すかすかの空っぽあたまと言われた日
当時、好きだった人に言われたことがある。
「君はあたまがカランカランだね。それ、意味ある?」と。言われた瞬間二つの考えが湧いた。私の思考回路や考え方はその人には刺さらず、「ないもの」とされているのか。それとも私の考え方は初めから「ない」に等しいのか。そんなことを考えてちょっとムッとして話を逸らした。
理由①私の回答が相手の期待値に達していなかった
人と話す時、「相手が何を考えているのか」を重要視している。相手の話に傾聴する姿勢が「消極的」とみえるのか、そもそも私の回答が望み通りではない、浅いもしくは的外れな意見なのか。
自分の思っていることについてはペラペラと話し出すが、相手との対話になると幾分スローペースになる。それは話している言葉の背景を考えるからこそ、吟味して言葉を選んでいるのもあるけれど…!考えてこんな喋り方になっちまってるんだよ…と思いながらも、ハハと乾いた笑いをするしかないのである。
理由②本当に私は何も考えていない
ぶっちゃけ、認めたくないけどこの可能性はめちゃくちゃある。
思えば、自分の進路選択は潜在的に操作されて選んでいるかもしれないし、「どう思われているか?」などという世間体を気にしていることもままある。無意識下で行なっているため、結果が出て「あ、浅はかだった…」と落胆するのだ。
そういった意味で「考える力」を失った若者として存在しているのか…?と思うと、震えてしまう。ど、どうしたらいいんですかッ〜?
「考える」と「悩む」の違い
私は「考えている」つもりだった。
悩みが一つでては、あれやこれや策を考えて自分なりの改善点を作って実行する。
この改善策が上手くいかない日々が続いて
当時の上司(パワハラ気味)から「あなたは考えるのが好きなんじゃなくて悩んでいるだけだ」ときっぱり言われてしまった。
言葉の意味は国語辞典に載っているが、失敗ばかりの私は問題に対して右往左往しているだけの「悩んでいる」状態にみえたんだなぁと思った。
「言わない」ことは何も考えてないと同義か?
これもその職場で起こった。
あるトラブルが発生し、そのトラブルに関し、事実上処理の文章を書き提出したときのこと。
トラブルの定義については周知の事実だと思い、そのは省き、事実とそれについての対策について話すと「何も考えていないの?わかってる?このトラブルの意味。」と言われた。
そんなの当たり前のことだろと思い省いていたが、実際にそのトラブルについての定義を話してから改善策を述べると理解してもらえた。
(そうか…!そこまで話す必要があるのか…!話さないとないものにされるのか…)と、発言の重要性を身に沁みて感じた。
(ていうかコミュニケーションへた…?涙)
「空っぽ」と言われたときの対処法
実際に、相手が会話をしたいことに対して、自分の知識量が浅く話せないことは多々ある。
私はその知識が及ばないことを丁重に伝えて、そこから意見をすることは可能だと思う。
あとは「何も知らない」と言われることに対して相当プライドは傷つくが、そのことに対し素直に認め、話を聞く姿勢をとることが大切だ。
無駄なプライドは捨てよう…と思う。
からんからんな頭で考えた結果
相手が自分の話を期待値以上に理解してくれなかった場合、話の展開が思い通りにいかない場合、しばしば「あなたは何も考えてない」と感情的に罵る人もいる。
自分のことを傷つける人をあえてそばに置く必要はないと思うので、距離を置くことも大切だ。
私は私の考えがあり、そんなふうに言われたことを魔に受ける必要はないのだ.しかし、何を言われても自信が持てる有意義な知識や情報を蓄えておくことは必要だ。
結果、「からんからんだね」と言われたあの人とは距離を置いた。
私には良い機会だったが、心の傷はジクジクと痛むのであった。。