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かんがえこと-28 12.8

11月25日(月)

先週の水曜日くらいからおなかの調子が悪い。お腹は空くのに、食べたら全部くだしてしまう。

水曜の夜は岩本町でまきこさんとタコス。普通においしくいただいたけれどもそのときも食後に店のトイレに世話になってしまったのだった。まきこさんとまったりおしゃべりする時間は楽しかった。結局は自分しだいなのだけれど、しかしなぜ女ばかりがこんなにも悩むのだろうか。

金曜は昼食をとらず。夜の豆乳鍋はおいしくてたくさん食べる。とても寒い日で、きっとみんな夕食は鍋。白菜がどこも売り切れで手に入らず、代わりに入れたレタスはでもおいしかった。あとはきのこと豚ロースと、鶏だんご。翌朝、マルタイの鍋用ラーメンを入れる。最高。

夜は勉強会ののちいつものように居酒屋へ。噂の納豆卵焼き。ギョーザ。れんこんはさみあげ。ばばぁの梅酒。同じ話なんて、何度でもしたらいい。酔いにまかせておしゃべりしつつ、いつもどこか冷静な自分がいる。

日曜は文フリ会場で、キーマカレーの入ったメロンパンと、ナッツの入った甘いナン。夜はヨコオさんユウさんと恵比寿のチャメでスンドゥブ。石焼ご飯もぺろり。

おなかを気にしつつ、おいしいものばかり食べていた一週間。好きな人たちと食事する幸せな時間には、かなわない。

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11.28(木)

”ことばと行動が違うとき、正しいのは、行動。”


11.29(金)

わりといつも待つ方で、わりと平気というか、自分が待たせてしまうよりはいいと思っているのだけれど、最近、待つのが苦手になった。待つ女、というのがいやになった。


11.30(土)

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現代美術館にてミナ・ペルホネンの展示「つづく」。歩いて隅田川を渡る。コーヒーを手に持っていつもより歩がゆるむ。冬のはじまり。また来たいな、と思ってもう一度ここへ来たことが何度あるだろうか。正確には”ここ”は場所ではなくて空気と温度とかその時感じていることだから同じ所へは来れないのだけれど。

現実感がなくなりがちだけれども、アナログ時計がいくつもあるおかげでちゃんと流れてる時間をまわってる時間を忘れずにいられてる。部屋にも時計を買おうかな。

「自分のために生きることを先延ばしにしない。人を傷つけても、人に傷ついても、人と関わることをあきらめたくない。」

(『だらしない』早乙女ぐりこ)


12.3(火)

18:58。定時前だけれど靴も履き替えて、帰り支度。そんな日にかぎって、19時を回ってからデータ共有してなどとの指示。急いで新宿へ。思えばいつもこういうときには、何話そうとかちゃんと話せるかとかそんなことばかり考えてきたけれども、最近はそんなこともすっかり忘れていて。

ぐりこさん、イトウさんと合流。文フリの振り返りや、日記を書くことについてなど。もう何度も言うけれども、一年前には考えられなかったようなうれしい縁がつづいていく。たぶん甘えられる程度には酔っていて、でももう一軒行こうと言えるほどには酔っていなくて、丁寧に別れる。これからも、なんだかずっと気にしていたい人たち。

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12.5(木)

不安におそわれている。自分を縛り付けているのだ。自分を解放しよう。がまんしてることから。まわりの目が気になって行きたい店に入れない。何が食べたいのかわからない。はきごこちのよくないくつした。適当で寒い格好の部屋着。着たい服を着ればいい。スカートだって柄物だって。何をおそれているのか。


”その場限りの関係から、誰かと愛情の代わりに秘密を共有することの甘美さを享受していたのだと思う。” (『早稲女x三十歳』)

それが独占欲に似たものでもあるのだろうか。テーマパークに行ってわーきゃーとかではなくて、二人だけしか知らないことが、ほしかった。というか、そういうことだと思っていた。


12.6(金)

駅のホームで、エスカレーターで、道で。人間を見るたび、あーこの人はどうやって人を好きになって気持ちを伝えて関係をつくっていくのだろうかとか、そんなことばかりかんがえてしまう。そんな普通のことが、とてもむずかしく思える。いや普通というものがあるのなら。

結局外的要因、にばかりたよっていて、自分はどうしたいのか、自分からは何もできない。こんなものは愛でも恋でもなくて。

食事後にさりげなく会計をサービスしてくださる計らいに、これが愛なのだと、自分には圧倒的に足りないものに、気づく。



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