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ひとり出版社をつくる⑬「田舎暮らし」

田舎の自宅をオフィスにして、家族とともに好きな仕事をして暮らす――。

こんなライフスタイルを思い描いたのはぼくが高校生のとき、いまから20年以上も前でした。

陸上競技一色の日々を過ごしていた当時のぼくは、あるテレビ番組を見て心が動きました。

それはアメリカで流行りはじめていた「SOHO(そーほー)」というライフスタイルを紹介する番組。SOHOとは「Small Office  Home Office」の略で、その番組では「会社や組織に属さず、自然あふれる郊外の自宅をオフィスにして家族と暮らしながら働く」といった文脈で説明されていたと記憶しています。

大草原の小さな家のチャールズのような頼もしく知的な雰囲気のお父さんが自宅の書斎で仕事し、大草原の小さな家のローラのような可愛い子どもたちが大きな庭で駆け回っている。大草原の小さな家のキャロラインのような優しい雰囲気のお母さんがキッチンで楽しく料理をつくっている。

絵に描いたように幸せなアメリカの家族の光景を目の当たりにし、「俺も将来あんなふうに働きたいなあ!」と思ったわけです。

大学時代に就職を考えたとき、社会人として陸上を続けるかどうか少し迷いました。でも最終的にふつうに働こうと決めたとき、漠然と頭に浮かんだのがライターという職業でした。「ライターなら超田舎の実家でもできるのではないか」と思ったからです。

24歳のときに大阪の広告制作プロダクションにもぐり込んでコピーライターとなり、ボクシングのサンドバッグのようにズタボロにしごかれながらもライターを辞めなかったのは、「あのときに見た幸せな家族の光景」が潜在意識にインプットされていたからです。

大阪の広告制作プロダクションを退職し、出版社を持つ神戸の会社に転職して編集者・ライターを続けたのは、兵庫県加東市という田舎の実家に近づくためです。

その神戸の会社の社長さんには、「将来フリーになって田舎の加東市に帰省し、ライターを続けますので」と面談時に宣言までしたほどです。そんなやつをよく雇ってもらえたと思います(笑)。感謝!

その神戸の会社で2年間しごかれたのち、ちょうど30歳のとき、面談時の宣言どおりに「フリーになります!」と言って退職しました。退職後は、その会社で担当していた書籍編集やライティング、書店営業の仕事などをそのまま発注してもらえるという厚遇をいただくことができました。いま書いていて「なんて恵まれていたんだろう」と改めて感謝です!

フリーになった当時は兵庫県尼崎市の武庫之荘に家族で住んでいました。武庫之荘は大阪・梅田駅まで阪急電車で10分ちょいと恵まれた環境です。ビジネス系の書籍や雑誌の仕事を中心にしていたぼくにとっては好立地で、何の不都合もなかったわけですが……

頭の片隅には常に「あのときに見た幸せな家族の光景」がありました。

そして2014年、36歳のときに、兵庫県加東市という、超田舎にUターンしてライターを続けることになったのです。

田舎の自宅をオフィスにして、家族とともに好きな仕事をして暮らす――。

高校時代に夢見たこの働き方のスタイルを、苦節20年を経て実現したわけです。

田舎にUターンする数年前、大阪の編プロの人にライフプランを話しました。

「将来田舎に帰ってライターを続けたいんです」

たしか、人に初めて打ち明けたような気がします。

返ってきた言葉はこれです。

「高橋君、そら無理やで」

いまでこそ場所を選ばず働くブロガーや田舎暮らしを志向する人が増えていますが、当時の反応はそんなもんでした。編プロの人に限らなかったと思います。

(やかましいわ)

ぼくは内心そう思い、何が何でも田舎に帰ってライターを続けてやると思ったものでした。

***

田舎に帰省して6年。

まあいろいろありましたが、

田舎の自宅をオフィスにして、家族とともに好きな仕事をして暮らす――。

この働き方のスタイルは間違いではなかったと思っています。楽しいです。

今回、新型コロナの影響下で在宅勤務やテレワークが一斉に始まっていますが、ぼくの働き方は正直なにひとつ変わっていません。

だからといって田舎暮らしはいいですよ~と推奨したいわけではぜんぜんなくて。

でも10代のころに志向し、初めて打ち明けた人には馬鹿にされた暮らし方、働き方は、じつは時代よりもかなり先を走っていたこと、そして結構サスティナブルなライフスタイルなのかもしれないという矜持は僅かに持っています。

田舎でライター業を続け、出版業を興したひとりの人間の生き様を、引き続き、ボチボチ発信していきたいと思っています。

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