教育の「選択と集中」は、非難できない程度に正しい

このようなイラストで描かれると教育の「選択と集中」がいかに愚かしいものか、と思わされるものだが、実際にはこういった思考はむしろ正しいという話。

競馬と教育への投資の違い

当たり馬券さえ買えば競馬は負けなし、というのは誰が見ても馬鹿馬鹿しい。
そんなことができるなら、誰だってそうするに決まっているからだ。

しかしながら、競馬は教育への投資とは正反対の要素がある。

それは、教育への投資は「真面目に金を使う」ということに他ならない。

競馬はどこまでいっても所詮はギャンブルなので、普通は生計などかかっていない。
だからこそ、大穴狙いの一点買いのようなふざけた買い方をしても咎められる謂れはない。

ここで考えてほしいのは、もしあなたが競馬で生計を立てるとしたら、ということである。
そんな状況に陥ったのならば、きっとあなたとてまずは本命の馬券を多めに積み、狙ったとしても対抗馬の馬券を少し積むぐらいだろう。

まかり間違っても、大穴に全ツッパなんてするわけがない。
それはやぶれかぶれと呼ばれる発想だからだ。

さて、教育へかけるお金を考えてみよう。
あなたが科研費の認可に責任の伴う立場だとしよう。
その科研費とは、あなたが生活費のかかった馬券のように運用することを期待されている、そんなお金である。

つまり、失敗するにしても「最善を尽くしてそれなら多少はしかたがないか」と思われないといけないものだ、と言える。

さああなたはいつ芽がでるか、研究者本人にすらもわからない研究にお金を出せますか?
その人に研究費を出すのは、その人以外の申請者をより吟味した上での選択ですよね?
でもそれって、一般的な発想では選択と集中に当てはまりますよね?

均等に配るべき、なんて実務面から見て甘えたことを言うのはやめてくださいね。
200万円の機材が欲しいんです、と10人の研究者が言ってきたとして、予算は1000万円、予算枠が増えるなんてミラクルはまず起きません。

さあ、どうしましょうか?

投資だからこそ辛いもの

投資というのは、案件がコケることを織り込んだ上でどれだけの利回りをもたらしてくれるか、ということに期待されています。

教育を投資だと言い張るのであれば、投資することによる旨みを示さねばなりません。
今日日いかに利率が低いとはいえ、投資を名乗るからには利回りぐらいは表示しておかなければ、詐欺と誹りを受けても弁明のしようもありません。

まずはメリット(利回り)を示し、投資されたなら責任を持ってそれを天運以外に任せる余地のないほど、叶えようとする姿勢があることを見せましょう。

私からは以上です。

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