4-10.速度変化
前回の強弱の変化と同じように、速度(テンポ)の変化も音楽は表現のひとつとして多く用いられます。
しかしこれらは音楽に限ったことではなく、日常に自然と起こり得ることがほとんどですから、その自然な表現が聴く人を納得させる力となります。
一方で音楽は非現実の世界を表現することも容易で、演奏に求められることもしばしばあります。この場合は聴く人の想像を超えた意外性を表現することに面白味があるわけです。
ということで、今回は速度(テンポ)の変化について様々な角度から考えてみましょう。
理性的、常識的境界線
この”note”と交互に更新しているブログ「ラッパの吹きかた:Re」というのがあります。そこで以前「速度に関する記号」という記事を書きました。楽譜を読む上での速度に対する基礎知識が書かれておりますのでぜひこちらもご覧ください。
テンポは元々作品の中にある
メトロノームは「楽譜に書かれているメトロノーム記号(数値)が具体的にどの程度のテンポなのか」を瞬時に理解するための道具にすぎず、そのクリック音に拍を嵌め込んだところで音楽的なテンポは生まれません。私の持論ですが音楽の本来あるべきテンポはすでに作品の中に存在していて、奏者がそのフレーズを歌ったときに実際のものとなる、と考えています。
したがって音楽教育によくある「拍を提示(先生が手拍子をするなど)して、そこに音符を埋め込む」タイプの考えだけでは音楽は生まれにくいと思っているため、吹奏楽部でよく見かけるメトロノームを鳴らしながら曲を演奏するのは音楽の生まれる順番としては不自然なのです。そのような機械的な拍の反復を音楽の基本として訓練や合奏をさせてしまうから、ブレスする時間を確保できずに音価を犠牲にしてブレスをまるで悪のように扱ってしまったり、アゴーギクの発想に至らないわけです。
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