見出し画像

春が来たが、沈黙の春だった。

3月28日昼過ぎ、近くの公民館の回収ボックスに牛乳パックを出しに行くため、私は外に出た。台風の前のような、荒々しい風が吹いていた。気温は20度近いのに、風は冷たい。明日は、雪が降るらしい。ぐらぐらと沸かした熱湯に、半分の量の冷水を注いでつくる“陰陽湯”というのがあるが、まるでその中にいるかのように、温と冷がごちゃ混ぜになっている。

25日夜に、小池百合子都知事が週末の外出自粛を要請したことを受け、26日には都内のスーパーに客が殺到し、食料品を買いだめする騒ぎとなった。外出自粛要請は首都圏一帯に広がり、異例の週末が始まった。

通りには意外と人気があった。マスクをして、そそくさと足早に行きかう人は、みんなどこかうしろめたそうな顔をしていて、小さい子どもが陽気に歌う以外、路上には音がなかった。

満開となったソメイヨシノが、強風に揺さぶられている。風に寄せられ、側溝に花びらが溜まっていた。

春が来たが、沈黙の春だった。

という『沈黙の春』(レイチェル・カーソン)の有名な一文を思い出す。

農薬や殺虫剤等の化学物質が大量に使用されたときに自然の生態系はどうなるのか、生物そして人間はどうなるのか問いかけた警告の書だ。新型コロナウイルスとの闘いを強いられている状況下で読むと、胸に迫るものがある。

病める世界――新しい生命の誕生をつげる声ももはやきかれない。でも、魔法にかけられたのでも、敵におそわれたわけでもない。すべては、人間がみずからまねいた禍いだった。(中略)おそろしい妖怪が、頭上を通りすぎていったのに、気づいた人は、ほとんどだれもいない。そんなの空想の物語さ、とみんな言うかもしれない。だが、これらの禍いがいつ現実となって、私たちにおそいかかるか――思い知らされる日がくるだろう。

「不要不急の外出を控えろとか、びっくりしちゃったけど、スーパーでどうにか食料も買えたし、家で好きなことしているぶんには大したことないね」

混乱がありつつも、生活は意外と変わらず、「大体いつもどおり」と思っている。でも、状況は認識するよりも悪くて、じわじわと蝕まれていく。

たぶん、戦争前夜もこんなだったろう。

こわいのは、不安ゆえに新型コロナウイルスを、この状況を、過小評価してしまいそうになるところだ。

社会崩壊や医療崩壊が起きて、思い知らされる日がくる前に、気を引き締めなければ。正しくおそれて、万全の対策をとって。

私は体力があるから、ただの風邪ですむかもしれない。

でも、大切な人を、失いたくないから。

花は、咲くのを自粛しない。

でも

桜は来年も帰ってきます。人の命は帰ってきません。

きっと1か月後、あれが終わりの始まりだったと思うだろうから。

今、記録する。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?