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カクキュー八丁味噌の蔵を見学してきました

八丁味噌は愛知らしさ、の代名詞的食品だ。味噌カツや味噌煮込みうどんのようないわゆる名古屋飯に使われるが、伝統的製法の八丁味噌を製造しているのは尾張名古屋ではなく、三河岡崎。そもそも八丁味噌という名前は岡崎城より西へ八町(約800m)離れた八丁村でつくられていたことに由来している。

現在、当時と同じ製法を守っているのは東海道を挟んだ二軒──カクキューとまるや八丁味噌の二軒。本物という言葉は好きではないが、『本物の八丁味噌』を守っている蔵元だ。

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カクキューとまるや八丁味噌、どちらの会社も見学を受け入れているが、今回はカクキューを訪れた。どちらの味も甲乙つけがたいが、カクキューは創業1645年の老舗で、昭和三十二年に開発した豆味噌に米味噌を混ぜて扱いやすくした『赤だし味噌』を考案した会社でもある。それまで地域に限定されていた赤出汁の味噌汁を全国区に広げ、豆味噌を全国で買うことができるようになったのはこの会社の力が大きいだろう。大正末期に建てられた洋館を本社の事務所として使用している。

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味噌蔵には多くの見学者が訪れていた。

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蔵に足を踏み入れると奥までぎっしりと並ぶ木桶に圧倒される。木桶の上には天然の川石を山のように積み上がっている。地震が起きた時も崩れなかったという石には古い遺跡のような存在感がある。天然醸造で二夏二冬(ふたなつふたふゆ)以上の間熟成させるのが岡崎の八丁味噌の定義だ。

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今でこそ、八丁味噌は豆味噌のスタンダードだが、元々は豆味噌のなかでは特殊な製法だ。八丁村は旧東海道と矢作川が交わる場所にあり、原材料──大豆と塩──の入手は容易だった。しかし、矢作川と乙川など川が入り組んだ洪水も多く、じめじめした地域だったので、なかなかいい味噌ができなかった。そこで生み出されたのが6トンの桶に水分の少ない味噌玉を仕込み、その上に積み上げた3トンの石の重さで圧力をかけながら最低二年以上、豆によっては三年以上寝かせるという製造方法だった。八丁味噌はやはりこの地域の風土が生み出した味なのだ。

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八丁味噌を作るのには時間がかかる。「未だにこんなことをやっているの?」という人もいるかもしれないが、この味はこの方法でしか出せないのだろう。「時短」という言葉がキーワードになるほど忙しい世の中にあって、時間が生み出す価値について考えさせられる。

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「史料館 八丁味噌の郷」は、1907(明治40)年に出来た味噌蔵を使用した建物となっている。

さて、八丁味噌といえば先の『GI制度』をめぐる話題に触れておく必要があるだろう。この話、やや込み入っているので、背景をまず理解する必要がある。

まず、愛知県内には豆味噌に関係する組合が二つある。一つは県内43社で構成される「愛知県味噌たまり醤油工業協同組合」と岡崎のカクキュー、まるやの二軒の老舗で構成される「八丁味噌協同組合」だ。

背景として2006年に地域団体商標制度(こちらは農水省ではなく経産省の管轄で、同じく地域産品を保護する制度)がスタートすると八丁味噌協同組合は「八丁味噌」を商標出願している。そこに横やりを入れたのが「愛知県味噌たまり醤油工業協同組合」だ。組合は「八丁味噌は岡崎の他にもつくられているのだから名称を独占使用するのはおかしい」と主張した。

双方のあいだで協議が行われたが折り合いがつかず、二社は2009年に愛知県味噌たまり醤油工業協同組合を脱退した。組合側は「愛知八丁味噌」という名前で商標獲得を目指したが、結局どちらも商標はとれなかった、という経緯があった。

さて、すでに新聞などで報道されている通り昨年、八丁味噌が農林水産省の「地理的表示(GI)」制度に登録されたのだが、八丁味噌の登録生産者団体として公示されていたのは愛知県味噌溜醤油工業協同組合だった。(参考 登録の公示(登録番号第49号))

この発表を聞いて多くの人が驚いた。岡崎のカクキュー、まるや(社名はそれぞれ「(資)八丁味噌」「(株)まるや八丁味噌」)の老舗2社の名前がなかったからだ。

八丁味噌、製法巡る論争続く GI制度で老舗2社が対象外 (2018/5/5 日経新聞電子版)
「地理的表示」で八丁味噌の乱 老舗vs愛知全域 中国が漁夫の利も(産経新聞 2018.2.19)
国の「八丁味噌」ブランド、江戸からの老舗2社外れる(朝日新聞digital 2018.2.1)
農水省GIブランド登録、老舗2社除外 組合未加入、不服申し立てへ(毎日新聞2018年1月26日 中部夕刊)

GI制度とは、農林水産物や食品が、産地の伝統的製法や現地の風土に起因した特性がある場合、地名を冠した地域ブランドとして保護する制度。『青森カシス』(登録第一号)や『市田柿』『夕張メロン』『西尾の抹茶』『三輪素麺』など66産品が登録されている。どれも地名+食品名で、「その食べ物が成立する土地性」が一目でわかるものばかりである。認定された名称は、同じ製法でも他地域で作られていれば使えなくなる。目的は地域産品のブランド化だ。

経緯をおさらいしよう。GI制度がスタートした時、伝統的製法を守る老舗2社で構成される八丁味噌組合と、県内メーカー43社で構成される愛知県味噌たまり醤油組合の2つが「八丁味噌」の名前で申請した。

両者は申請内容も異なっていた。大豆と塩だけを原料とするというところは同じだが、しかし、大豆をつぶして麹を付着させる味噌玉については、八丁味噌は場合は握り拳ほどだが、県組合の申請では味噌玉の直径は2センチ、長さ5センチ以上と小さめになっている。また、熟成期間も県組合の申請では一夏以上(しかも温度調整を行う場合は25℃以上で最低10ヶ月と基準が緩い)と短く、味噌を仕込む桶も八丁味噌は木桶を用い、天然石3トンを円錐状に積み上げる、というものだが、通った申請では桶も重石も形状は問わない、となっている。ざっくりと言うと県組合側の基準のほうが緩く、伝統的製法ではなくても八丁味噌と名乗れるのだ。

この時点で農水省が問題としたのは八丁味噌組合が地域を「岡崎市八帖町」に限定したことだった。農水省側は「八丁味噌は愛知県各地でつくられている。生産地域を愛知県全体に広げるべきだ。そうではないと他のメーカーを排除することになる」として再検討を促した。八丁味噌は八帖町以外でも製造されているので、農水省としては二社の主張は受け入れられない、ということだ。(八帖町以外でつくられている味噌が八丁味噌と名乗る方をなんとかしろよ、と思うが)

二社としては伝統を守ってきた自負もあるだろうし、そもそも八丁味噌は岡崎から八丁離れた町の気候風土や場所が生み出した味噌なので、その指摘は受け入れられるはずがない。そこで二社は申請を取り下げた。

「愛知県味噌溜醤油工業協同組合」に登録が下りたのはその後のことだ。商標問題のように〈どちらも登録しない〉という選択肢もあったと思うが、農水省側としてみれば「そちらが取り下げたのだから我々のせいではありません」という具合だろう。

農水省側は「二社を排除したわけではなく、新たに申請をすれば登録する」と発表している。これでは「木桶だろうが、ステンレスタンクだろうが、製品の特徴とは関係ない。味噌なんかみんな一緒でしょ」と言っているのと同じで、伝統的製法を守っている二社には気の毒としか言い様がない。

この決定を後押しした有識者(どのような経緯で選ばれた方なのか、調べてもまったくわからなかったが)は「伝統的製法ではなくても、同じようにつくれる」としたわけだが、消費者としてはステンレスタンクで加温され、天然石を積まない製法でつくられた味噌と、木桶と天然石という伝統的製法を守ってつくられた味噌はまったく違うからだ。

誤解しないでいただきたいのは、県組合に加入している会社が醸造している味噌が「いい」「悪い」という話ではない。組合の味噌がすべてステンレスタンクでつくられているわけでもない。(実際、木桶で醸造しているところもある)しかし、実際には八丁味噌と豆味噌では、味噌玉の大きさも石の重さも、製法も異なる。先日、武豊町の中定商店さんに伺った時の話にもあったが「八丁味噌と豆味噌は別物」だ。

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この決定、もう少し時間をかけることはできなかったのだろうか。前述の産経新聞の記事に

農水省が八丁味噌のGI登録を急いだのは、商標登録でも両者の対立が障害となり、知的財産保護が後手に回ってきたという経緯があるからだ。中国ではすでに中国企業が出願した「八丁」が商標登録されているうえ、兵庫県明石市のみそ会社の中国法人も赤みその商標として「八丁味噌」を出願中だ。

とあるように(太字、著者)、模造品を排除をするためにGI登録を急ぐ事情もあった。

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農水省が出している資料でも「模造品の排除」はGI登録の効果として一番に挙げられている。ここからもわかるのはこの制度の目的は輸出の増加や産業振興を目的としているのであって、伝統製法や産業の保護ではないということだ。

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同じ資料に目指すものの例として「ブレス鶏」が挙げられる。ブレス鶏はAOC(原産地名称保護制度)で認められている唯一の鶏(正確にはブレスの七面鳥もAOC)で、世界最高の鶏とされる。

ブレス鶏はGIと同じく地名+食品名だが、ブレス地方で生産された鶏すべてがブレス鶏になるわけではない。ブレス鶏の生産に関する規則に定められた特徴を持ち、伝統的な飼育管理方法に基づいて生産された鶏だけがブレス鶏として認められる。製法(鶏の場合は飼育方法)も重視されているのである。

また、ブレス鶏が高級品なのは生産量が少ないからでもある。他にもフランスのAOC(原産地名称保護制度)に認定されているワインには4ヘクタールほどの小さな畑だけに認定を出している例もあるが、狭ければ狭いほど(というか、そこでしかつくれないほど)価値がある=ブランドに繋がるからだ。

日経新聞の記事では組合側は「出荷量が減る中で、県全体で八丁味噌ブランドの認知度をさらに高める必要がある」と発言しているが、今回の事例では名古屋味噌たまり組合側には「生産量が減少するなか、八丁味噌という名前の商品を増やすことで産業振興したい」という狙いがあるようだ。

しかし、それはどうだろう。食べ物は生産量が増えると価格が下がる性質がある。ましてや伝統的製法ではない味噌が高い価格で売れるのか、という疑問は残る。いずれにせよ、この問題は岡崎vs名古屋や組合vs組合という矮小化された図式で考えるべきではない。伝統産業の保護か、産業振興かという問題として捉えるべきだろう。

今回の決定があっても国内ではこの二社も八丁味噌の名前を名乗ることに問題はない。ただ、ヨーロッパでの展開では岡崎から西に八丁の場所で生産されている味噌が「八丁味噌」と名乗れなくなる可能性がある。(なんだか不思議な話だ)8月30日に日経ビジネスonlineに掲載された「八丁味噌コーラが出荷停止した理由」という記事によると、すでにまるや八丁味噌が原材料提供をしている「八丁味噌コーラ」がGI制度違反により、販売できなくなったという事態も起きたそうだ。

もともと込み入った事情のところ農水省の下した決定が、事態を複雑化させてしまった感がある。この問題の解決は難しそうだが、これをきっかけに制度が良い方向に進むといいのだが。

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