【隙間時間】は“ゴールデンタイム”。【多忙】とは【他忙】のこと。【多忙】と【多動】は全く違う。
1日は24時間。誰にでも同じ“24時間”。
しかし、この平等な“24時間”の使い方によって、多くの“不平等”が生まれている。
『Time is money』ではなく、『Time is Life』だ。
誰にも平等である時間は、人によっての“投資度合”“運用方法”によって、あらゆる意味での【資産】の生み出し方が変わる。
時間は大別すると【自分時間】と【他人時間】の2つだ。
【自分時間】を有効活用して、その価値を最大化していけばいくほど、人生の“質”は高まるはず。
私は、この考え方なので、“人の時間”を奪うことに、“無頓着”というか?“迷惑をかけている”と思っていない人や行為は、不快感しかない。不愉快そのものだ。
代表的な例として、【いきなり電話】をしてくる人とは、ビジネスをしようと絶対に思わない。
偏見だが、電話に依存したビジネススタイルの人は、
”お・し・ま・いDEATH!“
しかし、どんなに排除しようと思っても、生きていく限りは、【他人時間】に関わらない訳にはいかない。
あるイベントで出会ったA君とB君がいる。
「今日は楽しかった。また飲みに行こうね。」という話になって、後日A君とは飲み仲間となった。
数か月後、私の友人の飲食店がオープンしたのでA君と食事に行くことにしたところ、B君もジョインした。
コロナ禍での自粛生活中に3人での“オンライン飲み会”を開催した。
日程の基準は『B君が参加できる日時』なのだが、1回おきには“ドタキャン”になる。
開催できてもB君は
「すみません、次の予定があるので失礼します。」
とオンラインを途中退室する。
緊急事態宣言が解除になったので、3人での飲み会をセッティングしたが、案の定、当日B君から
「急に仕事が入って今日はいけません。ごめんなさい。」
というLINEが届いた。
いつものようにA君と二人で飲むことになった。
遂に3人で飲むことになった時、大人げない私は、B君に対して長々と“説教じみた”話をしてしまった。
「なんで、あんたの時間軸に振り回されなあんのかな?他人の時間を奪ってるって感覚ないでしょ?」と。
このコロナ禍の“飛沫感染”や“3密避けろ”という時期なので、友人の店ではあったが、多大な迷惑をかけてしまったのだ。
翌朝、酒も抜けて、冷静になって考えて“落ち込んだ”。
「一度無駄にしてしまった時間、過ぎ去った時間は取り戻せない。」
「信用は築くには時間が必要だが、信用を失うのは“一瞬”のことだ。信用を回復するのは、もっと時間が必要だ。」
“落ち込んで”“悩んで”時間を過ごすのでは、それこそ無駄なので、A君・B君・店長に謝罪LINEを送った。
【他人時間】の主原因は、“他人の責任”による割合が高いが、実は“自分の責任”のほうが大きい。
好きなことだけをして生きていこうとシンプルに考えているつもりだが、“あれもやりたい”“これもやりたい”というバランスがとれていないからだ。
本当に“自分が大切にしたいことは何か?”という絞り込みができていないのだ。
“移動時間”とか、“待ち時間”といった、【隙間時間】を上手に使うことが【時間活用の“コツ”】と思えるようになってきた。
“ドタキャン”や“予期せぬこと”で急に時間が空いた【隙間時間】は
神様がくれた【ゴールデンタイム】
と考えればいい。
この【ゴールデンタイム】に
『“やりたいこと”で、まだ手が付けられていないことを考える』
『“やりかけていること”の再チェック』
といったことができる【有難い時間】と考えるようにした。
【多忙】とは【他忙】で、【多忙】と【多動】は全く違うことだ。
『“自分の時間”が基準で、“他人の時間”を混乱させる人向けの“ワクチン”』が欲しいと思ってきたが、“ないものねだり”すること自体が“無駄”だ。
他人の行動を変えることも難しいのに、他人の時間軸を変えるなんて至難の業だ。
他人への“心遣い”という基準を持ち合わせていない人に対して
「自粛生活して、飲みに行かないで!」
と叫んだところで、従うはずがない。
自己防衛しかない。
【隙間時間】を自分の“カンフル剤”にすればいいだけのことだ。
日本屈指のマーケターの一人である森岡毅氏が言う
「100かゼロかではなく、プロならばその間で考え抜け」
という【自分時間】を増やすべきだ。
幸いにして、政府や知事や感染症専門家から、国民は「外出を控えて」という【自分時間】を増やせるという“お墨付き”をもらっているのだから。
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