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かんがえこと-12 11.26

11.19(月)


ふた駅歩く。30分。いくらかカロリーを消費したことろでチョコレートマフィンの朝食。

イベントの後などは特に、出会った人たちとのやりとりを、ゆらゆらとなんども反すうしている。

こわいと思いこんでいるのを、こわくないと教えてくれるのもまた結局それで、つまり人なのだった。

そんな今日は片道の階段をゆずり合ったり、タイミングがそろったり、人とすれ違う距離が、近い気がした。


11.20(火)

ひと駅歩く。仕事前には本屋に寄り立ち読みする。あったら買おうと思っていた雑誌は、探し出せなかった。新人スタッフがひとり入った。60歳女性。

武田百合子「富士日記」を読んで、日記のかきかたについてかんがえる。書きたい日記、自分が読みたくなる日記、だれかに読まれたい日記というものについてなど。


11.21(水)

新人指導。夜には電話が入り、義母の具合が悪く田舎へ行くためしばらく出勤できない、との連絡。


どうも思考がまとまらない。

部屋は整理されていない。整理しすぎない方が思考が柔軟なつながりをもてるというか、そういうことにしているのだけれど、ととのえることで新しく見えてくるものや無駄なものもあり、そこはほどほどにだ。


11.22(木)

最寄り駅の駅前で信号待ち、しばしたたずむ。

あたりを見回してふと感じる。 ”駅前” なのに、この閉塞感。なんだろう。急行もとまらない隣駅のほうがにぎやかだ。けれど主要駅であってこのなにもなさが、よそ者を排し、住まう安心感を守っているのかもしれなかった。

ひと駅歩く。あのあたりにパン屋あったな、と思っていたらちょうど現れたので、寄っていく。クリームパンやマフィンを買う。カスタードクリームが、家で作るときの、あの粗くて卵の濃い、あれだった。素朴さ。


新人スタッフは昨日の連絡そのままに、退社を希望した様子。


11.23(金)晴れ

休み。本郷のスコスへ行く。隅から隅まで見漁る。一見わちゃわちゃした空間にも、物語のある文房具が意思をもって存在していて。粗い紙の質感やにおいに触れているともう、異国の蚤の市へ連れていかれた。万年筆、ボールペン、鉛筆、折り紙、鉛筆削り、ポーカー用のサイコロ、など占めて3,000円也。10年前と、なにも変わっていない。


11.24(土)晴れ

西千葉へ向かい、古本市に参加する。出店もわすれるほどに食べたりのんだり、楽しんでいる。人に会って元気をもらう、という感覚が初めて分かった気が、する。


11.25(日)

準備やらに追われて目の前のことでいっぱいになると、とうとうかんがえることをする余白がなくなっていた。そもそも余白でかんがえていたのか、それが日常だったのかは果たしてわからないけれど。

一日部屋から出ずにすごす。洋服を求めてひたすらスクロールする。煩悩。テレビをつけてしまうと、観るでもなく眺めている。「あんなことするのあの人ぐらいですよ」、という言葉が、ものすごいほめ言葉にきこえる。相手にもされなかった部屋の整理整頓は、来週以降へ持ち越しとなった。





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