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『おいしいものには理由がある』(KADOKAWA)を全文公開[第四章 山と畜産]

『おいしいものには理由がある』という本の全文公開です。単行本に写真は入っていませんが、note用に入れています。末尾に入っている動画はダイヤモンド・オンライン掲載時のものです。(写真/志賀元清 動画/志賀元清 樋口直哉)

第四章 山と畜産

牛は家族 ──〈短角牛〉 岩手県 柿木畜産

  牛肉は難しい。料理をしているとつくづくそう思う。
 日本でおいしいとされる牛肉は霜降り=筋肉に脂肪が入っている肉だ。和牛には黒毛和種、褐毛和種、無角和種、短角種の四種類があるが、現在、日本で飼育されている肉用種の90%は霜降りになりやすい『黒毛和牛』である。黒毛和牛には前沢牛や松阪牛など様々なブランド牛がある。

 最近、需要が高まっているのは赤身肉。健康志向や嗜好の変化で脂の多い霜降り肉より、肉の旨味が味わえる赤身肉がいい、という人が増えた。赤身肉というのは脂肪交雑が比較的少ない肉の総称で、厳密な定義はない。
 赤身肉が今のようにブームになる前から脂肪交雑の少ない肉として一部の人に知られていたのは短角種=短角和牛だ。
 ある秋の日。岩手県、久慈市山形町にある柿木畜産を訪れ、代表の柿木敏由貴さんからお話を伺った。十二軒の生産者によって育てられる『いわて山形村短角牛』は赤身のおいしさに定評があり、プロの料理人からの人気も高い。
 柿木畜産を訪れると言ったら周りの人から羨ましがられた。
「でも、あそこの周りは本当になにもないところだよ」
と聞いたが、それは本当で、旧山形村は山のなかに埋もれるようにある集落だった。

  柿木は柔和な雰囲気の男性だが、彼が営む柿木畜産の短角牛は料理の世界ではその名が知られている。お会いした時、不思議な印象があったのだが、それがなぜなのかすぐにわからなかった。
 短角牛は貴重な牛だ。現在、北東北(と北海道)が主な生産地で、岩手県の飼育頭数は約四千頭、全国でも六千四百頭ほどで、和牛全体の一%に満たない。
 短角牛のルーツは、物資輸送に使われていた日本の在来種の南部牛である。

田舎なれども/南部の国は/西も東も/金の山

 民謡『南部牛追い唄』にあるが、牛はこの地方の人にとって貴重な労働力だった。沿岸部から内陸まで塩を運ぶためにも用いられた。
「昔、南部藩はたたら鉄も豊富だったそうです。牛たちがそれを背負って新潟、燕三条まで行ったという話も残っています」
 一八七〇年頃から導入された英国のショートホーンという品種と南部牛を交雑させることで短角牛の元となる品種が誕生した。
「元々、数の少ない牛なのですが輸入自由化の影響もあってずいぶん減りました。その頃から広がったのが黒毛和牛との価格差です。同じ赤身肉ということで輸入肉とバッティン グしてしまったんですね」 日本が豊かになるにつれ、牛肉の消費量は順調に伸びていった。大きな転換点となった のは一九九一年の牛肉の自由化だった。安価な輸入牛が店頭に並ぶようになり、対応を迫 られた国内の生産者は差別化を図るために霜降り肉の生産に力を入れた。 牛肉の価格は一般的に日本食肉格付協会の基準で、歩留まり(A 〜 C)と色、締まり、 霜降りの度合いなどから決まる肉質(1 〜 5)で格付けされ、市場の取引価格の基準に なる。味は判断項目にはない。もちろん、脂肪交雑は味に大きな影響を及ぼすが、極端な 話をいえば格付けは人が見た目で判断するのだ。
「うちは A5、最高級の牛肉しか使いません」
  というお店もあるが、この等級は黒毛和種を基準とした評価で赤身の旨味などは考慮されないので、短角牛など赤身のおいしさで勝負する肉は分が悪かった。さらに岩手県の黒毛和牛は前沢牛に代表されるように評価が高いので、短角牛から黒毛和牛に転換する農家 も多く、短角牛は減っていったのだ。 もちろん、黒毛和牛のおいしさは誰もが認めるところだ。しかし、黒毛和牛の子供を産 んでいない(未経産)の雌牛の肉が一番、おいしいという価値観が支配した結果、画一化を生んでしまったという側面も否めない。

「短角牛の良さとはなんでしょうか?」
「まずは牛が健康であるということ、次に赤身の旨味、そういったところだと思います」
 一生を牛舎で過ごす黒毛和種とは違い、短角牛は春から秋までを放牧された林野で過ごす。冬の間は牛を市場に出し、母牛を農家の畜舎で飼う。夏山冬里方式と呼ばれる昔ながらの飼育法である。
 牛は自然のサイクルのなかで自然交配し、放牧中、母と子は一緒に過ごす。
「家ではずっと短角牛を飼っていました。自分は岩手県立農業大学校で畜産を学んだので、黒毛和牛の現場にも行かせてもらいました。その頃、研修先からは『短角なんてダメだ』って言われていたんです。たしかに黒毛和牛の方が価格は高い。でも、霜降りをつくるために出荷する前には失明してしまっているような牛もいるわけです。そうした肉を家族や友達に自信を持って薦められるか、というと少し納得できないところがあった」

 もしも短角牛を育てることで、仕事としてやっていけるのであればそれに越したことはないな、と柿木は家業を継いだ。
 短角牛は他の生産地でも育てているが『いわて山形村短角牛』は国産百%の餌に大きな特徴がある。世界から日本の食文化として注目される和牛だが、餌の多くを輸入に頼っているのだ。そのため飼料自給率をかけ合わせると日本の牛肉の自給率は十二%しかない。
 黒毛和牛は輸入の濃厚飼料(トウモロコシなどの穀類を主な原料にした高タンパク質の飼料)を食べ、牛舎のなかから出ることなく一生を過ごす。そこが放牧できる短角牛との大きな違いだ。酪農というと広大な牧草地で牛が草をはんでいる景色を想像するが、実際にはまれである。
 柿木畜産の牛たちは放牧先では山の牧草やミネラル豊富な土を、牛舎では国産原料の小麦、大麦、それからふすま、小麦の皮といった穀類と大豆が配合された飼料を食べ育つ。
 山形村短角牛の農家は十二軒あるがそれぞれ国産という基準のなかで農家ごとに例えば米を増やしたり、大豆を多くしたりと工夫をしているそうだ。
「餌を国産にする難しさはどこにありますか?」
「やはりコストがかかるということ。それと濃厚飼料などに比べると栄養価が下がってしまうので量が必要になってきます。でも国産化する意義は大きいです。元々は安全性の観点からはじめた取り組みだったのですが、こういった餌を与えると味の違いがはっきり出るということがわかったので」
 国産の餌にこだわると脂はさらりとして、あっさりとした味になるそうだ。畜産は食べたものが味になると言っても過言ではない。
 牛は内臓に負担がかかっていないため、どこかのんびりとしている。政府は餌の自給を目標に掲げてはいるが、達成度はかんばしくない。それは制度に問題があるからだと柿木は指摘する。
 「『配合飼料価格安定制度』というものがあります。これは輸入に頼る配合飼料の価格が高騰したときに発生する補塡金なのですが、国産の飼料は対象になってないんです」
餌を国産にすることには CO2 の排出量を削減するなど環境的なメリットも大きい。 『和牛肉の輸出はなぜ増えないのか』の著者、横田哲治氏は短角牛が減少することによる岩手県の山河の荒廃を指摘し、『短角牛は山林の「歩く草刈り機」』であり、『環境保全と、 牛肉の安全・安心を両立させる貴重な牛』として生産者を応援することの重要性を述べている。
「仔牛の価格は高騰していますが、そのわりに牛肉の販売価格は上がっていないので、生産者には厳しい状況が続いています」
 短角牛は自然交配のため春先に一斉に仔牛が生まれる。そのため出荷も春に集中する。人工授精で通年出荷できる黒毛和牛は市場では有利だが、どちらがより自然に近く、牛に優しいかは明らかだ。

 しかし、なぜそこまで牛を大事に育てるのだろうか。
「この地域で短角牛を飼っていたことには理由があります。三陸で山背と呼ぶ、冷たい海風の影響で、冷害がとても多く、飢饉などに何度も見舞われたようです。そういう時、寒さに強い牛はすごく重宝された。だからこの地域の人は牛をとても大切にあつかうんです」
  気がついたことがある。柿木は「短角牛を育てている」と言い、決して「生産している」という言葉を使わない。そこには生き物に対する敬意を感じた。
 岩手には南部曲り屋という母屋と家畜小屋が L 字に組み合わさった日本家屋の様式がある。ひとつ屋根の下で人間が牛や馬とともに生活していた。短角牛はそうした暮らしをしてきた牛たちの子孫である。日本人にとって牛は大切な生き物であり、家族だったのだ。
 そうして大切に育てられた短角牛は身質が緻密で、嚙むとしっかりとした旨味がある。
 活動量が多く、筋肉の割合が多いので、加熱には注意が必要。水分を残すように中心部をややレア気味に仕上げることが重要だ。
 基本的に牛は暑さに弱い動物だが、岩手の山中は夏でも涼しい。草を食べて育つ牛の脂からは草の香りがする。この匂いを嫌い、脂を切り落とす人もいるが、牛が放牧されていいる山の風景を見れば、むしろハーブなどを組み合わせることで脂の香りを活かしたい、と思う。そうすれば食べた人の心にもこの景色が浮かぶはずだ。
  脂がたっぷりと入った黒毛和牛はたしかにおいしい。しかし、そのおいしさは自然の摂理をねじ曲げた禁断の味なのかも知れない。牛にはのんびりと草を食べていて欲しい。現実的には難しいかもしれないが、そんな風に思う。
 柿木のところでは雄牛も飼っている。このあたりで東北唯一の闘牛大会が開かれているからだ。ここ山形町の闘牛の文化は江戸時代からはじまったとされる。塩を沿岸から運ぶ際に、先頭の牛を決めるために牛同士を闘わせたことがはじまりだ。そんなこともあって、この地域の闘牛は牛たちを傷つけないために引き分けで終わらせるというちょっと不思議な大会だ。
 雄牛は雌牛とは違って、力士と一般人くらいの体格差がある。牛舎をのぞきこむと薄暗がりに鋭い目が光った。
「このあたりの牛はみんな闘牛用。体重は一トンを超すくらいになりますよ」
 雄牛は見るからに迫力があって、息づかいも荒い気がする。短い角も強そうだし、筋肉で肩が張っている。筋骨隆々の格闘家のような雰囲気だ。けれども、柿木が鼻先を撫でると大人しく身を委ねる。
 はじめて会った時に柿木から受けた不思議な印象の理由がようやくわかった。柿木の雰囲気は牛のそれに似ているのだ。夫婦が一緒に暮らしていると似てくる、という話があるが、それと似たようなものかもしれない。
 食用の雌牛たちが過ごす肥育牛舎を訪れると大部分の牛は山に行っていて留守(?)だったが、仕上げの時期の牛たちが残っていた。どの牛も柔和な表情をしている。
(やっぱり米を食べているとゆるい顔になるのかな)
などと思ったりもした。
「知らない人が来るのが珍しいんです」
 牛たちはこちらに興味津々で、愛嬌を振りまいている。その優しい瞳が大切に飼われていることを物語っていた。


きれいはおいしい──〈鶏肉〉宮崎県 黒岩牧場

「日本に来て良かったことはなんですか?」
 以前、来日したインド人にそう質問したことがある。日本とインドのあいだのビジネスの仲介をしている人で、日本語も堪能な彼から返ってきた答えは少し意外なものだった。
「鶏肉が安いことですね」
「鶏肉?」
「ええ、インドでは肉のなかで鶏肉が一番高いんです。日本で高価な肉といえば牛ですが、インドでは水牛の肉は安いものです。インドは暑く、流通も整っていないので、いい鶏肉を食べたかったら生きたまま手に入れる。だから、鶏肉は高価なのです。食べる前に絞めるんです」
 タイや香港などの市場を歩いていると、鶏が生きたまま籠に入って売られている。鶏肉は傷みやすいのだ。外国では鶏肉が尊ばれるが日本での地位は低い。フランスであれば星付きのレストランのメニューに鶏肉が載るが、日本の店で提供するのは難しい。
「なんだ、鶏肉か」
 と軽く見られてしまうのは、流通量が多く、安価だからだ。公益財団法人日本食肉消費総合センターが出している『鶏肉の実力〜健康な生活を支える鶏肉の栄養と安全安心〜』という冊子によると、日本の鶏肉をめぐる状況には大きく二つの特徴があるそうだ。

(1)まずこれだけの量の鶏肉を輸入している国はないということ

 日本はとりわけ鶏肉の輸入量が多い国で、約八十万トンの鶏肉を毎年、輸入している。 二〇〇八年の数字で EU 全体での輸入量が九十万トンというから、その量の多さは圧倒的だ。いまいち僕ら消費者に実感がないのは、日常的に目に見える形で輸入鶏肉と接する機会がないからである。 輸入鶏肉は主に中食や外食産業で消費されている。唐揚げや焼き鳥になってしまえば、 どこからきたのかはわからない。仕向け先やユーザーによって極端に消費割合が異なるの も、日本の市場の特徴らしい。

(2)日本人の特殊な嗜好

鶏肉の可食部位には大きく分けると、もも肉と胸肉がある。なかで日本人が好きなのはもも肉。関西では特にその傾向が顕著で、消費の八割がもも肉だという。コストをかけて地鶏や銘柄鶏を育てても、胸肉は売れないので結局、ブロイラーと同じ安い価格で売らざるを得ない。その結果、生産者は儲からない。
 日本でこれほど鶏肉が安くなったのは最近である。昭和のはじめには、インドと同じように鶏肉は牛肉よりも高級品で『旦那さんは鶏料理、番頭さんは牛肉料理というのが通り相場』(前掲書より)だったという。
 日本の鶏が安価になったのはアメリカから大量飼育が導入されてからだ。お陰で我々は安価に唐揚げなどを楽しめるようになったのだが、半面、本当においしい鶏肉に接する機会を失ってしまった。
 おいしい鶏とはどういう味なのか、そのことを考えたのは宮崎県高鍋町の黒岩牧場を訪ねた時だ。
「尾鈴山というところにある牧場なんですが、すごいところでつくっているみたいです」
 宮崎県庁の方からそう聞いたのだが、教えてくれた人も行ったことがないという。興味があって足を運んだのだが、道中は山道。曲がりくねった舗装されていない道を車で上っていく。あたりは鬱蒼とした森であり、山である。崖っぷちのような所を走っていく途中、滑落しやしないかと肝を冷やした。
 やがて黒岩牧場にたどり着く。牧場とはいってもあたりの景色はあいかわらずの森だ。
「や、や、どうも黒岩です」
 ようやく会えた黒岩さんは作業着姿で精悍な顔つきの人だった。色男のオーラがあって、やっぱりどこか鶏に似た雰囲気だ。畜産家のところを訪れるたびに思うのだけれど、飼っている動物に似てくるのか、それとも自分に似ているからその動物が好きになるのか、どちらなのかわからない。
 牧場を見学させていただく。鶏舎は山に抱かれるような形で建っていて、そこはおよそ近代的な養鶏といってイメージされる風景とは違う。扉が空いている鶏舎をニワトリたちは自由に出入りし、野山を駆け回っているのだ。
 取材に訪れた日は雨上がりで、ニワトリも比較的おとなしかったが、普段は木に登ったりもしているそうだ。庭の鳥だからニワトリという名前がついた訳だが、ここでは山鶏と呼んだ方がよさそうだ。
 「ですから土鶏と名付けています。広さは十八ヘクタール、東京ドーム四つ分。そこで鶏を放し飼いしています。夜になると鶏は自然に鶏舎に戻ります」

 鶏肉の味を決める要素は大まかに分けて四つ。品種、餌、環境、飼育期間だ。
 品種については説明が必要かもしれない。よく地鶏という名前で育てられているのは在来品種、または在来品種の血を五十%ひいたものを指す。銘柄鶏というのはそれぞれが工夫し、ブランド化した品種で規定はない。よく聞くブロイラーというのも品種の名前ではなく「ブロイル(ロースト)するのに適した鶏肉」のこと。
 スーパーで若鶏として売られているブロイラーは第二次世界大戦後のアメリカで普及した。牛肉が不足し、代替するためのタンパク源としてニワトリの品種改良が進んだのだ。
 ちなみに肉用のニワトリは採卵用とは違いケージ飼いではなく、ほぼすべてが平飼いで育てられている。主流はウインドレス鶏舎といって、閉鎖型の大きな鶏舎がほとんどだ。
 時々、高級な地鶏や銘柄鶏が良くて、安い若鶏はダメという人もいるがそれは疑問だ。ただ焼きっぱなしだったらブロイラーも悪くなく、逆に地鶏│ 例えば比内地鶏をやわらかくローストするのは難しい。地鶏は飼育期間が長いため、身が硬くなりがちだからで、好きな人は別だが、いくら旨味がのっていても人はおいしく感じない。
「では、若鶏がいいのか」
 という単純な話ではない。地鶏にはそれぞれの地方、風土に適した調理法があるということだ。 例えば比内地鶏は焼くのには向いていないが、スープをとるには最高で、寒さを乗り切 るために生まれた秋田名物のきりたんぽ鍋には欠かせない。
 高級な鶏の代名詞であるフラ ンス、ブレスの鶏はロティ(ロースト)よりもフリカッセ(軽い煮込み)にされることが多い。重要なのは調理法に適した鶏肉を見つけることだ。
  こうして日本を眺めてみると北から南まで、同じ国とは思えないほどその風土は多彩で、 それぞれの土地に違うおいしさがあることがわかる。南国、宮崎で育つ黒岩土鶏の品種はなぜかフランス系の赤鶏。地鶏のような硬さはなく、繊細な肉質だ。
「僕は宮崎で育てている地鶏があんまり好きじゃないんですよ。この鶏はいろいろ試して、僕が一番いいと思う品種です」
 放し飼いをしていると心配なのは、野鳥や猪などにおそわれる被害はないのか、ということだ。
「鷹や猪がくるとみんな逃げますけど、被害はたまにありますよ。でも、襲われても死ぬのは一晩に一羽か二羽でしょう。人間がひとつのところで閉じ込めておいて、病気がはやったら何百羽と死ぬわけですよ。どっちが怖いかって言ったら人間がやっていることの方が怖い、と、僕は思いますけどね」
 ほー、と僕は納得する。長年、山と向き合いながら仕事をしてきた人の言葉には深い説得力がある。鶏たちは自然に近い形で飼われ、当然、抗生物質なども与えていない。
「鶏にはもともと周囲を警戒する本能があり、敵がくると茂みなどに隠れるんです。それと、土のところについばんだ跡がついているでしょう。鶏は具合が悪くなると、土を食べるんですよ。そうして自分で体調を整えるんです」
 他にも鶏たちは木々の下の雑草をついばんで、勝手に体調を整える。ブロイラーなどの大量飼育ではクチバシを切ってしまうところもあるが、そうしたこともしてない。だから、自然のなかで生きるニワトリたちは凜とした美しい容姿を持っているし、鶏たちが雑草を食べることで山もきれいになる。
「とさかの色とか見て体調を判断してます。具合が悪い鶏は別の場所に隔離したりとかね。薬とか使えば簡単なのかもしれませんが、自然の免疫力が一番大事。野鳥からの感染病が心配なので密閉されたところで飼育しなさい、と指導する考えもわかりますが、うちはこのやり方で問題は起きてませんね」
 黒岩はニワトリたちの様子を常に観察している。鳥インフルエンザのような感染病の被害もないという。鳥インフルエンザは保菌した野鳥と接触すると感染するが、ニワトリたは元々臆病な性質なので、野鳥に近づくことはないらしい。
 飼育日数は百二十日以上、時には百八十日になる。ブロイラーは五十日、地鶏の規格として定められている期間でも八十日以上だから、それよりかなり長い。飼育日数が長いということはそれだけ餌などのコストも嵩む、ということだ。
 ただ、飼育日数の差は味に大きな差を生む。飼育日数が長いほど、旨味は濃くなり、逆に身は硬くなっていく。旨味と硬さはトレードオフの関係にあるので、繰り返すがやはり調理法との兼ね合い、ということになる。
「コストがかかっているのでうちは内臓も、もも肉も、胸肉も丸で買ってくれるところとしか取引しないんです。その代わり価格はできるだけ抑えています。あんまり高くして、誰も食べなかったらしかたがないでしょう。一番、おいしいのは胸肉です。他の鶏との違いは、食べてみればわかりますよ」
 現場で試食する。宮崎名物の鶏の炭火焼きを振る舞ってもらった。口に入れると、地鶏のような筋張ったところはないことに気づく。もちろんブロイラーとはまったくの別物で、脂が少ない分、繊細さがある。身が締まっているが繊維感のようなものはない。胸肉はまるで白子のようにむっちりとして、嚙むと肉汁がじわりと出る。
「フランスのブレス鶏やラベルルージュよりも僕は、自分のところの子らがおいしいと思っている。外国の高い鶏には負けませんよ」
 黒岩は誇らしげに言う。ただし、ブレス鶏とおなじように皮下脂肪や水分が少ないため、料理には技術が必要だ。なにより手強いのは厚い皮。この皮はうまく料理すればとびきりおいしいが、そうでなければ食べづらい。牧場から送られる黒岩土鶏は、ほぼすべてが料理店で消費されているそうだ。たしかに腕のある料理人でなければこのおいしさを引き出すのは難しそうだ。
「この牧場は父が一九七〇年代の健康志向の高まりをうけて、自然な形で育てた卵を消費者に届けられないか、とはじめました。こういう形でニワトリを育てるのは、まあ大変なこともあったんですけど、この子らいい顔してるでしょう。きれいなものはおいしいんですよ。女性と同じ、です」
黒岩はそう言って、にやりと笑う。野山を駆け回る鶏たちを見ていると、命を食べているということをしみじみと感じる。奪ってしまう命だから、せめてそのときまでは幸せに過ごしてほしい。

「私、ほとんど三百六十五日、山におるんですよ。家は町にあるんですけど、家族はそこに置いて、ほとんどこっちに単身赴任です。鳥たちが心配で、気になってしもうて......そりゃたまには食事をするために里に下りることもありますけど、ニワトリたちも放し飼いですが、自分も放し飼いっちゅうか」
 黒岩は冗談っぽく言う。管理される幸せもあるが、放し飼いの幸せもある。もちろん、幸せとはなにかを考えることは簡単ではない。考えようによっては空調の効いたウインドレス鶏舎のなかで外敵に怯えることもなく、快適に一生を終えることのほうが幸せだという見方もできる。
 野山を走るニワトリたちと、管理された部屋で過ごすニワトリのどちらが幸せなのか、僕にはわからない。彼らに聞いてみることができればいいのだろうけれど。
 食べるという行為はただ腹を満たすだけではなく、様々な疑問を突きつける。僕らはそれを考え続けていくことでしか答えに近づくことはできない。黒岩は猟も趣味で、猟犬も育てている。頼まれて遠方まで鹿や猪を撃ちに行くこともある。間違いないのは放し飼いされている黒岩自身が幸せだということだ。


白い奇跡 ──〈牛乳〉 岩手県 なかほら牧場

 盛岡から車で二時間。僕は標高八百メートルの北上山地の中腹にいた。
 あいにくの天気で、空気はひんやりとしていて、あたりは霧に包まれている。目の前にあるのは森と、なだらかな山の稜線だ。
 木々は深い緑色をたたえ、山の斜面に薄緑色の野シバが柔らかく茂っている。そこを牛がゆったりとした歩みで登っていく。ジャージー種の血が入った褐色の牛の体格はがっちりとしている。夕方の搾乳を終えた牛が山に戻っていくところだった。
 中洞牧場には一般的な牛舎がない。話には聞いていたし、写真では見たことがあったけれど、実際に目にすると景色のスケールに驚いた。
 牛たちは三百六十五日、山で暮らし、搾乳の時だけ下りてくる。植物生態学者の猶原恭爾博士が一九六〇年代に提唱した山に牛を放牧する「山地酪農」というスタイルだ。
「自然と牛がつくりだした景色」
 中洞正牧場長はそう表現する。『幸せな牛からおいしい牛乳』というのが中洞の信念だ。
 牛が食べるのは山の野シバやクマザサ、木の葉といった山に自生する草、飲むのは山の清水。そうして育つ牛から搾る牛乳はかすかに黄色味をおび、あっさりと軽い。きれいな味、と表現するのが僕は一番適切だと思う。その味をして「奇跡の牛乳」と呼ぶ人もいる。

 日本の牛乳はパッケージを観察すると種類別という表示の後に、様々な種類が書かれて いる。牛乳、成分調整牛乳、低脂肪牛乳、無脂肪牛乳とあれば生乳だけを原料としたもの。 加工乳とあれば生乳を原材料に乳製品を加えたもの。最後の乳飲料は乳製品以外の原材料 が入るので、コーヒー牛乳やフルーツ牛乳も含まれる(今はコーヒー牛乳という商品はな く「コーヒー」という名前に変わっている)。 まさかコーヒー牛乳と牛乳を間違えて買う人はいないだろうが、森永乳業などの大手メ ーカーの商品には牛が放牧されているイラストが書かれた乳飲料があるので注意が必要だ。
「牛乳が欲しいのだけれどわかりづらいので、牛乳パックの上にある切り欠きを目印に選ぶようにしている」
 外国人の友人がそう言っていたが。紙パックの上部にあるへこみは「種類別:牛乳」の 目印。ついていない牛乳もなかにはあるのだが、そんな風に自衛している人もいるほど、 日本の牛乳はわかりづらい。なにより問題は消費者の誤解を招くようなイラストだ。
 「日本で放牧されている牛なんてほとんどいませんよ」
 牧場長の中洞は憤る。山の中腹に建っている研修棟はまだ真新しい。牧場にはスタッフ が生活するこの研修棟と牛乳などを加工するプラント、それと搾乳用の小屋がある。 遠くから牛の鳴き声が聞こえるが、姿は見えない。
「日本の酪農は異常なんです。今の日本の牛乳は虐待的に飼育された牛から搾られています。なんで密飼にして、一日に一頭の牛から三十リットルも五十リットルも牛乳を搾るのか。これはそもそも日本の畜産業界の仕組みが、アメリカのトウモロコシや小麦といった 余剰作物を消化するためにつくられたものだから」
  頭にバンダナを巻いた中洞は熱っぽい口調で話す。牛は昔から経済動物とされ、酪農 では一頭当たりの牛から搾る乳量を増やすことが善とされてきた。しかし、一方で二〇〇 六年には北海道で生産量調整のために牛乳を廃棄するなど、ちぐはぐな状況にある。日本 で流通している牛乳は百%が国産だが、カロリーベース自給率では二十七%(二〇一五 年)しかない。この低い数字の理由は飼料を輸入に頼っているからだ。
 なぜ、高価な輸入飼料に頼らざるを得ないか。それは生乳取引をする際に三・五%の乳脂肪分を基準とするという業界基準があるからだ。その乳脂肪分を下回ると乳価が極端に安くなる。山地酪農のように放牧して、草を食べさせると当然、乳脂肪分は少なくなる。高い乳脂肪分を求めるルールが、牛に大量の穀物飼料を与える飼育方法を強いた、と中洞は言う。
「一九八七年に業界基準を定めた段階で山地酪農は崩壊しました。北海道の酪農もほぼすべて放牧をやめ、それから牛舎で大量に配合飼料を食わせる仕組みになった。でもね、面白いことに大手の乳業メーカーは消費者が脂肪分をとりすぎてるからと低脂肪牛乳を売ってるんですよ。冗談みたいな話です」
 そもそも牛は本来、草を食べる動物だ。穀物飼料を大量に与えれば当然、牛の寿命は短くなる。中洞牧場でも一九八四年からの七年間は他の酪農家のように牛乳を農協に出荷していたが、取引の基準に乳脂肪分割合が導入された一九八七年からは低い乳価に苦しんだ。
 システムがおかしいのだから自分たちでやっていくしかない。九二年、中洞は農協を通さず、近隣の数戸の家にこっそりと配るという形で直売をはじめる。当時、中洞牧場は自前のプラント(牛乳工場)を持っていなかったからだ。牛乳は保健所の許可を受けたプラントで処理しなければ販売できない、と乳等省令に定められているために、こうした方法をとるしかなかった。
 その味は次第に口コミで広がっていった。販売に手応えを得た中洞は、同じ年の六月には地元の乳業メーカーと交渉し製造を委託することで、正式に直売をはじめた。その後の数年間は農協のマージンに悩まされるが、九七年には待望の自社プラントを持つに至る。
「乳白色って言葉があるけど、今の牛乳はみんなただの白です。夏の青い草を食べると色素のカロテンが牛乳にうつるから黄色っぽくなる。これが乳白色です。比べてみればすぐにわかります」
 並べてみると色の違いは一目瞭然だ。牛乳の乳脂肪分は季節によっても変わる。青草が主体になる夏場は乳脂肪分が低く、乾草やサイレージが主体の冬場は乳脂肪分が高くなる。
 人間も夏には軽やかな飲み口のものを好むし、冬場はコクが欲しくなるので理にかなっている。基準はそうした自然の摂理を無視したものだった。
「乳脂肪分はおいしさの基準ではありません。油分はたった三%とか四%とかしかなく、一番大きいのは八割以上を占める水分ですよ。本来の牛乳は軽いもの。そうした、誤解を一つ一つ解いていくところから、私たちはやらなきゃいけない。牛乳のパッケージに牛が草を食べている絵がよくあるじゃないですか。あんなのほとんど噓っぱちで、農林水産省の統計でも放牧をとり入れている酪農はごく一部です。それと消費者の方にもうちの牛乳を飲んで『濃厚でおいしいですね〜』と仰る方がいる。おいしいと言ってくれるのはもちろんありがたいんですけど、違うんですよ、と」
 中洞は豪快に笑う。全国のご当地牛乳を対象に食のプロ千六百人が試飲した二〇一三年の品評会で、中洞牧場の牛乳は「最高金賞」に選ばれている。乳脂肪分がおいしさの基準ではない証拠である。
 そのおいしさの理由は飼育方法だけはない。大手の牛乳は百二十〜百三十°Cで二〜三秒という「超高温短時間殺菌法」が主流だ。効率はいいが牛乳本来の味は失われる。中洞牧場の牛乳は六十三〜六十五°Cで三十分という低温殺菌のため、牛乳のきれいな味が残っている。もう一つ重要な要素はノンホモジナイズということだ。
「チーズ、バター、生クリームは牛乳からできるって子どもでもわかります。でも、日本のスーパーで売っている牛乳でそれらをつくってみようと思ってもできないでしょ? それはみんなホモジナイズ(均質化)されているからです」
 だから中洞牧場の牛乳は冷蔵庫にしまっていると上部に生クリームが固まる。クリームラインというそうだが、ホモジナイズしていない証拠だ。飲むときに振って混ぜればいいのだが、機械で均質化するようにはいかない。しかし、混ぜすぎないサラダがおいしいように、不均一さはおいしさを生む。味にリズムが出るからだ。
「日本の牛乳はできるだけ安く売ることが目的になってしまっている。だから、給食とかで無理して飲まされる牛乳はおいしくないし、飲めばすぐに腸に流れてしまうからお腹を壊す。こういうのは牛乳って呼ばないんです。うちの牛乳ならお腹を壊さないという人がいる。それはチーズと同じように胃のなかで固まって、ゆっくり消化されるからです」
 中洞牧場の牛乳は七百二十ミリリットル一本千百八十八円。高価だが、牛乳単体での利益は少ないため、ソフトクリームなどの利益を補塡する形でなんとか成り立っている。ただ、値段についても中洞のスタンスは明確だ。
「牛乳は贅沢品。もともと大量生産には向いていないんですよ」
 たまに飲むのならこれくらいの贅沢も許されるのではないか。
 山の一部を案内してもらった。斜面は急で足をとられそうになる。あちらもこちらも山であり、木であり、草地である。雨が降っているので森には霧がかかっていて、緑と土の匂いがする。
「他所から時々、牛を預かるんだけど、はじめは山を登れないんだよね。牛の健康を維持するためには運動が大事。うちでは最高で十九年生きた牛もいました」
 四つ足の牛は軽々と山を登るが、二本脚の人間には少々、辛い。途中、いくつも沢があり、きれいな水が流れている。牛たちはこの山で暮らし、沢でたくさん水を飲む。草をはみ、自然に交配する。牛の品種がガンジー牛やホルスタインの雑種など様々なのは交配も自然に任せているからだ。当然のようにホルモン剤などは使わない。
 ただ、中洞の事業はずっと順風満帆だったわけではない。
「直売をはじめてから三十年近くになりますけど、基本的に売り上げが落ちたことはないんです。ただ、経営が駄目になったことはあります。おもしろい人がお金を出すよって」
 中洞牧場は二〇〇五年に窮地に立たされる。投資家に誘われて隣の宮古市に第二牧場をつくったのだが、それがうまくいかず二〇〇七年にはプラントとともに手放すことになった。
「結局、俺はこれまで三回くらいは経営で失敗してんのかなぁ。でも、そのたびに手を貸 してくれる人がいたりするのよ。不思議なものでね」
 支援企業の力添えで、中洞牧場は復活を果たす。二〇一〇年から事業の再構築をはじめ、 二〇一一年には乳製品製造棟(プラント)、二〇一二年には新生、中洞牧場をオープンさせた。 牛乳単体では高い利益は望めなくてもヨーグルトやソフトクリームなどを自前で手がけ ることで牧場を維持し、現在では山地酪農を広げるための指導やコンサルティングも手がゆが け、多くの研修生を受け入れている。中洞は三十年以上にもわたって、業界の歪みや農協と闘い続けているわけだが、語り口は明るい。それは自身が「酪農の一手法にとどまらな い。人生観そのもの」という自然放牧=「山地酪農」に確信を持っているからだろう。
  山地酪農という概念を提唱した猶原恭爾は著書『日本の山地酪農』のなかでその目的と使命をこう語っている。
 『低生産性のまま放置されている山地を高度の生産地にすること』
『創造的生産によって、日本の人間社会を良くするのが使命である』
  昭和四十一年に書かれたこの本のなかで猶原は酪農の現状を『(低生産性であることか ら)山地が放置され』『(開拓民の多くが)貧乏に苦しみ、離散している』『牛乳を生産す る酪農なるものがいびつな形に発達し、輸入飼料を大量に使い、労力を多くかけ、生産費 が非常に高い』と分析している。驚くべきことに日本の酪農が抱える問題点はこの頃から なにも変わってないのだ。
 中洞が木陰で立ち止まり「見てください」と柵の先を指さした。柵の先は鬱蒼として、 人の背丈ほどはあろうかという草たちが、人の立ち入りを拒むように木々のあいだに茂っていた。
「放っておくとこれくらい草が生えてくるわけ。でも、牛を入れれば、一年で人が歩ける ようになる。そうなれば間伐や伐採などの管理も容易になります。日本の国土は七割が山林。今、それが林業をしても一銭にもならないから放置されている」 荒廃した山地は獣害や水害といった様々な社会問題を引き起こしている。中洞は『黒い 牛乳』(幻冬舎経営者新書)という著作のなかで『山村の過疎化と高齢化が森林の荒廃を 加速』させると指摘している。
「山地酪農はそれを防ぐ切り札です。猶原先生が仰ったように山地は資源。牛を放つこと で経済活動に変え、近代酪農の問題点も解決できます」 山地酪農では「山仕事」が重要である。毒草(牛は賢いので食べないが)やトゲの多い 野バラなどの好ましくない植物は人の手で刈る必要もあるし、野シバが育つように木々の 枝を切って日当たりを良くしなくてはいけない。
「楽ですよ」
 中洞はそう言うが、それはあくまで一般的な酪農と比べたらという話。こちらから見ると、なかなか大変な仕事に見える。草が食べ尽くされないように飼育頭数にも限りがある。
 それでも『幸せな牛からおいしい牛乳』という信念は揺るぎない。
「でも、山地酪農をやっている人間で残ったのは数軒だけ。うちが残ったのは間違ったことはしていないという気持ちがあったこと。もう一つは直売していたからです」
 中洞は持っていた杖を地面に突き刺す。
「直売したことで儲かったからじゃないですよ。直売でお客さんに支持されている実感が得られたことが経営の支えになったんです。経済的な面じゃなくて、心理的な面で消費者に支えられなきゃ、酪農はできないですよ」
「牛乳を卸すだけだと仕事をしている根拠みたいなものが薄くなってしまう、ということ
ですか?」
「農協みたいなところに卸すと、集乳車っていうタンクローリーがミルクを引き取りに来るんですよ。まるでその運転手に売っているみたいな錯覚に陥ってしまう。当然ですけど、消費者なんて見えない。牛乳はオートメーションの工場でつくるようなものとは違うんです。これは牛の母乳、本来は牛の子どもが飲むもの。私らはそれを分けてもらっているだけなんです。そういう気持ちになれば、コーラよりも安くは売りたくないだろって。それだけの話ですよ」
 新聞記事によると、酪農家が卸す生乳の乳価は生乳一キロあたり、現在百円前後だという。たしかに清涼飲料水並の価格だ。適正であるはずがないこの価格を要求するのは牛乳を大量に消費する社会である。
「人間も生き物なんです。自然のない都会にずっといたらおかしくなってしまいますよ。牛も人も体に一番悪いのはストレスです。都会にいて体も動かさず、日光も浴びない生活はやめて、土日だけでも郊外にでて農業をすればいいんです。そしたら自給率なんてすぐに上がりますし、心も健康になりますって」
 取材の日は牧場に泊まった。あいにくの雨の日だったが、スタッフの方と一緒に夕食を食べた。夕食作りはスタッフが当番で手伝う。はじめはなにもできなくても生活していくうちに自然となんとかなる、と中洞は言う。集まっている研修生は若い人ばかりだ。
「地元に帰って酪農家になるのが夢」
 と口々に語る。地方では放置された山林がいくつもあるので、山地酪農には期待がかかる。お酒を飲んだ中洞はご機嫌だ。
「実は牛乳よりお酒のほうが好きなんじゃないですか?」
 と僕が聞くと「まさか」と笑った。
 山なので携帯の電波も入らない。あたりに光はなく、雨の音しか聞こえない。たしかにそれだけで心がほどけていくような気がした。

 翌朝の搾乳を見学する。小さい小屋には研修生やスタッフが集まって、のんびりと準備をしている。中洞は山仕事に使う鎌の刃を研いでいた。
「霧雨の日はなかなか山から下りてこないんです」なかなかやってこない牛を待っていると、スタッフの方が教えてくれた。「土砂降りの雨とか、朝から暑い日はすぐに下りてき ます。これくらいの雨だとひんやりして気持ちいいんじゃないですか。牛は寒さには強い けれど、暑さは苦手なので」 やがて、牛たちが列をなし、搾乳室に入っていく。若いスタッフが慣れた手つきでおやつと呼ばれるピートパルプ、大豆、雑穀糠、小麦をブレンドした飼料を与える。おやつはちょっとしたご褒美だ。普段、草を食べている牛たちには贅沢品らしく、喜んで食べている。
 搾乳を終えた牛たちはしばらくすると山に帰っていく。ぼんやりとした朝日が照らす牧草地帯で牛が草をはんでいる。ナラやブナの林では牛が首を伸ばして葉を食べている。牛が反芻動物であることはよく知られているが、反芻には食べ物を細かくするだけではなく、タンパク源として摂取する微生物を増やす役割もあるという。
 牛の胃の微生物は草の繊維質を発酵、分解し、エネルギーに変える。また、働き終えた微生物自体が牛のタンパク源になるのだ。子どもの頃、牛は草だけで大きくなると聞いて不思議に思ったものだが、微生物を介したメカニズムによって、牛はその大きな身体を維持しているのだ。
 今回の取材で色々と学んだけれど、改めて牛は偉い生き物だと思う。人間が食べられない草、あるいは藁のように栄養価のない資源も、牛のお腹を通すことで牛乳という尊い食べ物に変えてしまう。
 牛は約八千年前から人類と共に生活してきた。人間は牛がいなければここまで生き抜き、文明を発達させることができなかったのだ。
 近くでミルクをねだっていた仔牛が、母牛に軽くあしらわれていた。中洞牧場の牛乳は 「奇跡の牛乳」と讃えられる。それは本当だ。母牛が仔牛を育てるために青い草から乳白色のミルクを生み出すこと自体が奇跡なのだから。


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