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★キャンピングカー生活まであと153日★「自分の現在地-ひとに役立てること」

明日なんの日?

こんにちは。
今日はこれまでの自身の振り返りと、今、そしてこれからを今一度整理してみようと思います。

整理の過程を記事にしてしまうのでとっ散らかってしまうかと思われます。
ごめんなさい。
暖かい目で読んでくださると嬉しいです。



記事のタイトルにも書いたように「何なら自分は人に役立てるのだろう」と悩むことがあります。

仕事的には特別なスキルや資格などが必要でなく「替えがきかない」ことができる人間にはなれていません。

特に理想の働き方は、常に色んなところで色んなことを経験したい、というもの。そのため同じことをやり続けたり同じ場所に留まり続けることが苦手です。恥ずかしながら忍耐力や継続力といったものがありません。それも相まって一つのことを極めることを半無意識的に遠ざけてきました。

何か興味のあることや好きなことでも、その話題に関して自分より詳しい人がこの世にはごまんといます。そういう比較をしてしまうたびに、自分が何かをやることって無意味、無価値なものなのかもしれない。とか思ってしまいます。そして気づけば違うことに興味の対象が移ってしまっている。

自分が挑戦したいことに挑戦して、それが果たして人のためになるのだろうか?
自己満足に終わって、結局何も得られないのではないか?

とネガティブに分かりもしない未来に不安を抱くこともしょっちゅうです。



だけど、これだけは自分でも続けていけそうだな、と思うことがあります。
それは「人の悩みを聞くこと」です。

それだけ?
と思われてしまうかもしれません。

そう、それだけです。

他の人の悩みを聞くことは、苦にならない。
それを解決する手立てを自分が提案できるかどうかは分からない。
でも、ただただ気持ちが楽になるように、気持ちを吐き出したい人のそばに寄り添うことが出来る。それを受け止めて和らげて、前向きにさせてあげることが出来る。素人ながら、そう思っています。

昔から細かいところが色々と気になってしまうことがある。
反面、ここ最近の成長、経験により大雑把に深く考えすぎない大切さも知った。

根はネガティブだけど、ポジティブに変換することが得意。
両方の考え方や視点を持っている。
常に色々な人の立場で考え方を推測している。
その事象に対して悩んでしまう人と悩みを持たない人のどちらの気持ちも分かる。

これが私の特殊能力ならば、大いに活用していきたい。

今やりたいことの一つに「占い」があります。
ただ占いが好きというだけじゃなく、その人の毎日の生活やこれからの人生に対する考え方が少しでも前向きになってほしい。

今、自分がこれを使って「人の役に立ちたい」と思えることは「人の話を聞く」ことです。
どんな辛いこと、どんな厳しいこと、どんな言い出しづらいことでも(もちろん無理のない範囲で)私にぶつけてほしい、そう思います。

今年に入って、今までとは違う領域の人たちと多く関わりました。
そこで去年までの自分はお金を稼ぐこと、自分や他人を厳しく律すること等にとらわれていたことに気づきました。というか自分を騙しながら毎日を送っていた。
そんな環境だったから、人に弱さを見せることってタブーだと思っていました。

でも、自分の弱さを見つけ、受け入れ、自分という存在を確立することで自分の精神も安定させることができた。
周りとの関係構築や付き合い方、自己開示も苦にならなくなってきた。自分が悩んでいることに対して、なぜ悩んでいるのかを理解することができた。

もちろん、この資本主義でお金を稼ぎ、使うことは切っても切れません。
正直、私は「お金を作る」ことがとても苦手です。

営業、マーケティング、プログラミング、コピーライティング、商品販売、接客、事務、イベントスタッフ、工場、倉庫業、お小遣い案件なども含めると、社会人になってからも多様な職種に取り組んできました。
しかし、どれも自分にしっくり来る仕事はありませんでした。

もしかしたら「お金を作る」ことは私の使命ではないのかもしれない。
もっと、物質的ではない、精神的なものの近くに身を置くべきなのだと、そう思っています。

精神的なものってなんだろう?

人の心だ。

人の心を楽にしてあげることがしたい。

お金を作りたい、で行動すると上手くいかない。
私の場合はね。
反論があるのも理解してます。
社会におけるその役目は他の人に任せたいと思う。

私の人生に幸福を感じさせてあげるには、私は精神的なものと沢山触れ合っている必要がある。
そしてその状態が回り回って他人の心を癒すことが可能なのだと。

もっともっと、他の人の心理を知りたい。
自分の好奇心がどんどん深められる領域は人の精神だ。

最近、とてもそう思います。

怒っている人を見て、嫌な気分になるよりも先に「この人はなぜ怒っているのだろう?」と思う。
自分が理不尽に怒られたとしても「この人が理不尽を言ってしまうのは何か理由を抱えているのかもしれない。もしかしたらこの人自身も解決できていない辛い背景が潜んでいるから、そのような態度になってしまうのかもしれない」と思う。

どんな完璧に見える人でも、どうしようもなく見える人でも、自分と同じ人間です。

もしその人が何かに悩むのなら、必要ならば、私はいくらでも話を聞いてあげたい。

自分に何ができるかを考えたら、こんなことを思うのでした。


<<<あと153日>>>
自分なんて大したことない
だから気負う必要ない
自分で納得できる範囲で十二分

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