少しだけ子離れできたかもしれない話

私は何だかんだ言いつつ私という人間を気に入っているのですが、それでも

「もうちょっとマシな人間に育てる余地はあったなあ」

とは常々思っています。
もっと勉強をしていれば
もっと幅広い経験を積んでいれば
将来についてしっかり考えていれば
今の私よりずっと好ましい私になれていたであろうことは想像に難くありません。

そんな私に子が生まれた

親としてはやはり、この子をちゃんとした大人に育てようと決意するわけです。

英才教育というのは大げさですが、遊び感覚で読み書きや計算を教えてみたり、あれやこれやの知識をインストールしてみたりするわけです。
これが、けっこう飲み込みがいい。
周囲の人からもお利口さんねーなどと言われて、良い気になるわけです。

自分の子なので、外見や性格も割と似ている。必然的に、このまま順調に育てば私より優秀な私が育つのではないか、私が届かなかった高みに挑めるのではないか、なんて期待をするわけです。

しかし長じるにつれて

だんだん言うことを聞かなくなってくるわけですよ。

これをやった方がいいと言っても無視してゲームをやり続ける。
じゃあせめて宿題だけでもやれと言っても無視してゲームをやり続ける。

このままでは「私より優秀な私」など望むべくもなく、それどころか「私の劣化コピー」が出来上がってしまう。
なんとかしなければ!

って思ってたんですが

落ち着け私、よく考えろ私。

「その子は私じゃないぞ」

当たり前なんですが、当たり前すぎることで、色んな所で読んだり聞いたりしていたのに、自分のものになっていなかった言葉。それが最近ようやく分かるようになってきました。

子供をまっとうな大人に育て上げることは親の義務だと思っていたのですが、っていうか今でも思ってはいるのですが、そこまで気合入れてやらなくてもいいんじゃないか。

20年、30年とダラダラ生きてきた私でも、それなりに満足できる私を作り上げることができたのです。
であれば、この子もダラダラ生きてたっていいんじゃないか。
悔いは残るかもしれないが、その悔いが次の成長の糧にならないと誰が言えるだろう。

最近、ようやくそう考えられるようになってきました。

ていうかむしろ

子供の心配をする前に自分をなんとかしようぜって話なのですよ。

私はまだ半世紀くらいは生きる予定なので、今からでも
もっと勉強をして
もっと幅広い経験を積んで
将来についてしっかり考えていかなければって。

親がなんだか頑張っていれば、それを見た子供も頑張ろうって気になるかもしれない。一石二鳥。

というわけで色々やってたら今度は

「家庭を省みない」

って叱られるようになってしまいました。
難しいな。

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