見出し画像

わたしという人(その3)

フジサンズとの出会い。

それは大きな出会いでありました。
宣材がほしいバンドがいる、カメラマン見習いのわたしを人づてに聞いてまるで矢文を送るようにひっそりとあるバンドマンからこの話を聞きました。
「大学の先輩がとしこちゃんに撮ってもらいたいって」
一枚の無料配布のCDを彼からもらいました。
八王子のバンドマンの集合した無料オムニバス、そのわたしに撮ってもらいたいというバンドは二曲入ってました。
聞いてみると爽やかな風のような、芽吹いたばかりの若葉のような匂いを運ぶような素朴で美しい音楽のバンドでした。
私は震えました、こんな人たちを撮っていいのか?類まれな才能溢れるこの人達はどんな人なんだろう。

メールでひたすらボーカルの男性とやりとりをし、私がライブに行く日が決定しました。
ドキドキして会うと、顔色の悪いガリガリの人がボーカルだと言うのです。
もっと血色がいい人かと思った!が第一印象でした。笑
坊主の仏のようなベース、やたら老けてるギター、天然アフロのドラムが私を迎えてくれた。
どの人も人見知りで、「カメラマンさん…ああ、どうも」みたいな感じだったような。吉祥寺クレッシェンド、今でも良く覚えてる。
歳が同じと聞いてドラムの天然アフロとは少し話した程度、多分クセの強いフジサンズの中で彼と一番話しやすかったからかもしれないけど。

私がこの人見知りの男たちとどう仲良くなったかはまるで覚えていないけど、ゆっくりと多分長い時間を掛け、絆を深めたような気がします。
これかな、と思ったのは彼らの初ツアー。フライヤーも私が作り、全てではないけどツアーについていき、彼らのサポートを続けた。
あれこれ雑務も積極的にやる私の姿を見て信頼が生まれたのか、私は無意識に彼らと共にいた。

家族のくろうさぎ、仲間のフジサンズ

2つのバンドに私は生かされた20代を過ごしました。彼らがいてくれたから私は私だったのかもしれない。
2つのバンドに信頼された私にはいつのまにか周りにカメラマンとして信頼してくれる人々が増えました。
「何かに憑依されたようにライブを撮る奇妙なカメラマン見習いがいる」

スパンクル、オーディオカタログ、Dog on Backseat、たくさんのバンドたち。

くろうさぎの愛とフジサンズの信頼でついてきてくれたバンド。ジャンルは全てバラバラだけど全てのバンドマンは嫉妬せず、仲間として互いを愛し高め合うような関係でした。
自分の心の狭さを感じました。仲間たちとの関係を見てなんともうらやましくなり、専門学校での孤独は勝手に思ってた事なのか?そう思い、また素直に同級生たちと友達として関わっていくようになりました。

丁度その時は就活の話題で盛り上がっていました。就職先はプロカメラマンのアシ(直アシ)スタジオ、会社所属の専属カメラマン(社カメ)のアシ、そのまま独立してしまうツワモノ。
だいたいその選択欄でした。

わたしはどうカメラマンになればいいのだろう?周りの積極性にまた少しうろたえてしまう。カメラマンになって自分を表現したい。でもまたアシスタントという大きな壁、多分鈍臭い自分は怒鳴られて追い出される。
周りのチャレンジ力が羨ましかったし、どんなにバンドマンに声をかけれる人懐っこさでも社会に出て行くことはとても怖かった。

少しだけ、フリーターをして作品を作ろう、あと就職してしまったらくろうさぎ、フジサンズやバンドマン達と離れてしまう。
私は信頼された人から忘れられる事がつらかったのかもしれないしきっと就職という現実から逃げたかったかもしれない。
専門学校の担任の職員はそれは良くないと猛反対、わたしに色々な会社を勧めてくれた。本当に今考えるとなんて素敵な恩師なんだろうと思うのに「色々考えたいです」と彼のアドバイスを鵜呑みにできなかった。

今はもともとお互いサッカーが好きなこともありサッカーの話をしたり互いのチームが試合だと会ったり付き合いがあるぐらい大好きな恩師。
でもその時は反抗してたなぁ(ひどい生徒でごめんなさい🙏)

数ヶ月だけ自分の好きなことやりました。
しかしフリーターしながら作品を作るって大変で、かなりストレスになりました。
フリーターで何かをしてる人ってすごい。何が自分に正解かわからなくなるし、本当にこれでプロになれるのかという不安。まぁ、この環境にいたらなれないのは当たり前なんだけれど。

そして私は決断。
みんなと離れる寂しさより、仕事をしてカメラマンとしての自分を作り上げたい欲が上がっていき、担任が勧めてくれたとあるプロダクションに入社するのでした。

みんなには大都会で働くと伝え、八王子にはあまり来れない事になりました。
日に日にバンドとの関係も薄れ、私が去った後かなりのバンドが解散していきました。
せっかくの解散ライブ、私は仕事で行けないことが多かった、当たり前の話だけどこれが社会なのかという気分でした。
またひどく孤独を感じました。せっかく撮れる機会を会社からもらっても満足に撮れず、毎日ダメ出しの連続。

学校で何を学んできたんだ!もっと撮れると思った!甘えるな!

ライブを撮っていた事がいけなかったのか?私は何も学んでなかったのか?自暴自棄になった1年目、社長から「うち経営厳しいから辞めてくれる?お前まだ若いしどこかに拾ってもらえるだろうし、それじゃ」
とあっさりしたクビ。

私たちの業界はこんな事当たり前に起こる、使えないから、経営が厳しいから、簡単に首を切られる。会社都合。若い私は何も言えず無言で会社を出てキラキラした街で涙を浮かべながら帰っていきました。なんて私は惨めなヤツなんだろうか、この街はこんなに輝いてるのに私は何一つ輝きもせず首を切られたよ。
帰ったら突然具合が悪くなり倒れました。

ノロウィルスでした。

さて、今日の話はここまで。
なんだか自分でもなんて暗黒期なんだと失笑してるけど、自分の備忘録的に書いてるのでどうかお許し下さい。

また気が向いたら続きを書きます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?