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ひとり出版社をつくる㉓「統括編」

突然コロナがやって来て、一度目の緊急事態宣言が発出された直後の2020年4月21日――。

兵庫県加東市という超田舎町でひとり出版社「スタブロブックス株式会社」を立ち上げました。その設立までの経緯をコツコツ書き連ねてきたのが当マガジン「ひとり出版社をつくることにしました。」です。

スタブロブックス代表の私・高橋は10年以上、ブックライター(著者に成り代わって一冊の本を書く仕事)をしていました。手がけた冊数はビジネス書を中心に70冊以上です。大阪市内を拠点に全国の都市部で長く活動したのち、2014年に地元の加東市にUターン移住しました。以降、田舎と都会を往復する(今でいう)デュアルライフを満喫しながらブックライターを継続、そしてUターンして6年後にスタブロブックスを立ち上げました。

出版社をつくろうと漠然と思い始めたのは2016年頃です。なので設立までに4年かかったことになります。そのあいだ、取材活動は都市部でおこなう一方で原稿は田舎の静かな環境で書く生活を続け、プライベートではどん底に落ち、それでも死なずにルーチンをこなしながら淡々と、丁寧に日々を送ることで心を建て直し、思い描いてきた出版社の起業を実現させて現在に至ります。

このマガジン(ひとり出版社をつくることにしました。)は2017年3月15日に開設し、なぜ出版社をつくろうと思ったのか、出版社設立に向けてどんな準備をおこない、どうやって意識を高めていったのか、その時々に感じたことや行動したことを発信してきました。

ですが、出版社を立ち上げたあとは、当マガジンのタイトルの主旨(ひとり出版社をつくるまでの物語)を追い抜いてしまったこともあって、内容が散らかり気味になっていました。

そこで、このマガジンを自ら振り返りながら統括記事を書くことで、ひとり出版社の設立物語を完結させることにしました。ひとりで出版社を立ち上げる方法や出版社の経営、ひとり出版社を機能させる諸々(とくに出版流通のことなど)、地方での起業などに興味のある人の参考になればとの思いも念頭に置きながらまとめたいと思います。

この統括記事に目を通していただくだけで、当マガジンの概要が分かるよう意識して書きました。さらに詳しくご覧になりたい場合はリンクをたどってくださいまし。

ではでは、以降、常体(である調)でスパスパいきます。

田舎出身ですが、何か?

高校時代から田舎をバカにされ続けてきた。兵庫県加東市にある私の出身の高校は県内の公立高校で唯一、体育科がある学校で、体育科の生徒は県内各地から集まってきていた。神戸などの阪神間出身の体育科生は都市部で育ってきたことをこれ見よがしに自慢し、私の地元加東市の田舎ぶりを遠回しにバカにした。

田舎をバカにする体育科生はたいがい成績がいまひとつの人たちだった。一方、体育科生の中でもインターハイに出場するレベルの同級生は視野が広く、しょうもない雑談や雑事とは距離を置いて自らの競技力向上に真摯に向き合っていた印象がある。私は体育科生ではなく普通科生として高校に入学して陸上競技部に所属。3年生のときには三段跳びでインターハイに出場して決勝にまで進んだ。

田舎をバカにするような体育科生はたいがい県インターか近畿インターで引退し、私は態度に示すことはなかったけれど内心で誇っていた。

そんなわけで兵庫県加東市という田舎にコンプレックスを抱いていた私は大学進学を機に大阪に出て、卒業後も大阪に残って働き始めた。

ライターになった理由は、将来、地元の加東市に戻るためだ。

大学卒業とともに陸上を引退して普通に働こうと思ったとき、詳しくはこの本(『ローカルクリエーター』)に書いているように、

「将来は組織に縛られるのではなく、田舎の自宅で好きな仕事をしたい」――そんなライフスタイルを夢見てライターになった。バカにされ続けてきた地元を捨てるのではなく、むしろ戻って都会人以上に田舎で楽しく暮らしてやろうと思ったのだ。

当マガジンの第1弾記事は、地元の加東市の紹介のほか、田舎出身の私が出版社を立ち上げる構想を軽く発表する内容になっている。

田舎をバカにされてきた悔しさを微塵も感じさせない軽いタッチで書いてはいるものの、この第1弾記事を読み返すと、田舎を拠点に出版社をつくりまっせ、という意思表明の行間のさらに分け入った隙間に、「田舎出身ですが、何か?」「田舎もんをなめんなよ」という反骨精神をしのばせていたのではないかと、思う。そんなこと自分以外の誰かが読みとれるわけもないけれど。

第2弾から第4弾までの記事では、なぜライターが田舎で出版社を立ち上げようと思ったのか、その理由についてけっこう詳し目に書いている。

背景にあるのは、当時、ライターとしてかかわっていた本づくりに対する問題意識だ。

ブックライターは「本」という媒体のかなめである「文章」を書く当人なので、その本の分野について著者に少しでも近づけるよう勉強する。その著者の思いを一身に受けて(ときに一身に背負って)取材や原稿執筆に励む。当然、届ける対象である読者のことも常に考えている。だから、著者の思いを読者に伝えるという、本づくりのいちばんの肝をブックライターが握っていることになる。

ところが、ブックライターは本づくりの中心にいながら決裁権者ではない。そのため全体の方向性に意見するのが難しい場合が少なくなかった。

ブックライターの立場で深くかかわる本づくりのメンバーは著者、編集者、ライター(自分)の3人。この3人で同じビジョンを共有することで納得のいく本づくりができる。しかし当時は外から横やりが入ることが多く、悶々とした日々を過ごしていた。

ビジョンや志を共有できる人たちと組んで、楽しく本づくりをするためにはどうすればいいだろう。そんなことをずっと考えていた。そして最終的に出した結論。それが、無謀にも自分で出版社をつくってしまうことだった。

ただしこれは、地方で出版社を立ち上げるに至った理由のひとつに過ぎない。地方でひとり出版社を設立した経緯についてはPRタイムズのストーリーでまとめている。

もう一点、書くのがしんどい、という気持ちも強かった。私は文章が得意でライターになったわけではないから、年間10冊前後の本をひたすら書き続ける生活に疲れ果ててしまったのだ。

ライターが「書く」ことから引退しつつ、出版業で「生きる」ための手段として、クリエイティブワークの川下から川上に上がる手段として、水の流れの起点に相当する出版社に自らなってしまおう、という思いもあった。

ではどうやって出版社をつくればいいのか?

出版社をつくろうと決めるのは簡単だ。しかし、その先が問題だ。どうやって出版社をつくればいいのか? そもそも、出版社とは、何をもって出版社と名乗れるようになるのか? 名実ともに出版社になるためには、どういう状態になればいいのか? 見当がつかなかった。

そこで情報収集を始めたのが2016年頃の話。いろいろ調べた結果、出版業界の卸会社に相当する「取次会社」と契約することが、晴れて出版社となれる王道っぽいことが分かった。

そこで第5弾の記事だ。

第5弾記事では、取次会社について自分なりに調べ、取次会社の口座を貸してくれる「星雲社」にたどり着くまでの経緯を綴っている。当時はひとり出版社をつくるための情報が今ほどにはなく、本当に手探りだった。

暗闇の中で伸ばした手の指の先にこつんと当たった星雲社という希望に、思い切って電話したのがつぎの第6弾の記事。

この第6弾記事、あらためて読み返しても、おそるおそる電話をかけた当時の心境がよみがえってくる。先制パンチは「法人が契約の前提」という、対応してくださった女性の方の言葉だった。

「そうか、取次会社と契約して出版業界のロジスティクスに乗るためには、法人化せなあかんのか」

「ホージンカ」という言葉が自らの潜在意識にインプットされた瞬間だった。結果、2020年4月21日に法人化を果たすことになるわけだけれど、後述のように当社は星雲社ではなく、契約主体が個人でもOKの取次会社JRCと契約したので法人化はマストではなくなっていた。個人事業主でも取次を主体とした書籍流通の流れに乗れるのだ。

もっとも、そのことは途中で分かってはいた。でも星雲社での電話のやり取りで「ホージンカ」が脳裏に刻まれていたこともあって、必須要件ではないのを知りながら、半ば勢いで個人事業からの法人成りを果たしたのだった。

(じつは個人事業を法人成りさせることで小規模企業共済の解約返礼率が大きく変わった。この意味だけでも法人化したメリットはあったかもしれない。詳しくは後述)

突然のどん底、からの再開

第6弾の記事を投稿してから、つぎの第7弾の記事を投稿するまでに2年半も空いてしまっている。

理由は、この第7弾の記事に書いているように、出版社の設立準備をしている場合ではなくなってしまったからだ。プライベートでしんどいことが起こり、もがき苦しんでいた期間だった。

第7弾記事では休んでいた出版社の立ち上げ準備を再開させたことを宣言し、つぎの第8弾記事では法人化に向けた資金の話に触れている。

この第8弾記事で軸にしているのが、前述の「小規模企業共済」の解約にかかわる話。小規模企業共済の途中解約を検討している方がいらっしゃれば、この記事は参考になるはず。

(ここ重要)ちなみに私の場合、個人事業主時代に加入した小規模企業共済を法人成りのタイミングに合わせて解約したのち、法人設立後に再加入している。これによって、個人事業主時代に節税メリットを得たのち、解約時に100%以上の返礼の恩恵を受けたうえ、現在は一度節税メリットを受けた資金で二度目の節税メリットを享受しているようなイメージになっている。さらっと書いているようだけど大事なことなので、ご参考まで。

資金のめどがついたところで、いよいよ出版社づくりに本格的に踏み込んでいくことになる。なかでも流通をどうするかは最大の課題、かつ分からないことだらけだった。

そこで星雲社のつぎに情報収集した話をまとめたのが、第9弾と第10弾の記事。

まずアプローチしたのはサンクチュアリ出版。なぜ出版流通の検討でサンクチュアリ出版? と思われるかもしれないけれど、同社は出版の流通代行サービスを提供しているのだ。それを知ってお電話させていただいた。

やり取りの内容は第9弾記事を参照していただくとして、今でも頭に残っているのは、対応していただいた営業の方のご説明。右も左も分からない田舎もんの私をバカにすることなく、丁寧にやさしく、詳しく話をしてくださった。今でも感謝しています。

サンクチュアリ出版についでご連絡し、実際にお会いして話を伺ったのがトランスビューの工藤さん。トランスビューは自ら出版社でありながら、出版社と書店とが直接取引するためのしくみを他社に提供している。

こちらのやり取りも第10弾記事をご覧いただくとして、結論としては、トランスビューのしくみに参加させてもらいたかったけれど、自分の本づくりの能力では難しいと判断した。トランスビューというしくみとブランドに見合う本を、今の自分の力ではつくれないと思ったからだ。

トランスビューを利用するメリットとして私が感じたポイントはいろいろあるなか、そのうちのひとつは「注文出荷制」だった。取次会社を通すと一般には見計らい配本によって全国の書店にまんべんなく本が配られるのに対して、トランスビューは注文のあった書店にのみ返品条件付きで本を配本するしくみだと分かった。

見計らい配本は、当社のような無名の出版社の本も全国の書店にまんべんなく行き渡らせてくれる可能性のある素晴らしいしくみだ。でもその反面、返品が増大するリスクがある。それに対して注文出荷制は「注文」という具体的なアクションを起こしてくださった書店にのみ配本するしくみなので返品マインドが生じにくい、はず。(ただし書店が売りたいと思う質の高い本をつくるのが大前提。当たり前の話ですが)。

トランスビューのしくみを勉強した結果、できれば注文出荷制で本を流通させたいと思った。その結果、最終的にたどり着いたのが「取次会社JRC」だった。順番が前後するけど、JRCのことは第17弾記事でまとめている。

JRCと契約した結論を言うと、JRCを軸にすれば、トランスビューと同じく注文出荷制による直取引のイメージで本を流通できると分かったからだ。

もうひとつ付け加えならば、田舎もんの私をバカにせず、寄り添っていただけたこと。「本を出せる方法を一緒に考えていきましょうね」――電話口でこのひと言を聞いて、JRCさんにしよう、と思った。

世界的なパンデミックに翻弄されつつも……

トランスビューに訪問する頃にはすでに雲行きが怪しくなっていた。そう、新型コロナウイルスである。出版社設立に向けて4年もかけて意識を高めてきて、いよいよ本格的に動き出したタイミングで突如、未知のウイルスがやって来た。

なぜこのタイミングなのか? そんな吠えたける気持ちを文字化したのが第11弾記事。

それでも立ち止まることなく、予定どおり法人を立ち上げる――私は回り続けるほうが楽なコマのような人間なので、自分ではコントロールできない外部の事象についてあれこれ考える思考は手放して、法人化の手続きを粛々と進めていった。

そして2020年4月21日。神戸地方法務局に登記資料を提出し、スタブロブックス株式会社の法人登記を完了させたのだった。その記念すべき日の心境を刻んでおこうと発信したのが第12弾記事。

念願の出版社設立、いよいよこれから新たなステージが始まる――。

そんなワクワク感にひたっていたのかといえば、実際にはその逆で、私は生きる希望を失っていた。仕事をしている時間以外は自宅の床にへばりつき、立ち上がるのも困難な状況におちいっていた。

そんな状況下、かろうじてまとめたのが第13弾記事。

将来は田舎の自宅をオフィスにして、家族とともに好きな仕事をして暮らす――。

私が高校時代に夢見たライフスタイルだ。今から25年前に思い描いたこのビジョンが潜在意識にインプットされ、その心の奥底に刻まれた記録が無意識裡に私を動かし続けてきた。

田舎へのUターン、職住近接の暮らし、田舎と都会を往復するデュアル生活、そして出版社の設立……順調に思える一方で死にかけている自分の状況を第三者のように俯瞰しながら、変に穏やかな気持ちで、パソコンの画面上に自ら打ち込んでいく文字を見つめていたように思う。

高校時代に夢見たビジョンは間違いではなかったと思う。奇しくもコロナで地方の価値が再認識されるようになり、私が20年以上かけて追い求めてきたワークスタイル、ライフスタイルにスポットが当たるようになった。このことをテーマに『ローカルクリエーター』という本もつくった。うん、自分が目指してきた生き方は間違いではなかったんだ。

感傷から再起、そして実務……

さて。

と転換の接続詞から書き始めているように、第14弾記事では感傷にひたるのはそのくらいにして、出版社がんばろう、と自らを鼓舞しているように感じる。社名をテーマにしたのもその表れだ。

スタブロブックス。

陸上競技のスターティングブロックを由来としたこの社名の意味を説明し、「一歩後押しする本をつくっていきたい」という思いを表明することで自分を励ましていたように思う。

第15弾記事では出版の話から離れて「部分」と「全体」という、私が大切にしてきた意識の話を展開したのち、

閑話休題。つぎの第16弾記事では、法人設立後の手続きやISBN取得といった実務についてまとめている。感傷から再起、そして実務……このころの記事を再読すると、苦しい中でも丁寧に日々を送り、着実にほふく前進を続けているように感じる。

法人設立の一連の手続きは「会社設立freee」におおいに助けられた。会社設立freeeの流れに沿って実務を進めていくことで基本的には迷いなく、滞りなく、スタブロブックス株式会社の設立にかかわる実務を進めることができた。

ちょっとドキドキしたのは銀行口座の開設だ。まだ事業実態がないだけに銀行口座を開設できるのか不安だったが、結果として都市銀行、地域銀行ともに審査に通った。法人用クレジットカードも同様に審査に通り、オーナーズゴールドを手にした。

そして、ISBN取得に関する話題に話が展開していく。ISBNは発行可能数によって3種類が選べるなか、最大の100冊まで発行できる6桁コードを取得した旨をこれ見よがしに自慢している。

そして最大の課題だった流通問題の解決として、取次会社JRCと契約した経緯をまとめたのが既述の第17弾記事。リンクを再掲しておく。

出版社設立後の試行錯誤

以上が、当マガジンの主旨(ひとり出版社をつくるまでの物語)に沿った内容となる。ここまでは、多少寄り道しながらも、全体としては軸が通っている。しかしこれ以降、出版社をつくってしまったあとの話になることもあって、内容が散らかっていく。

JRCに関する記事を投稿してから2か月後、2020年11月15日に「本格スタートその1」と題した第18弾記事を出している(〝その1〟としながら〝その2〟と続かないあたり、散らかりの予兆がすでに出始めている)。

この第18弾記事でおもに書いたのが、当社処女作である尾﨑里美さん著書『いつか幸せではなく、今幸せでええやん!』の制作舞台裏だ。

2021年11月26日現在、本書『いつか幸せではなく、今幸せでええやん!』は増刷するタイミングを迎えており、しっかり利益を稼ぎ出してくれている。

著者である尾﨑里美さんとの出会いから、本書が誕生した経緯、これまで築いた経験と技術を総動員した編集の話、デザイナーさんや印刷会社とのやり取り、校正・校閲の話まで、本づくりの流れをダイジェストで書き上げている。

ダイジェストで……と書いたように、本書の編集はそれは大変だったので、その一部始終を一定の文字量にして紹介するには無理がある。それほど全精力と労力をつぎ込んだ一冊だった。

でも大変だった編集作業を一切の妥協なくやり切ったからこそ自信をもって送り出せる一冊となったし、今後も確実に利益を稼ぎ続けてくれる一冊になっている。

ネット書店の流通で悪戦苦闘

で。

つぎの第19弾記事は〝その2〟と続くのではなく、「ネット書店の流通_番外編」となっている。

というのも、アマゾンの在庫問題で悪戦苦闘することになったからだ。

(ただし、アマゾンは需要に応じてタイムリーに発注を出してくれていた。私が流通のしくみを十分理解できておらず、注文情報の流れをきちんと整備できていなかった)

尾﨑さんの『いつか幸せではなく、今幸せでええやん!』はアマゾンの予約で数百件単位のご予約をいただいていた(当社ではアフィリエイトのURLを発行することで、すべてではないが一定の予約・注文件数を把握している)。

ところが発売日当日になってもアマゾンに在庫が入らず、ご予約をしてくださっていた皆様に商品の発送ができない事態が生じてしまった。

1日でも、1時間でも、1分でも早くアマゾンに在庫を入れたい――そんなジリジリとした焦りとは裏腹に、契約している取次会社JRCにアマゾンからの発注情報が届かないのだ。

第19弾記事ではそんなトラブルの一部始終を書き綴っている。内容が複雑なので詳細は第19弾記事をご覧いただくとして、最終的にトラブル解消につながったのは〝最後のひと手間〟だった。

そのひと手間とは、JPRO経由で書誌情報がアマゾンに登録されたあと、JRC管理のアマゾンベンダーセントラルのシステムに書誌情報を上書き登録すること。

このひと手間を加えることで、「アマゾン → JRC」の直通ルートが開通し、アマゾンの発注情報がJRCにリアルタイムで届くようになり、在庫問題はあっさり解決することになった。

……と簡潔に書いたら書いたで分かりにくい説明にならざるを得ず……やはり詳細は第19弾記事をご参照ください。

お金の話はまたの機会に

ついで第20弾記事と第21弾記事では話題が「お金」の話に飛躍している。

当社処女作の制作舞台裏の話をまとめたかと思ったら、ネット書店の流通問題に飛び火し、かと思ったら突然お金の話になるともはや脈略ゼロ。方向性を見失っている。

とはいうものの、第20弾記事では、スタブロブックス株式会社の設立資金や1冊の本をつくるために必要となる費用感などの数字を具体的に紹介しているので、ひとり出版社の立ち上げや経営に興味のある人には参考になる記事ではあると思う。

ついで第21弾記事の内容も、私個人としては大切にしている話。結局、ひとり出版社をやっていくうえでもっとも重要な資産は「自分」という、常日頃から自戒している話をまとめている。

ただし、第20弾記事の最後でお茶をにごした経営を回すための資金の話はスルーしている。現時点で少なくともいえるのは、2020年4月21日に設立してから1年半経った今、設立資金1000万円(生活費含む)が枯渇しているわけではなく、経営をやっていけているという事実。

このお金の話は深くなるので機会があればまとめてみたい。

あらためて、「注文出荷制」を求めた理由

そして当マガジンの最後の第22弾記事では、当社2冊目の新刊となる子どもたちに向けた書籍『一歩ふみだす勇気』(高橋惇著)の書店展開を題材に、

なぜ注文出荷制を求めたのか、その理由と課題を、見計らい配本と比較しながらあらためて語っている。

というのも注文出荷制の難しさに直面したからだ。前述したように、注文出荷制は文字どおり、注文をくださった書店にのみ配本するしくみである。「その本を売りたい」と思っていただける書店に本をお届けするしくみなので返品リスクを軽減できる可能性がある反面、書店に並べてもらうためには当然注文をいただかなくてはならない。

この注文をいただくための営業活動が思うようにはかどらず、力不足を痛感するばかりだった。

「もっと書店様に知っていただければ、もっとたくさん展開できるのに」

そんなジレンマに日々さいなまれ、見計らい配本っていいなあと時にうらやみながら、それでも著者の高橋惇さんと緊密に連携・協力しながらできる限りの販促活動をおこない、著者の影響力もあってメディアにもたびたび取り上げられながら、徐々に注目度を増して販売効果を高めることができたように思う。

出版流通に関して知識として知っていることと、実際に取り組んでみて初めて分かること――。

この両者の間には隔たりがあった。その意味で、この第22弾記事は現実を知ったからこそ書ける実体験といえるかもしれない。

まとめ

最後はかなり駆け足となってしまいました。それでも、ひとりのアラフォーの男が地方でひとり出版社を立ち上げるまでの、そして立ち上げたあとの七転八倒の全貌の一端を、垣間見ていただくことはできるかなと思います。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。少しでも参考になれば幸いです。

そしてこの記事をもって、当マガジン「ひとり出版社をつくることにしました。」の更新は終了いたします。どうも、ありがとうございました。

兵庫県加東市のひとり出版社 スタブロブックス 高橋







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