日記|方向音痴の道

重度の方向音痴である。
地図と自分の位置がリンクしない。

道を映像として覚えているから、それぞれの道がお互いどういう関係にあるかがわからない。
帰り道を覚えるには、たまに振り返って、帰るときの視点をインプットする必要がある。

毎日使う通勤経路だろうと、「アジサイの咲いている角で曲がる」と覚えていたら、アジサイが枯れて曲がるタイミングを見失った。

なんとなくで曲がって、しばらく進んでから、どうやら違うぞと気付く。

例え近所だろうといつもの道を一本逸れたら異世界だ。

不便だし、実際困ることも多い。
でも本気で悩んだり是が非でも直したいと思ったことはない。
迷うことが当たり前すぎて、迷子になることへの心理的な抵抗がかなり少ない。

遠くの大きな建物を目印に進むとか、人に道を聞くとか、一旦戻るとか、色んな方法がある。
そもそも現代ならスマホのアプリでだいたいなんとかなる(月1で1年以上お世話になってる美容室へも毎回アプリに導かれて行く)。

この世はほとんど知らない世界で、
何度も行き来して、獣道のように「知ってる道」ができる。

方向音痴は悪いことばかりではない、と旅行したときに思った。

見慣れない土地を不安に思わない。
というか地元ですら安心して出歩けないから、困り感の差が少ない。
炎天下、家の近所で彷徨い続けあわや熱中症という死線をかいくぐってきた私ですから。

そういう意味で、東京も大阪も上海も似たようなものだった。
海外だと言葉や治安の問題で より危険度は増すけど、焦り感はさほど変わらない。どこで迷うかの違い。

道に詳しい人が居れば任せるけど、一応自分でも地図は見るし考えている。
さすがに任せきりは悪い!たまには先陣を切らねば!と熟考の上で真逆に歩き出して本気で引かれることも多々。
なんでかわからない。これが「苦手」というのとなのでしょう

確信を持って歩き出した途端、首根っこやリュックを「こっちだよ」と引っ張られることにも慣れている。散歩してる犬もこんな感じかなと思う。

あと道の名前が覚えられない。 上京するまで住んでいた地元を走る国道も、上京して何度も通った通りの名前も。
「あの、不忍通り沿いの〜」と言われても「不忍通り」が存在していることもわかるし、たぶんあの辺、もわかるが 実体験とリンクしない。

みんな詳しいねすごいね、地理が好きなのか?と思って聞いているけど、どうやらみんな好きらしい(そして好きじゃないのは私だけらしい)

スマホの地図アプリと公共の交通機関があればどこへでも行ける。本当にありがたいことです。

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