハマる。
昨日わからなかった『π>3.05』の証明問題を、私は今日できるようになった。そのくらいやることなすことが変わる人間だ。

だから私は私として生きるのがたのしい。
そしてこのたのしさを、今はまだ独り占めしたいと思ってしまう。


自分で夢を見るのは、自分に対して責任を取ればいいだけなので大抵無責任でいられる。
そう、自分ひとりで夢を見ているなら、ずっと無責任で良いのだ。

だから私は結婚したくない。
あのとき結局ダメになってよかったなぁ、と思う。
私の夢を犠牲にしたくないし、責任を取らなきゃいけないのが怖すぎるから。


たった一度の人生なんだもの。



たのしく生きます