留学中の「ランチどうする?」からの一喝が今も役に立ってる
留学中に学んだ事のうち、その後の人生でも何度も役に立ったことが語学以外でいくつかある。
そのうちの一つは、ランチに何を食べるか、という話から始まった。
日本では普通の「何でもいい」が…
留学先は小さな街だったので、ぷらぷら歩いててもあちこちで友達に会うのが普通だった。
その日もたまたまスペイン人の友達とばったり会い、お昼の時間だし何か食べようかという流れになった。
「何食べたい?」と聞かれて、特にこれといって思い浮かばなかった私は、
何でもいいよ〜
と答えた。
「いや、でも、何かあるでしょ。」
「ううん、本当に何でもいい」
それまで特に不思議にも思わなかったこのやり取りが何回か続いた後、思いもしない返しが飛んできた。
「もうさ、何でもいいって言うのやめなよ!」
え…?
あれが食べたいって譲らないならまだしも、
「何でもいい」で怒らした?なんで?
私は予想外の展開について行けず、少し固まってしまった。
「何でもいい」の表と裏
固まった私を前に、友達は続けた。
「何で日本人はすぐにそうやって「何でもいい」って言うの?
僕はただ、君が今何を食べたいか知りたくて聞いてるのに。
ないなら、その場で考えたっていいだろ?
まずはお互いの希望を出し合って、
最終的にどうするかはその後決める事じゃん。
なのに始めから「何でもいい」じゃあ、
まるで考えようとしてないっていうか、
「どうでもいい」みたいで良くないって!」
。。。
そうか、私は表向きには「あなたに合わせますよ」と譲って、いい事をしてるような気になっていたかもしれないけど、
どこかで考えるのがめんどくさくて相手に決めてもらって楽をしようとしてたのかもしれない。
でも、いきなり「合わせますよ」だと、
相手からすれば、考えてない→どうでもいい→
相手のこともどうでもいい、と感じてしまうこともあるんだな。
自分の希望を言うことと、
最終的に決まることは別
考えてみれば当たり前だけど、なかなかできていなかったのかもしれない。
異なる意見を言い合うような事は、そもそも機会がなかったのか、避けていたのか、どちらにしろ、あまり経験がなかった。
でも、意見を求められたら答える事が礼儀
なんだ。
もしかしたら、今までも日本人留学生と同じような状況になって、ことごとく周りに合わせようとするだけの日本人に苛立ちを感じていたのかもしれない。
友達の気持ちがやっと分かり、ランチの希望も言えない事に申し訳なくなった。
自分の意見を持て、そして伝えろ
少し考えて、
「じゃあ私は〇〇がいいかな。何食べたい?」
と言ってみた。
そしたら、考えてくれた事が嬉しいのか、
私の食べたいものが意外だったのか分からないけど、
満面の笑みの彼。
「俺は△△がいいかなって思ってたけど、〇〇にしよう!でも次は△△な!」
と言って、非常に満足気だった。
その後何を食べたのか、さっぱり覚えていなんだけど、この時の一喝は15年以上たった今でもよく覚えている。
そして、夫に何がいいか聞かれた時、
会社で意見募集というメールが来た時、
同僚から意見を求められた時、
小さな事でも考えるようにしている。
考える事を心がけているうちに、
だんだん自分の好みが分かり
価値観が言語化されて
アイデアも出てくるようになった。
そして自分なりの考えを、押し付けるのではなくて、あくまで一つの意見として伝えた。
そうすると、たいてい、話は盛り上がるし、会社の担当者からは結構感謝される。
やっぱり、意見を聞いたときは教えてほしいもの。
楽をしたい自分のために考えるのをやめるのではなく、
意見を聞きたい人のために考えて、意見を持って伝えたい。
時には考えても出てこない時もある。
言い方が分からない時もある。
でも、そんな時も、「う〜ん。。。」と
頭を捻るのも大事なトレーニング。
そうした上での「考えたけど分からない」と、
1秒も考えない「何でもいいよ」は全然違う。
週末は、「お昼ご飯どうする?」という会話をよくする。
そんな時、冷蔵庫にある食材とか、自分の食べたいもの、子供達の体調とか好みを考えながら、ふと、あの日の会話を思い出す。
考えるきっかけを与えてくれて、ありがとう。
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