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かんがえこと-32 3.15

3.9(月)

いちばん信じられるものはなんだろうか。自分がいちばん信じたいものはなんだろうか。やはり生のひとの声とことば。温度。そういうのが伝わる本。

最果タヒ「好きの因数分解」がとても良いなぁと思っていて、とくにその発想というか、私も因数分解、したい。「モデル○○の私を作るもの30」、的なものではなくてもっとこう理由なんかないけど好きなんだからしょうがないじゃん、みたいなわざわざ人には言わないこと、わざわざことばにしたい。


3.11(水)

春の陽気。春はすき。春が近づくと生まれ変わるように元気になるきがするのは、春生まれだから。昼。最近すきなパスタ屋へ。安い分食器はすべて使い捨てで、コストはかからないのだろうけどゴミ多いなと、「環境によくない」とか言いそうになるのだけれども、そういう「正しいこと」は誰のためにやっているのかと。それよりたぶんすべてにおいて人々の心は満たしていて、「目の前の人を喜ばせること」の方をどれだけ考えているかということ。

帰り、普段降りない駅で降りる。池袋方面へ歩く。春日通りは、良い。オフィスビルのそれとはちがう、柔らかいマンションの灯りがたくさん見える。護国寺を過ぎて、1キロほどの長いまっすぐな通りの先に、池袋西武のネオンがのぞく。暗いところで、灯りを探さないひとはいないはず。


3.13(金)

暖かい。街にも春の気配。パステルカラーのコート。オールスターのハイカット。とパンツの間からのぞく、肌。ワンピースにハイカットを合わせる。狭い玄関で片足立ちで紐を結ぶ。こんなに立っていられなかったっけ。履いてからマスクを忘れたことに気づき、もう履いたまま廊下を戻る。部屋を出てメールを見ると給料明細が届いている。給料日。やはり祝日があるとこんなに減るかと愕然とする。残業で稼ぐしか。働き方もかんがえたくて選んだつもりだけれども、そう満足いくようにはならないもの。満足してはいけないというのがどこかある気もする。夜は会社のチームで沖縄料理屋へ。泡盛を2杯。いつもどこかその瞬間だけを喜べなくて、なにかいつも気がかりで、不安が漂う。そしていつも杞憂であって。傷つかないための。


3.14(土)

北千住で降りる。駅のカフェでパンを食べて読書。「TIMELESS」を読んでいる。自分の思い出もだれかの記憶も、現実も、シームレスでタイムレス。日暮里と西日暮里はいつもわからなくなる。池袋へもどり、春物を見て歩く。帰るにも早く、またパンが食べられるパン屋、で読書。デパ地下で餃子を買って帰る。桜が開花したようだけれども外は雪。なにか勉強を進めなくてはと焦るばかりでなにから手をつけるべきか、なんとかやることリストだけ作って今日のところは満足、ゾゾタウンなど徘徊する。


3.15(日)

観葉植物が新しい葉を出して育っていく。育てよう、と思って買ったのだけれどもそれは枯らさないように、というのが主で、ほんとうに育つんだ、という感じ。植え替えようかと今より大きめの鉢など見てみるけれどもちょうど良い感じのものはなく、もう少し探すことにする。帰りは池袋の奥から山手通りへ出て、要町まで戻る。知っている街の、まだ知らなかった景色。要町通りからまた普段入らない道へすすむと、昔物件を見に一度だけ通った道。香りと記憶はつながっているけれども、歩いた記憶もまた地続きに、とつぜんよみがえる。新型のスケートボードのようなもので走りぬける少女を、配送業者の台車が追いかけていく。

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