★キャンピングカー生活まであと118日★「水」
あした何の日?
今日は「水」について考えてみようと思う。
どちらかというと、水不足や仮想水、最近話題の汚染水とか処理水とか水質汚濁のような"社会的な水"ではなく、
大地を循環したり時々で見せる姿を変える水の風景、我々の体に及ぼす影響など、"自然的な水"について。
※今回ポエムみたいになってしまいました。こういうのも書いてて楽しかったので良しとする。
私がこのテーマにしようと思った理由は、観光地でどこを回ろうか迷っている時、自分が"水"に近い場所が好きなのだと改めて感じたから。
なぜ水に近い場所が好きなのか。
「今は夏だから涼しい場所が良い」というのは勿論あるけど、私は冬でも海や川に行くのが好きだ。
なんというか、山と比べて、海や川の方が澄んだ空気感を味わえる。....気がする。
山ではそういう空気感が味わえないというわけじゃないんだけど、海・川・湖の近くの風景が好き。
例えば海なら、物理的に遠い場所が見えるというよりは、「ひたすら遠い場所までこの海が繋がっているんだな」と思い馳せることができるのが好き。
それは実際の見える距離以上の距離を感じさせてくれる。
「遠くの場所に行ってみたいなら、海外に行きなよ」と思うかもしれないが、それは私にとって無粋。
「行きたいなぁ」と思える今ここ、現在地が好きなので。
行ってしまうと、その憧れが消えて幻滅する。
例えば川なら、水の流れを観察する。
この水はどこから来たのか?
そしてどこへ向かうのか?
途中どんな風景を見て海に流れ着くのか。
しかし全ての水が河口まで下れるわけではない。
飛沫となって川辺の岩にぴちゃっと付いて蒸発してしまう雫だってある。
上流から下流まで流れ切る事って水からしても容易なことじゃない。
自分の心の中でストーリーを組み立て、妄想する。
もしも水一滴として心を持って生(?)を受けるとどんな気分だろう。
不要な力が一切入らない水。だけど自然界の水は、同じ水という存在が常に傍にいる。
水には言語も国境もない。
自由だ。
それでいえば空の雲だって水だ。
水になりたい。
雲のように自由に、ただ何も考えず、流されて佇んでいたい。
少し社会的な部分に踏み込むなら、自分を汚す存在が唯一、人間なのだと思う。
水は怒ってるんじゃないかな。
自分たちの自由を奪われていることに。
もし多少混ざり合ったとしても、蒸発してしまえば自分たちは純になれる。
だけど完全に混ざり合って蒸発もできなくなると、その水はずっとそのまま戻ることができない。残酷だ。
水は何者にも染まってしまいやすい子なのだろう。
でも基本的にまた息を吹き返して、一からでもやり直せる子。
純粋っていうけど、純水って字でも良い気がする。
そんな健気な水は全ての生命を育む。
地球上の生物を支える縁の下の力持ちすぎる存在。
暑い時、体調が悪い時、生物的に何か助けを求める時に水は必須だ。
何かあった時に頼れる存在。
身近で当たり前のように思われる存在。
あぁ、やっぱり水になりたい。
<<<あと118日>>>
雲はいいよなぁ...自由で...
by 奈良シカマル from NARUTO
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