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表参道とHI-Cアップルのあの夏 その2

 その日も、夏期講習が終わって、表参道に繰りだした。                           暑い日だった。                                          比呂ちゃんが、服を買うというので、つきあっていた。けっこう離れている2つの店に、気に入った服が一枚ずつあるのだけれど、予算の関係でどちらか一つしか買えない。
 迷いの迷宮に入ってしまった比呂ちゃん。
「あっちの方が、良かったかも。もう一度行って今度は試着しても良い?」
「いーよー」
 中学生の私たちには、時間はたっぷりある。私は、当然そのように答えた。
 ただ。
 移動の度に、けっこうな距離を歩くので、喉が渇く。
 考えてみてほしい。時は、1975年。コンビニエンスストアは, ほとんどない。今でこそ、軽量の水筒を持ち歩いている人も多いけれど、当時は保温保冷機能があるそれは、相当に重い。水筒持参は、小学生まで。中学生が持っていたらかっこ悪くて恥ずかしい、という風潮があった。
 お金をたくさん持っているわけではない私たちは、おいそれとカフェに入って喉を潤すことはできない。
 残るは、自動販売機。小銭を投入して飲料を買うのが、一番の解決策だった。
「あっちの店に行く前に、ジュース飲まない?」
 私は、提案した。
 とにかく、水分を欲していた。
「いーよー」 
 比呂ちゃんも、賛成してくれた。HI-Cアップルを選び、ボタンを押す。ゴトン・・・と音がして、取出し口に冷たい缶が出てくる。
 そう。
 まだペットボトルは、誕生していないのだ。だから、ちょっと飲んでキャップを閉め、また喉の渇きを覚えたら飲む、という芸当ができない。プルリングを引いたら、その場で飲んでしまわないとこぼしてしまう危険性があった。
 私たちは、街路樹が日陰を作ってくれている表参道の植え込みの柵にちょこん、とお尻を少しだけ乗せてHI-Cアップルを飲んだ。
 私は、本当に喉が渇いていたので、一気に飲み干してしまった。HI-Cアップルは、おいしいのだけれどその分甘味も強く、しばらくするとまた喉が渇いてしまう。
 比呂ちゃんは、スィッチが入ったようで、何かについてエキサイトしてしゃべり続けている。
「ちょっと、ごめん。まだ喉渇いてるから、もう一本飲まない?」
 私は、話を遮って誘ってみた。
「え・・・もう一本? いいよー」
 良かった。比呂ちゃんは、嫌な顔もせずOKしてくれて、お財布から小銭を出した。2本目のHI-Cアップル。たしか250ml入りだったと思うけれど、その自動販売機の他の商品は、コーラだったりスプライトだったり炭酸飲料だったのだろう。喉が渇いている時に、炭酸の一気飲みができない私は、きっとコーラ系を避けていたのだと思う。だから、またしてもHI-Cアップルを選んだ。
 夏とは言え、午後の木陰は舗道に涼しげな葉っぱの影を揺らせる。そんなのを見ていると、暑さもずいぶんと和らぐように感じた。
 あこがれの表参道に佇んでいるだけで、じゅうぶんに満たされていた。
 同潤会アパートがまだあって、表参道ヒルズがまだない頃のこと。歩行者天国として人気を博すのには、あと2年程待たなければならなかった。
 比呂ちゃんが服を買おうと迷っている店の一つは、竹下通りにあった。その時私たちは、表参道の中央あたり、大好きなキディランドの前にいたから、そこから15分ほど歩かなくてはいけない。
 なんとなくここに落ち着いてしまったけれど、何より私は2本目のHI-Cアップルを飲んでも、まだ満足していなかったのだ。
「これから竹下通りに向かうとなると、あっちはごちゃごちゃしてるし、距離もあるな。今のうちに、水分を補給しておいた方が良いかも」
 私は、そう思った。
 女子中学生という時期は、けっこう大変。周囲の様子を見つつ、何かをしたり言ったりしなければならない、という不文律があった。
 たとえば授業の合間の休み時間、
「ちょっとトイレ行ってくるね」
 ではなくて、
「ねぇ、トイレ行かない?」
 と言わなくてはならない。当時は、それほどわずらわしいことだとは思っていなかったけれど、生理現象まで誘い合うというのは、窮屈な状況でもある。
 私は今、もう一缶買って飲みたい。でも、
「喉渇いちゃったから、もう一回飲むね」
 ではなく、
「もう一回一緒に飲んでくれない?」
 と誘う形で提案するのが、正しいのだ。女子中学生にとっては。

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