見出し画像

【日本史8】平安史備忘録52(源平合戦の誤解・桓武平氏・伊勢平氏・平家の人事介入・治承寿永の乱)

平安時代の学習を深めていきます。

本日の学習は、

①平安時代末期の一連の争乱は源平合戦と呼ばれているが正確な表現とは言えない。頼朝側についた北条時政、千葉常胤、上総広常らは桓武平氏に連なっている。

②しかし桓武平氏の成立は9世紀でありそこから300年以上の歳月が流れており関東に土着した平氏の子孫と伊勢平氏として都で地位を築いた清盛らとは別系統である。

③源氏と平氏は平安時代末期まで友好関係が多く見られている。11世紀に起こった平忠常の乱を平定した源頼信は子の頼義と討伐の協力者平直方の娘の結婚させている。

④以仁王の挙兵に参加した源頼政は清盛の後押しで公卿となった。頼朝と敵対した大庭景親は桓武平氏の血統であった。平治の乱では源義朝に従い、後に清盛の配下となった。

⑤平安時代末期の戦乱は『吾妻鑑』の記述が主要典拠とされてきたが幕府の成立を肯定する立場で書かれている。挙兵直後の頼朝は都の有力者の間ではほぼ無名で影響力はほぼなかった。

⑥関東各地の知行国や荘園の多くは皇族や藤原氏などの有力貴族のものであった。清盛が実権を握った1179年(治承3年)の治承3年政変のあとに平家一門とその家人が国司などの要職に就いた。そして現地の人事に介入するようになった。

⑦北条時政は平家の家人の山木兼隆と上総氏は家人の伊藤忠清と千葉氏は下総国(千葉県北部と茨城県南西部)の有力者で平家一門と結びつきが強い千田親政と対立していた。

⑧関東の武士の多くが頼朝の側についたのは同様の構図が各地で行われていたからだ。後には源氏内部でも主導権争いが起こった。ゆえに源氏と平氏の戦争とは断定できない。

⑨現在では平安時代末期の戦乱は治承・寿永の乱と呼ぶようになった。

■参考文献 『1冊でわかる平安時代』 大石学 河出書房新社

学習教材(数百円)に使います。