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一人産婆術 勉強は必要あるのか?

皆さんこんにちは!

何においても、答えは1つではありません。

今日は勉強をテーマに考えてみたいと思います!

質問:勉強をすることは必要なことである。

選択肢

①必要である。

②必要ではない。

あなたの答えはどちらでしょうか?

私の答えは①

必要だと思います。

では、勉強は本当に必要なことなのでしょうか?

歴史的背景から深掘りしてみたいと思います!

そもそも大昔は勉強という概念はなく、

教育として勉強ということが義務付けられたのは、

明治時代

1871 学制

による小学校教育の義務化が始まりでした。

1947 教育基本法

により小学、中学の9年間義務教育が始まり、

6 3 3 4制が確立されました。

もう少し深掘りをすれば、

江戸時代の寺子屋から小学校に発展したケースもあるので、

教育の起源は、江戸時代の寺子屋から始まったとも言えます。

そもそも勉強とはなぜ必要なのでしょうか?

なぜなら、

将来、使わない勉強を、今この瞬間やらなくてはならない理由とは?

その質問で言ってしまえば、

極論、必要ないのかもしれません。

今やっている数学、英語、社会など、将来の仕事にほとんど出てこないですし、

意味がないと言われれば確かにそうなのかもしれません。

勉強とは、これも歴史的に見れば、


明治時代

→国を維持するための最低限の教育(富国強兵)


昭和時代(戦後)

社会的ヒエラルキーの構築

→学歴社会の登場


が目的で作られたものだと思います。

中学受験、高校受験、大学受験という国が決めた時期に試験を受けることで、

学力の差による振り分けを無意識によりされているのです。

勉強することは当たり前とされ、気づけば何のために勉強しているのか?わからなくなってしまっていることが、

本当に勉強って意味があるの?と疑問に思ってしまう原因なのだと思います。


私も勉強は嫌いでしたし、何のために勉強しているのか?はわからず、気づけば社会的ステータスのため、大学に合格するために勉強をしていました。

実は、今は勉強することは楽しく

自分の知識の広がりを実感することをとても楽しく思っています。


江戸時代は、

みんな自分から寺子屋の門を叩き、学ぶことに主体的でした。

国から与えられる教育になってから、学ぶことは受動的になっていったのです。

私はこう思います。

医者や弁護士になりたい人が、勉強しなければ当然なれませんし、勉強しない人はいません。

極端な話、体を動かす仕事をするのであれば、そこまで数学や英語は必要ないのかもしれません。

結局は、

『将来の自分の姿がどう在りたいのか?』

それだけです。

自分にとって勉強が必要ならやるでしょうし、

必要だと認識できない人は、誰にどう言われようとしないと思います。

私なら

子供たちに勉強のその先を見せたい

自分でもやればできるという成功体験を味わってほしい

自分のやりたいことを見つけてほしい

という思いから、

今でも子供たちに、勉強を教えるために、自分でも勉強を重ねています。

『何のために勉強をするのか?は人それぞれ』

答えは1つではない。

不治の病を治したいから勉強する。

物を開発したいから勉強したい。

100点をとりたいから勉強する。

人にほめられたいから勉強をする。

なんだって良いと思います。

せっかくやるなら

勉強は楽しく在ってほしい。そう思います。


皆さんにとって勉強は必要ですか??


勉強のその先を見つけたいなら

トライアングルへ!

https://triangle-tis-school.com




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