“塩梅”が大切
【塩梅(あんばい)】とは?
1 料理の味加減
2 物事のぐあい・ようす
3 身体のぐあい・ようす
4 (按排・按配)物事のぐあい・ようす・程合いを考えて、程よく並べととのえたり処理したりすること
という意味だが、
臣下が主君を助けて政治や仕事を程よく処理すること。
という意味もあるそうだ。
【正論】とは?
道理にかなった正しい意見や議論。
【正論】だからまさに正しくて非の打ち所がない。
しかし往々にして、実社会においては“すり合わせを拒む”ことが多い。
企業側:「お客様、気持ちはわかりますが、これはルールなんです。」
お客側:「ルールもわかるんだけど、ちょっとは寄り添ってくれよ。もういいや。いらないよ。」
昨今【正論】は、
● 正しいだけで何の解決ももたらさない主張
● 主張自体は正しいが、いま求めているのはそういう意見ではない
といったニュアンスが含まれることもある。
「それは【正論】だけど、今言うなよ。お前が言うなよ。(笑)」
【正論】は正しいが、【正論】を“武器”にする奴は正しくない。
感じ方や価値観は十人十色。
物事を捉える時に気を付ける事
それが自分にとって、他人にとって「快」なのか?「不快」なのか?
なぜ、「快」なのか?「不快」なのか?
伝えないと相手は分からない
ここで伝え方を間違って、“押し付け”が始まると、人間関係はたちまちおかしくなる。
お互いが自分の価値観を主張し始めて、収拾がつかなくなってしまって、誰かを一方的に攻撃するような“図式”すら出来上がってしまう。
自分なりの“価値観”を持つことは大切なことだ。
そうでないと、他人の発言に振り回されて疲れるだけ。
誰にでもそれぞれの立場がある。
誰もがその場そのとき「そのコミュニティ」内の立場がある。
立場が変われば、見えるものも変わり、感じ方も変わり、価値観も変わるもの。
“守るべきもの”“失いたくないもの”“今必要なもの”も立場によって違う。
その立場によって【主張】だって変わって当然。
それぞれの立場のメンター・専門家、同じ立場の視点からの“情報提供”には耳を傾けるだろう。
そうではなくて、『自分の立場を守るため』『自分の立場上の義務』として【主張】してる人や、『立場も関係ないが自分の【主張】』する人の批判めいた“情報提供”に“イラッ”としてしまう。
すべて一括りにはできないが、結局のところ人の意見は、自分の置かれた立場に基づくものが多いと思われる。
冷静になって、相手がどういう立場でそれを言ってるのかを、少し考えてみる。
そうすると、その言葉の“意味”と本質が少し見えてくる。
そうして、他人の言葉(批判であれ賞賛であれ)に右往左往しなるようにするしかない。
他人は他人。
その人の立場、その人の世界観で思うことを言っているだけのこと。
自分は自分。自分にも自分の立場と世界観がある。
『正解のない問題・課題』に直面した“混沌”した今は、多くの方が“不安”を感じている。
こんな時だからこそ、
指揮官は上手な“塩梅”で方向性を示して欲しい。
ルールが理不尽だからといって、ルールを破っても良いとは誰も言ってない。
ルールは簡単には変えられない。
しかし、この難局を乗り切るのに“障壁”となっているルールは、指揮官の上手な“塩梅”で臨機応変に解釈を変えて欲しい。
誰もが正義を装いたがり、揉め事があると、「自分は間違っていない」と言う。
その人の立場にたつと、確かに間違ってはいないかもしれないが、“世の中の認識とのズレ”が存在していることもある。
“理屈”や“言い分”が正しければいいというものではなく、そこにも“塩梅”が必要だ。
誰にでも“間違い”はある。
“間違い”とわかったら素直に「ごめんなさい」と謝ったらいい。
謝ることは格好悪いことでなく【美学】だ。
人の間違いを指摘して論破する人は敵を作るだけ。
人の間違いを指摘しても、それを“笑い”に変えることができれば、多くの人が“心地よい”。
今だからこそ誰にでも、“塩梅” がとても大切なような気がする。
<ご参考 ”諺” >
「人と屏風は直ぐには立たず」
屏風が折り曲げなければ立たないように、人も正論ばかりでは世間を渡っていけない。
「曲がらねば世が渡られぬ」
真面目さや正義だけでは世の中は渡れないので、時には、融通を聞かせることも必要だ。
「水清ければ魚住まず」
水がきれいすぎると却って魚が棲まなくなるように、清廉潔白も度がすぎると人に親しまれない。
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