いまさら語る、irr氏の件のツイートについて:日本人という価値

該当するツイートを探すのが手間だったので、サルベージしてくれた方の物を引用する。

私自身はTwitterで論客を自称も出来ず、他称もされない身分ながらもこのツイートの本旨を今更ながらここに残したい。


日本人というだけでなぜ価値があるのか

彼のツイートの批判の中でも特に散見された意見は、「日本人だけなのか」、「人間はみんな価値があるから日本人に限定するな」といった形での批判が相次いだ。
irr氏の思想については、ツイートやtogetterを調べればわかるはずなので、彼がこのツイートで、そんな浅薄な考えを表明したわけではない。

このパラグラフ内だけでは、タイトルの結論まで一直線に説明できるわけではないので、一旦スケールを落とした話をしておきたい。

アイデンティティをいかにして確保するか

自分はなぜ生存できるのだろうか?
こんな考えを持ったことがある人はどれだけいるのだろうか。
もう少し言い方を変えると、「私に生きる価値はあるのか」という話になる。

少し極端な状況を挙げてみると、日々を生きる路銀すら確保に苦難し、賃金の低いタクシーの運転手やマックジョブに甘んじることでしか生きる道がない者など、探せばごまんといる。(ミッシングワーカーは更に顕著な例だろう)

そんな生き方、つまり他者に大した働きかけもできず、もはや好転の余地に乏しい者は、いったい何を拠りどころにして生きるべきなのだろうか?(詰まる所、生きる意義である。)
そもそも、その人の今の待遇こそが、周囲からの評価におおよそ直結するという当たり前の事実を前に、人間はみんな生きる価値がある、という言葉はあまりにも薄っぺらすぎる。偽善的すぎる。

もし違うと思うのであれば、あなたが雇うか、より高く評価してくれる場所を紹介するべきだし、それが出来ないのであれば、やはり彼にはそこまでの労力をかけるほどの価値はない、ということでしかない。

こういう人を救う道があるとすれば、宗教ぐらいしかない。なぜなら、合理的に価値がないということであれば、合理性とは異なる目線での生きる意味を見出さなければ、その事実に対しては人間の意思というのはあまりにも脆弱すぎるからだ。

宗教への恐怖

しかし、宗教に対してもある種の恐怖はつきものだ。
そのような人には、宗教を触れることにすらハードルを感じてしまうものだからだ。(オウム真理教やISISなどの悪いニュースという理由もあり得る。)
今まで宗教に無縁だった人が、いきなり教会や仏門を叩くのはおそらく無理があろう。


だからこそ日本人という枠組みが一種の救い(教義)として機能し得る。

尊重されうる属性を有することができないのであれば、自分は特別な生まれである、というような、「尊重されうる属性をそもそも有していた」ぐらいしか着地点がない。
「日本人でよかった」、「白人でよかった」のようなあまりにも軽薄に見える要素でしか慰められようがない、という悲しい話でもある。

ここで「人間は皆素晴らしい」というヒューマニズム溢れる考えにならないのは、かなり不幸な自分から見れば、誰も彼も自分よりはマシに感じるからだろう。
これが思い込みなどではなく、現実なのだからなお耐え難い。

「日本人でよかった」という考えの有力な点として、大体の人間は自分の所属する団体や、自分の特徴を賞賛されたとき、そうしてくれた人物に対して好感を抱く。

(以降は後日追記とする。)

この記事が気に入ったら、サポートをしてみませんか?
気軽にクリエイターの支援と、記事のオススメができます!
コメントを投稿するには、 ログイン または 会員登録 をする必要があります。