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親から愛されたかったレズビアン

あたしは、レズビアンである。
そして女が女を好きという世界が当然なレズビアン界隈に属性する、ザ・レズビアンである。

気づいたら、友達の友達は元カノ。そんな状態が当たり前になってきている。

そして、私は非常にマザコンである。
定期的に会いに行くし、家に行けば膝枕で寝たりする。とんでもなくマザコンである。

なぜこんなにマザコンなのかというと、きっと幼い頃の愛を取り返そうとしているのだ。ずっと愛はあったけれど、私には足りなかったのだ。
レズビアンとマザコンは関係ないけれど、私のアイデンティティの一部であるレズビアンと、アイデンティティを作り上げた母親からの愛はどこか交差する。

こちらで幼少期からの育てられ方について書いているのでみてみてね❣️

11歳の少女が兄と弟を守れるか?

私が小学五年生の頃、親は自営業でお店を出すことになった。昼過ぎには出勤して深夜に帰宅する生活スタイルとなった。
つまり、夜中は子どもだけで過ごすことになる。

私は当時、11歳。お兄ちゃんは中学生だが不登校の引きこもりで(のちにちゃんとした大人になる)、弟はかわいい低学年だった。
紅一点・女である私は自動的に「あとのことは宜しくね」と、夕飯の用意、洗濯物、掃除、弟の世話が一気にのしかかった。

初めての恋を覚えたり、思春期入りたての私は環境の変化に困惑した。

まだ親の愛情が必要な弟は寂しがり屋の甘えん坊で身の回りの世話を私がなんとかしなければならなかった。
お兄ちゃんは飯を食わずにパソコンをいじるし、家事といえば雨の日に洗濯物を取り込んでくれるだった。(一番ありがたいが)

かくいう私も遊びたいさがりのお年頃で、家が円滑に回るかなんか気にせず生きていたかった。しかし、親も頑張っているしな…事業に失敗したら暮らせないよな…と自分を奮起させ、無い頭で必死に生活したのだ。

始まってしまった学級崩壊と自傷的行動

ちょうどこの時期からクラスの仲良くしていたグループがグレ始め、学級がひっちゃあめっちゃかになった。

特に何をしたかは覚えていないが、それなりに口がたち問題を起こすのでよく居残りさせられた。

授業はめちゃくちゃで受けることもできず、私はよくトイレのタイルで頭をぶつけて痛みを覚えることが好きなってしまっていた。
きっとストレスが限界だった。
頭を打ってもたんこぶができるだけだ。痛いだけで涙を堪えるだけだった。
早く解放してくれいつまでこの状態なのだろうかと暗闇の中を這いずり回るような感覚があった。

甘えてくる弟を突き飛ばしてしまった

相当ショッキングだった。
小学生から初潮が始まってしまった私はホルモンバランスが乱れまくり、常に情緒不安定だった。学級崩壊で仲間とのバランスも悪くなり、ストレス値が限界だった私は弟を鬱陶しいと思うようになってしまった。

もともと感情が爆発しやすいタイプだったけれど、怒りが段々コントロールできなくなり、弟を突き飛ばした。

弟はストーブに当たってしまい、ひっくり返り、泣き喚き、倒れたストーブがピーピー音を出していた。

あの時の私がいつか蘇ってしまうのではないかと怖い。あまりにも暴力的でDVとも言える行動。怒りに身を任せ我に帰った後に言う「ごめんね。そんなつもりじゃなかった」とか明らかにそれだ。もう、だめだったのだ。

「ママ、私はもう限界だよ。これ以上は無理。」

私が母親に対して言った言葉らしい。
あの頃の私は最大値で努力したつもりだったが、やはり無理だったのだ。私がお母さん役をできるわけがない。

私はまだ11年しか生きていない。何も知らない。身体だけはでかいけど(160センチくらいあった)、心はガキのままだ。誰かに守られたいし、優しく頭を撫でてもらいたい。どうして、私が弟や兄にそれをやらなくてはならない?

この頃の寂しさや不安が今も色濃く残っていると思う。私は大人になっても寂しがりやで心配性になってしまった。不安で胸がいっぱいになるとどうしようもなくなってしまう。

親に思いを吐露しても何も環境は変わらない、変えるのは意識だ

六年生になり、担任が代わった。びっくりするほどクラスが落ち着いた。学級崩壊はそこで終わった。

クラスが落ち着くと、私の心も落ち着いてきた。家の中は依然として私が母親を演じる必要があったが、この生活はしばらく続くものだと断定して、今の暮らしている環境に対する意識を変えるようにしてみた。

我ながらこの意識になったのはすごいことだと思う。そして環境の変化に対する受容がとても得意になった。どんな場面でも受け入れようと努力できるようになったのだ。

弱冠12歳。授業で、この意識の変化についてスピーチをした。担任の先生は泣いていた。「当たり前は当たり前のことではない。」、そう強く言い残してこのスピーチは終わった。

「ママ、ありがとうね。当たり前のことを当たり前じゃないって気づかせてくれたから。」

これも私が小学生で言った言葉らしい。
いい子すぎないか…。
悲しいよーさみしいよーできないよーでいいのに…私は成長しようと必死だったんだな。
10歳までは、親がご飯もお風呂も用意してくれていたのに急に全部自分でやることになったのは、「誰かが用意してくれていたこと」に気づかせるため、と解釈したのね。

幼く養育される義務のある私は、親から身の回りの世話を受けて教育をしてもらうべきだと思っていたが、その意識を変えた。

正直、小学生がお金を稼ぐ方法もなく与えられた環境に準ずるしかないから「お金を与えてくれる親に縋るためのの機嫌取り」とも言えるけど、私にとってはこういった体験の方がよっぽど価値があることだと認識したみたい。

金銭的な援助、食事と寝泊まりする場所を確保してくれていることを養育する義務と定義としていたので感謝の対象となった。(こんなことを考える小学生こえー)

私が親だったら、
まだ小さいのにお世話をさせてごめんね…と思っていた末、子どもから「親のありがたみを気付かせてくれてありがとう」なんて言われたら申し訳なさで涙が溢れて仕方ないよ。

今も、親から愛されたかった私がいる

意識の変革があって以来、ぎゅんと生きることが楽になり、心も少しだけ穏やかになった。

あの時、意識を変える選択をした私のことを誇りに思う。

この後も思春期特有の悩みやイベントが起こりまくり、今の私が形成されるがそれはまた別の話。

大人になっても、親から愛されたいと思う。
あの頃欲しかった愛を取り戻しているからかなのかもしれないし、事業起こしたての相当しんどい時期でも最低限の養育をしてくれた親へのリスペクトでもある。

幸いなことに、愛されて育っている自覚がめちゃくちゃあるし、今も変わらず愛を与え続けてくれている。

なので、たっくさん甘えさせてください😭
マザコン許してね😭

会う日にちを合算させたら残りわずかである、親との時間。大切に過ごすぞ〜!

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