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【歴史21】スイス史備忘録8(フランク王国分割・ヴェルダン条約・メルセン条約・東フランク王国・地方貴族独立・シュヴァーベン公国・高地ブルグント王国・低地ブルグント王国・ブルグント王国)

スイス史の学習内容を深めていきます。

①814年にカール大帝は亡くなった。三男のルートヴィヒが継承したが840年に亡くなり彼の息子たちが領土争いを行った。

②フランク王国は843年のヴェルダン条約で中部フランク王国、東フランク王国、西フランク王国の3つに分かれた。

③855年に中部フランク王国のロタール1世が亡くなって再度争いが勃発した。

870年にメルセン条約が結ばれて東フランク王国のルートヴィヒ2世と西フランク王国のシャルル2世は中部フランク王国の一部を分割してそれぞれが編入した。

④中部フランク王国のロタール1世の息子であるロドヴィコ2世は残った部分をイタリア王国として統治する事を許された。

⑤現在のドイツとなる東フランク王国、フランスとなる西フランク王国、残った部分がイタリアの原型となった。

⑥スイス誕生の地域は東フランク王国に属していた。東フランク国王のルートヴィヒ2世は在地貴族が土地を獲得し勢力を拡大しないようにザンクト・ガレン修道院などに土地を寄進していた。

⑦北部のチューリヒではフラウミュンスター女子修道院を建設した。911年に東フランク王国のカロリング家が断絶して地方貴族が独立を試みた。有力貴族が主導で国王を選ぶ選挙をしてフランケン公コンラート1世を王位に就けた。

⑧アレマン公国だった地域では地方貴族が権力を得てシュヴァーベン公国を打ち立てた。

東フランク国王であったザクセン朝のハインリヒ1世は919年にシュヴァーベン公を服従させたが公国の存在は認めた。

⑨スイス西部でも同様に地方貴族が力を握り始めた。9世紀後半にはヴェルフェン分家が自立してスイス西部を中心として高地ブルグント王国が成立した。

⑩同時期にヴィエンヌ伯家が自立してフランス南東部を中心に
低地ブルグント王国が成立した。

⑪10世紀の初めにカルパチア盆地に定着したマジャール人(ハンガリー人)が西欧各地を襲撃した。スイスでは917年にバーゼルが壊され、ザンクト・ガレン修道院とライナウ修道院が放火された。

⑫933年に高地ブルグント王国のルドルフ2世は低地ブルグント王国を併合してブルグント王国が成立した。

6世紀にもブルグント王国という名称はあったので首都のアルルをもとにアルル王国とも呼ばれた。

⑬ブルグント王国は南からイスラーム教徒の襲撃を受けた。イスラーム教徒はスイス西部にまで進出をして940年にサン・モーリス修道院を襲撃した。

■参考文献 『1冊でわかるスイス史』踊 共二 河出書房新社

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