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親の【期待】と【生き方】

Facebookにお誕生日を迎えました。

沖縄に移住しました。

という投稿をした。

沖縄に移住する。っていうことって、ある意味大きな決断だと思う。

もし、友達が「沖縄に移住しようと思う」そんな風に話してくれたら。

凄く、応援すると思うし、「心から楽しんできて!」って思う。


ただ、コロナという現状がある中で何だか人目を気にしている自分に気づいていた。

・医療系の専門職だということ。

・クライアントさんはコロナでしんどい思いをしている人がいること

・医療系の仕事をしている友人、知人の存在。

・アドレスホッパー的な生き方をしているということ。

・自分だけが楽しくやっててもいいんだろうかという思い。


そんなことを考えると、日々葛藤せずにいられない。

ただ、こんなに自由な生き方ができるようになったのは、

確実に、コロナのお陰様という事実もある。

今回改めて、そこを整理したいなぁと思ったのは、

自分の生き方だったり、思いみたいなことを、

クライアントさんに少しでも伝わったらいいなと思った。

価値観や、ビジョンに共感してくださった上で、

カウンセリングを受けてほしいという思いがある。

そういう前提でなので、随分回りくどいお話になるかもしれないがお付き合いいただけると嬉しい。

「親の期待」に悩んでいる人のヒントになってほしいと思う。


「葛藤」と「親の期待」の期待のこの関係性について。

この2つがどのような関係性になっているのか考えてみたい。


【葛藤】とは。相反する2つの考え、価値観、感情、選択肢の中で、

どちらを選ぶのか悩むこと。

というような感じで定義してみようと思う。

こういうことが、そもそもどこから生まれてくるのかということを考えてみた。


「お母さんは、あなたには同志社がとっても合ってると思うから入るといいと思うよ。」(母は同志社出身)

「あなたは、数字に強いと思うから、税理士さんとか向いてると思うよ。」

「そうするのが、あなたにとっていいことだと思うよ」


↑こんな感じのことを言われたのは凄く覚えてます。

親は良かれと思って言っていることだけど。母の価値観を刷り込んでいる。

というのは伝わりますでしょうか?


結果どうだったかというと、親の期待に応えるような選択をしていなくて。

今、この記事は、与論島という離島のゲストハウスで書いています。

ただ、小さい時からこんな風に言われ続けてきたものだから。



どこか、親の言う通りにできていな自分に対して違和感を感じるところがあるわけです。



↑の文章がおかしいのが伝わりますでしょうか?


もう一度言いますね。

「親の言う通りにできていない自分に対して違和感を感じる」

んです。

これってヤバいなって思うんです。

誰の人生?って思います。

でも、みんなが、みんな、僕みたいに。

わかりました。沖縄に移住します。

というようにもならないし。

例え、それが沖縄に移住するというようなことができたとしても。

心の中で色んな葛藤を作り出して。

毎日葛藤する。みたいなことを続けている人もここにいます。


これは、親の期待に応えなきゃと思って生きてきたからこうなったわけで。

苦しい側面があります。

【親の期待に応える】ということが【自分の生き方の一部】

になっているようなこともあります。

こう言う感じで生きていると。

しんどくないですか?



自分が完全に親の期待から抜け出しせた!

と言うつもりもないし。

今でも色々考えるけど。

一度きりの人生。

思うように、生きるサポートをさせてもらっています。

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