いまさら語る東京医大問題:人間の役割について

togetterのまとめから記事を引用。

最近は、このように女性の出産、育児についてとやかく言われることを疎んじる言動もより増えてきた。
私個人の感想を書くなら、出産という役割を捨てて、なぜ一介の労働者という立場に自身を貶めることに必死なのだろう、と感じる。
ポリティカル的にはインコレクトな表現ながらも、現実的な話ではやはりそこが着地点となる。

皆が皆9時5時では世の中は成り立たない

極論めいた話になるが、警察官の人権が最大限尊重された世界では、間違いなく治安は最悪なものとなる。ここでは、全ての警察官が9時5時の、現代人的な勤務をしているものとしよう。
罪を犯す側からすれば、昼に違法行為をする必然性はなく、むしろより捕まりにくくなる深夜に犯行を行うだろう。

いやいや、その前提ではダメだろう、と思う方もおられるだろうが、結局は実務に当たる人間はフレキシブルな動きが出来なければ、到底意味をなさないことを考慮していない。
そしてリソースは有限だ。AIやテクノロジーがどんなに発達しても、今その時に必要な「人手」がないと困ったことになる。

今のテクノロジーでは解決できない問題としては例えば、食品工場ではキャベツの芯のみを除去する作業は人間技でなければならない。
実際に凶暴な犯罪人を確保するには、手錠をかける人間がいなければならない。

つまり、医者もそのように「医者としての役割」を全うできるか、にこそ注目される。
命を捨てる覚悟がない者は軍人にはなり得ないし、着服しそうな人物が金庫番にはなれない。
ただそれだけの理屈である。

労働者という役割

私が冒頭に書いた、一介の労働者に成り下がる、という旨の表現もそこまで過激なものではない、と感じていただけるのではないか。

あなたが労働者になったのちに、労働者以外の役割を捨てるよう促されるのは当然の要請なのである。
副業に精を出す公務員が非難されるべきであるように、自分の時間にだけ精を出すあなたは非難されるべき人間であるのだ。(この辺りをもう少し考えると、旦那が家事や育児をしないのは必然でもあるし、労働者にしかなれない男性は労働者に専念する以外の道がないという、悲劇的な話になる。)

また、社会はなぜこのような考えに至るのかまで書いておきたい。


語るまでもないが、肉体的、精神的、健康的な辛さを特定の個人に背負わせることは、社会自体の効率的な運営には欠かせないものである。

停電をなるはやで復旧させるには、多くの人員の心身、健康を無視してでも日夜問わず実働してもらうことが必須である。
東京から大阪までの荷物が翌日までに到着するには、夜間に長距離トラックを走らせてくれる人員が必須である。
24時間いつでも救急車を呼んで緊急手術をしてもらえるのは、自身の労働者として認められている権利をあえて放棄してでも、当直してくれる医者の存在あってのことである。

結局のところ、経済を支えうる社会の仕組みの都合で、「安定したインフラ」が結果的にもたらしてくれる、安定した他の生産を期待しているからこそ、「安定したインフラ」に寄与する人員を欲しているのである。
そして、そのような人員には人権は結果的に制限せざるを得ない。歩兵は歩兵でしかないし、歩兵が特別な理由もなく突き捨ての指示を拒否することなぞ、あってはならないからだ。


上記の通り、女性が出産という役割を差し置いて労働者になるということは、はっきり言って最悪の選択である。
少なくとも、好き好んで飛車角ではなく歩兵程度になろうとしている時点で、クレバーとは到底思えないはずだ。


「産み育てる女性」という役割

(これ以降は後日追記とする。)

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